序奏序節
白妙の都が落ち、戦争は終えたように彩られた。
だが、その下で蠢くのは、全てを失った民の想い。
それを取り戻す事は、争った時間より、遥かに遠い。
それでも、産声は上がる。
愛した誰かの足跡の続きを奏でるように。
紡いできた旅路の先を繋ぐように。
「パパ、起きて。」
継ぎ接ぎのアルストロメリアが揺れる庭。
そこに眠るのは、かつて勇者と呼ばれた器。
それは、もう何も持たない。
ただ、失った灯火を彩り、想いを紡ぐだけ。
それでも、テラは、起き上がる。
「どうしたの、フルール。」
穏やかに紡ぐ音色に、微笑みが奏でられた。
「ノアが泣いてるよ。パパ遊ぼうって。私も遊びたいの。」
テラは、フルールの頭を優しく撫でて、立ちあがろうとする。
「私、今日の夜に花の砦に戻るのよ。だから、いっぱい遊びたいの。」
「そうだったね。じゃあ、今日は、ずっと遊ぼうね。」
力の入らぬ足を撫で、フルールに優しく囁いた。
「フルール、パパを困らせちゃだめよ。まだ疲れているのだもの。」
メルが、生まれたばかりのノアを抱きながら、顔を覗かせる。
柔らかな子守唄がノアを包み、寝息を見つめながら微笑む。
「メル、おはよう。もう平気だよ。それに、私もフルールと遊びたい。」
ゆっくりと立ち上がるテラは、今も支えられなければ、動けない。
それは、一度、灯火を失った器に、戻された魂が、その結びつきに戸惑っているが故。
自らが奏でてきた肢体であっても、感覚は簡単には戻らない。
「テラ、ごめんね。私が未熟だから…。」
メルは、初めて、花を咲かせる事以外に、命を司る魔法で灯火を咲かせた。
一時的に戻す事でさえ、数えるほども行使してこなかった。
「いや、レーヌも驚いていたよ。精密な魔法なのに、ここまで繊細に扱えるなんて、レーヌでも難しいみたいだよ。」
メルに支えられ、私は微笑んだ。
だが、メルの様子は、少し淀んでいる。
「でも、怒られちゃったわ。…本当に、いっぱい。灯火を軽々しく扱うなって…。」
「その通りです。」
メルの音色に呼応するように、背後にこだまする旋律。
テラは、もう、声をかけられるまで、気配を感じることさえできなくなっていた。
だが、テラには、もう必要のない力。
磨いてきた全てを手放してでも、ここにある全てが、満たしてくれる。
「この秘密の花園が現と黄泉の狭間である事、ここに留まるという制約があるからこそ、小さな代償で済んだのですよ。」
レーヌの溜息が、テラとメルを包んだ。
「本当に…、メル様は、昔から抜け道を探すのが上手ですね…。」
「テラ…、逃げた方がいいよ…。」
「わかってるよ、メル。でも、どうやって…。」
「大体、ここは、誰も立ち入れなくした聖域。その大樹の枝を持ち出して、扉に見立てて、指輪で大勢を連れ込むなんて、メル様でなかったら、100年は牢屋で反省してもらわなけらばなりません。こんな悪戯、どうやったら思いつくのですか。わかっていますか。ここは、跡地とはいえ、魔王城なのですよ。あなた達二人で紡いできた楽園でしょう。何故、十日に一度は、国民全員が集まってお茶会をしているのですか。そもそも、何故、国民全員が参加できるのですか。みなさん、お忙しくないのですか。一体、みなさんは、何をしているのですか。そういえば、祝日にしたと言っていましたね。建国記念日でしたか。メル様、それは、年に一度であるべき日です。それと、こんなに頻繁にお茶会をするのなら、誰かの誕生日も一緒に行ってください。何故、わざわざ分けるのですか。一応、言っておきますが、メル様は、もう魔王ではありませんよ。貴女は、花の国の民となったのですから。つまり、私が魔王なのですよ。何故、私に相談もせずに、あれやこれや持ち込んで…。」
「パパもママも居ないよ。」
フルールが、レーヌのスカートの裾を引っ張った。
「危なかったね。」
メルが瞳を輝かせながら囁く。
「二人が帰った後に、もっと怒られるのは、私だけどね…。」
テラは、微笑みながら、項垂れた。
だが、いつもと変わらぬ穏やかな音色に、本当の幸福の意味を噛み締めた。
「ねえ、テラ。怒ってるかな。」
フルールが花の砦に戻り、窓から月が覗く。
ステンドグラスが織り成す淡い彩りに、テラとメルは包まれている。
穏やかなせせらぎが耳を撫でる頃、微風に揺れる花々に溶ける囁きを、メルが奏でた。
「どうして、そう思うの。」
隣に座るメルに、テラは微笑みかける。
「花を咲かせる魔法で、テラの灯火を戻しちゃったから…。」
「怒るはずないよ。またメルとこうしていられるなんて、夢みたいだから。」
テラは、その温もりを噛み締めながら、メルを見つめる。
「でも、レーヌの言葉も、わかるよ。」
テラが、目を伏せる。
「私は、勇者としての旅路で、多くの灯火の行末を見届けてきた。」
彩られる消えない反響。
「もっと生きたいという願いが、ほとんどだったと思う。」
それは、テラの、その手が届かなかった色彩。
「でも、灯火を手放す事で、苦痛から解放された人も居たんだ。」
そして、その手を拒んだ色彩もまた、鮮明に彩られる。
「彼らが、再び灯火を器に返された時、喜んでくれるのかな…。」
その答えは、見つからない。
きっと、それが叶った時でさえ、わかる事はない。
そしてそれは、返された本人でさえ、わからない事もあるだろう。
傷は、深いほどに、遺る。
例え、そこに何を彩り、それを隠したとしても、痛みが薄くなっていったとしても。
その傷は、遺り続ける。
忘れたはずの痛みを伴って、再び赤く染まることもある。
もし、灯火を戻せたとしたら、そこから解放された魂は、その煉獄へと連れ戻される事になる。
例え、そこが楽園だとしても、心は、いつまでも牢獄に堕ちている。
ただ、治すだけでは、意味がない。
癒せなければ、待っているのは、後悔。
そして、癒されて尚、小さな歪みに触れるだけで、苦痛を呼び、非愛を呼び、怨嗟を呼ぶ。
だからこそ、軽々しく扱える魔法ではない。
故に、命を司る魔法と名付けられ、禁忌として、魔王のみの魔法となった。
そして、禁忌を冠する魔法には、必ず反動が生じる。
それこそが、容易く扱う事が赦されない証でもある。
自らの灯火を代償にするという誓約、それは、レーヌであっても同じ。
そして、ただの少女であるチユにとっても、等しく降り掛かる。
メルの与えた魂の欠片を以てしても、出来ることには、限りがある。
そこに、どれほどの願いを込めたとしても、叶わぬ事が、どれほどに残酷であったとしても、出来ることには、限りがあるのだ。
今もどこかに足跡を彩るチユに想いを馳せ、テラとメルは、肩を寄せ合い、月に詩った。




