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第一章 低温実験室の夕暮れ

 昭和11年(1936年)3月。

 先月できたばかりの北海道大学の低温実験室。

 ここは氷点下55℃まで下げることができる。吐く息さえ凍りつくような極低温をつくれる場所−−当時としては先進的な施設である。


 その中で、分厚いウサギの毛皮のコートを着た二人の男が実験装置の側に立っていた。

 一人は30代の中谷宇吉郎。そしてもう一人は19歳の旧制高校生、孫野まごの長治ちょうじ。彼は未来の科学者の卵であり、宇吉郎の実験を担当する助手のような立場の若者だった。

 二人の側に鎮座する実験装置は、宇吉郎が考案した人工雪の発生装置である。

 窓の外では昼過ぎより降り出した雪が、夕刻になった今も降り続いていた。


 中谷は、その実験装置を長い間覗き込んでいた。隣では孫野が震えながら手帳に記録を取っていた。

「どうも、まだまだだな」

 中谷は装置から顔を離し、深く息を吐いた。そして、実験装置に備え付けた写真機カメラで装置内の様子を撮影した。失敗といえど記録はしなければならない。哀しさと悔しさを滲ませながら、中谷は「雪とはまるで人の心。思いは伝わらぬもの」と自作の詩とも随筆の一節ともつかぬ文を詠んだ。心を落ち着かせるには物書きが一番だと中谷はいつも孫野に言っていた。


 撮影が終わると、今度は孫野が代わって覗き込む。装置の底には霜が張り付いているだけだった。

「なるほど、霜ですね、これじゃ」

 孫野の声には、わずかな失望が混じっていた。


 孫野は上を向き、白い息を吐いた。

「先生、人工雪なんて本当にできるんですか?」

「できる」

 中谷は即答した。

「世界で誰も成功してないんですよ。あのドイツやアメリカでさえ……」

 孫野の反論を遮るように中谷が発言した。

「窓を見てみろ」

 降りしきる雪が、暮れていく外の景色の中に、白い軌跡を描いている。

「自然にできるものを、人間がつくれない理屈はない」

 その言葉を口にした瞬間、中谷の胸の奥で、遠い記憶が静かに揺れた。

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