第七楽章12節
崩れ落ちた石造りは、その装飾の全てを失い、空が彩られている。
それは、春の息吹きを奏でる様に、風を掴んでいた。
そこには、穏やかなる旋律は未だ咲かない。
ただ、その時を待つ様に、静かに眠っている。
「テラ殿とメル殿を運べ。」
怒号の様に響き渡る旋律は、白妙の都を揺るがす。
レーヌとの戦いで、傷ついた者は、一人として居ない。
ただ、全ての力を使い果たし、絡まる指だけが灯火を宿している事を奏でる二人だけが、深い眠りに落ちている。
「何でもいい、医療機関は残っていないのか。」
飛び交う怒号が、戦場よりも激しく舞い上がる。
だが、白妙の都に残されたのは、砂となった彩りのみ。
「仕方ない。最も近い街へ運ぶぞ。」
グロリオサは、ようやく到着した馬車に、二人を乗せて、自ら馬に触れる。
「ですが、そこは…。」
それにカノンする白銀が、途切れる音色を紡ぐ。
「我々が、一度…攻め込んだ場所。」
それは、勇者の故郷。
「ならば、我々の領地に連れていくのか。そこには、ロア様が在らせられる。」
元勇者と元魔王が、受け入れられるはずもない。
連れて行けば、グランディオーソ諸共、二人の灯火は潰える。
「我々は、如何なることが起きようとも、白妙の正義の御旗に忠誠を誓った騎士だ。」
だからこそ、白妙を守った二人を守る。
「この首など、幾らでもくれてやる。行くべき先は、勇者の故郷だ。」
純白の砂を舞い上がらせ、蹄の旋律が空を貫く。
眠る二人を乗せた馬車は、勢いを増し、街道を駆け抜けた。
「武具も剣も、…御旗も、ここに投げ捨てよ。」
砂塵を帯びながら駆け抜けるグロリオサが、続く白妙の連なりに叫ぶ。
グランディオーソが何を紡ごうとも、一度は侵攻を彩った地。
受け入れられることなど、考えられない。
ならば、せめて、我が身を守る全てを、傷つける可能性があるもの全てを、捨てていかなければならない。
それが、誇りを手放すに等しくとも。
既に纏う全てが、レーヌの呪詛によって砂に朽ちていたとしても。
それを奏でずには、いられなかった。
白妙を守った英雄のために、この身にできること。
その全てを捧げることこそが、白妙の正義への忠誠。
「忘れるな。この先、如何なることが起きようとも、拳を掲げるな。首を垂れろ。それが白妙の誇る騎士道だ。」
目指すべき地、勇者の故郷が、目の前に広がる。
そこに上がる煙は、広場の中央に奏でられている。
香る人々の営みが、僅かな旋律となって、ここまで響く。
故に、この連なりは、彼らに影を落とす。
グロリオサは馬を降り、自らがテラを背負った。
そして、メルを背負うのは、グロリオサに付き従い続けた剣舞の姫の異名を持つ騎士ゲルベア。
「すまない、メル殿を背負うのは、君にしか頼めない…。」
白妙が、勇者の故郷に行くというのは、その首を捧げに行くに等しい。
自らの連なりが犯した罪を思えば、然るべき答え。
故に、共に散ることを願うしかなかった。
「最後まで、付き纏いますよ、私は。…地獄の果てまでも。」
その微笑みに、グロリオサは、昨日と変わらぬ身震いを覚えた。
「では、行こう。この道は、我々の最後の栄光だ…。」
長く伸びる影が、頂きに触れる陽光と共に小さくなっていく。
やがて、防壁の門に辿り着いた時、その影は、足元に留まった。
遠くから眺める白妙の連なりは、この先に起こるであろう色彩に雫を溢す。
それでも、彼らは誓ったのだ。
ここに翳すのは、何もない。
ただ、贖罪を奏で、首を垂れるのみ。
それでも、背負う二人を失いたくなどない。
その願いは、空を穿ち、風が地を揺らした。
「何してるの、貴方達。そんなぼろぼろで。…ちょっと、テラとメルちゃんじゃない。こっちに来なさい。」
その旋律は、首を垂れる白妙の連なりさえ、劈いた。
まるで魔女の咆哮を彩る音色に、全ての肩が跳ねる。
それを奏でたのは、リスヴァイス。
彼女は、後に、白妙に於いて、こう呼ばれる。
白き雷鳴の母と。
「貴方達、二人だけで、テラとメルちゃんを背負ってきたの。」
柔らかな布に、テラとメルを寝かせながら、リスヴァイスは、二人を見つめる。
「いえ、少し離れた地に、部下が…。」
それを伝えるという事は、彼らに影を落とすことになる。
警戒を生み、彼らが立て直し始めた営みを崩すことになる。
だが、答えぬという事は、騙すに等しい。
それだけは、できなかった。
故に、この刹那、グロリオサとゲルベアは、その首を捧げる覚悟を決めた。
「何を呆けているの。早く連れてらっしゃい。部下を待たせて、上司だけご飯を食べるなんて、此処では私が許さないわよ。」
リスヴァイスの轟く雷鳴に、グロリオサとゲルベアは、これまで対峙してきた凡ゆるものよりも、身を震わせた。
「ちなみに、食材は、自分で集めるのよ。」
急ぎ白妙の連なりへと駆け出す二人に、リスヴァイスは声をかける。
彼女の指さす先には、木の実に溢れる森林と、野菜が咲き乱れる畑が彩られていた。
そして、そこには、畑の整備に精を出すグランディオーソ補助隊の姿があった。
「何やってるの…。」
グロリオサは、思わず音色を零した。
芳しい彩りが、継ぎ接ぎのテーブルを彩る頃、その香りに夢を手放す影が一つ揺らめく。
「美味しい香りがする…。」
飛び起きるメルの指に感じる温もり、それは眠るテラの優しい指。
「テラ…。起きて、テラ。」
見渡すと、そこは、小さな小屋。
その壁から、陽光が漏れている。
「テラ。ご飯の香りがするよ。起きて。」
揺さ振り続けるメルの音色に、私は現に触れ、ゆっくりと体を起こした。
「メル…。ここは。」
私は、指を包む温もりに、メルの優しい指を感じた。 「わからないわ…。でも、美味しい香りがするよ。」
メルが、穏やかに微笑む。
「そうだね。」
私の最後の記憶は、白妙の宮殿で、砂に消えていくレーヌの姿。
「レーヌは…。」
私は、その答えを知る勇気を持てないまま、メルへと囁いた。
故に、メルの伏せた目に、私は、答えを拒む。
私は、それを受け入れることが、今はできない。
その静寂に、ただ項垂れる他なかった。
膝を握る私の手は、ようやく痛みを思い出す。
その震える手を、メルは、優しく握る。
「行こう。」
その微笑みだけが、私の救いだった。
メルが扉を開けようとするのを制止し、私が先に覗く。
ここが何処なのかも、なぜここに居るのかも、何が起きているのかも、何もわからない。
そして、メルは今、魔力が枯渇している。
身を守れるのは、私だけ。
ゆっくりと開く扉。
陽光に、目を細める。
そこに広がるのは、荒廃した私の故郷。
「そうか、やはり、こうなってしまったか…。」
私は、崩れ落ちそうになる膝を、強く握りしめた。
「テラ…、大丈夫…。」
メルが、私の体を支えてくれる。
私は、人の息遣いを探るべく、辺りを見渡す。
感じるのは、背後。
小さな小屋の連なりの裏。
私たちは、そこへと足跡を彩った。
「いえ、我々は、手を付けるわけにはいきません。」
聞き覚えのある声が、私の耳に触れる。
「いつ目を覚ますかも分からないのに、冷めちゃうでしょう。」
この声は、聞き間違えるはずもない。
私は、言葉を紡ごうとしたが、それを遮る様に、二人は奏で合う。
「それでも、テラ殿もメル殿も、昏睡状態にあるのに、放っておいて食事を楽しむなど…。」
間違いなく、彼は、グロリオサ。
「貴方達まで倒れたら、どうする気よ。我儘を言わないの。」
その声は、雷鳴の如く響く。
私に向けられたものではなくとも、この肩を震えさせるのには、充分だ。
「母さん…。」
私は、恐れ慄く声色を抑えて、囁いた。
「お母様なの。」
最初に、それに呼応したのは、メルだった。
その街中に響く旋律に、全ての視線が、私たちに集まる。
「いや、血は繋がっていないよ。幼い頃に、両親が亡くなって、ずっと育ててくれたんだ。」
私は、メルに微笑んだ。
「テラ殿…。その事なんだが…。………すまなかった。貴方のご両親は、……我々が…。」
グロリオサの掠れる音色。
それを、私は、遮った。
「言わなくていいよ。白妙の騎士団長。私も、ここに辿り着くまでに、多くの灯火を奪ってきた。それは、何があっても、私が償わなくてはならない罪。でも、君は、私の両親に触れたわけではないだろう。」
静寂に、掴むことのできる色彩が蠢く。
「過ぎた事を引き摺っていても、取り返せはしないよ。そんな暇あるなら、さっさと食べて働きなさい。そっちの方が、余程、人の役に立てるわよ。」
その彩りを、容易く打ち砕く音色。
ずっと、変わらない。
私が、ずっと慕い、彼女は、ずっと助けてくれた。
リスヴァイス、血は繋がらなくとも、私の母さんだ。
「あ、あの、テラの、…テラさんのお母様…、私がここではしゃいでいたことは、どうか、秘密に…。」
メルが、リスヴァイスに駆け寄り、囁く。
それは、勿論、私の耳にも届いていた。
彼女は、ここで、一体、何をしたというのだろうか…。
「見たかった…。」
私は、空を見上げ、白妙の都に向かう前に、メルを独り置いてきてしまった事を、少しだけ後悔した。




