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夜想曲『花の国』  作者: ことは
Primo movimento『花の祈り』
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第七楽章10節

山積みの古書が、大きなテーブルを埋め尽くしている。

「散らばる意志を纏めるには、時に、強大な敵を作るのも手ですよ。」

淡い記憶。

幼き頃の苦手な時間。

帝王学の講義。

小さな椅子に座し、頭を抱えるメル。

それを微笑みながら眺め、レーヌは、優しく囁いた。

「メル様には、難しいかもしれませんね…。」

その冷たい温もりが、メルの頭を撫でる。

「メル様には、メル様の王の威厳がありますよ。」

瞳を雫で埋めるメルに、レーヌは笑いかけた。

「でも、どうしても駄目な時は、とうするの…。」

メルが、不安な音色を奏でる。

「その時のために、私がいるのです。」

消えない温もり。

残り続ける反響。

メルを支え続けた色彩。

その全てを紡ぐのは、レーヌ。

親を失い、小さく蹲っていたメルを、優しく抱き上げた日から、レーヌは、メルの姉であり、母であった。



紫電が、王宮を喰らい尽くす。

崩れゆく石造りは、そこに集う灯火を呑み込み始めた。

「皆さん、逃げてください。私たちだけでは、守れません。」

「できるだけ、遠くに。白妙の民を連れて。」

メルの可憐な咆哮に、私はカノンした。

だが、グランディオーソは、それに応じようとはしない。

「貴方たちの責務は、白妙を守ること。果たすべき時は今だ。成すべき事は、民の退避だ。」

私は、全身を賭して、その旋律を奏でた。

尚も、紫電が視界を劈く。

もはや、数で押し切れるものではない。

「どうした、妾は、まだ基礎攻撃魔法しか使っておらぬぞ。抗うのではなかったのか。」

過剰なる仰々しさを奏でるレーヌの咆哮が、白妙にも響く。

「お願い、早く逃げて。貴方達がいると、私…、魔法が使えないの。」

メルが、可憐な音色で叫ぶ。

それは、巻き込みたくないという願い。


だが、それ故に、グランディオーソの魂に火を焚べることとなった。

「舐めるな、元勇者、そして元魔王。我々の国を守るのは、我々だ。」

その咆哮を奏でたのは、騎士団長グロリオサ。

それと共に、白妙の白銀が、剣を抜いた。

「二人を援護しろ。その誇りを示せ。」

その旋律に呼応するように、白妙の御旗が靡く。

連なる咆哮が、私もメルを包んだ。

その切先が向けられるのは、レーヌ。


「やっと、目を覚まそうとするのか。惰眠を貪る愚か者め。」

レーヌに、刹那の柔らかな微笑みが彩られた。

それを知るのは、私とメルのみ。

私たちは、目を合わせる事なく、静かに頷いた。


「口惜しいが、お前達に指揮を任せる。合わせるから狙いを言え。」

グロリオサが、剣を掲げながら、私たちに歩み寄る。

「あの…、本当に、魔法が…。」

メルが、怯えた顔を覗かせて囁く。

「だから、その魔法の効能と範囲を言え。」

「メルは争いが苦手だ。優しく言ってやってくれ。」

グロリオサの旋律を宥めるように、私は奏でた。

「へ、平気…。えっと、お花を咲かせるの。それしかできなくて…。棘のついたお花…。範囲は…、全部…。」

メルは、グロリオサが怖いのだろう、その怯えた音色が、微かに震えている。

だが、その気持ちは、わかる。

その体躯は、私とメルを合わせても足りない。

グロリオサの横に立つメルを比べると、まるで象と栗鼠だ。

だが、メルの持つ魔力は、それらの立つ地を覆い尽くすもの。

そして、その隙間を縫えるのは、共に過ごしてきた私のみ。

「それは、雷を防げるのか。」

グロリオサがメルを見据えて囁く。

「そういうお花を咲かせることもできます…。でもどうして…。」

「それを、我々に咲かせろ。」

メルは、疑問に埋もれた表情を彩った。

「本当に、争いをしたことがないのだな…。元魔王だろう、お前は…。」

ため息を孕む吐息が、静かに奏でられる。

「私は、メルです…。」

小さく膨らむ頬を、私は見逃さなかった。

だが、その彩りを手記に収める事だけは、何とか耐えることができた。


メルは、静かに魔力を紡ぐ。

「花を咲かせる魔法。」

それは、淡い光と共に艶やかに広がる。

やがて、凡ゆるものを包み、穏やかに芽吹く。

その音色は、見るものを癒し、柔らかく咲き乱れた。

それは、まるで楽園の更に奥、静寂の聖域を彩るように、全てを塗り替えた。


「ちゃんと、磨き続けたのですね…。」

レーヌの穏やかな旋律は、誰にも届く事なく、溶ける。

「ならば、少し、悪戯に興じてみましょう…。」

その手に宿る紫電が、肥大化していく。

そこに芽吹く漆炎が、雷鳴に絡みついた。


「メル、この花は火に耐えられるかな。」

私は、メルの耳へと囁く。

「もちろんよ。レーヌは、何でも混ぜちゃうから、お見通しよ。ご飯だって、いつも健康に良いのよって言って、色々混ぜて、…………思い出したら、お腹が気持ち悪くなっちゃった…。」

私は、返す言葉を探す変わりに、メルの背中を撫でた。


「戦術を変える。前衛は我々だ。元魔王……メルの支援が無くなれば、我々の灯火は、容易く潰える。テラは、メルの護衛の盾を担え。」

「いや、私も前に出るべきだ。」

私は、グロリオサへと紡ぎ、前へと駆け出す。

だが、彼の手が私を阻む。

「花の国の王には、関係のないこと。白妙に協力いただき、感謝する。ここから先は、我々の領域だ。」

グロリオサが、小さく微笑んだ。

「勇者の加護の呪い、この目で確かに見た。…この国を守ってくれて、ありがとう。」

その囁きを残し、グロリオサは、レーヌへと突き進む。

「我が兄弟達よ、剣を捧げよ。正義は、白妙の御旗の元に。」

その咆哮は、白妙に響き渡る。

それを超える旋律と白銀の連なりが、一つへと紡がれていく。

討てなくとも、退ける。

変わらぬ意志が、そこに収束した。

「メル、これ以上にら守りを固める事は難しいかな。」

私は、メルの傍へと戻り、囁く。

「できるけれども…、レーヌが少しでも力を解放すれば、同じよ…。」

炎を纏いし雷鳴が、絶え間なく降り注ぐ。

その旋律に、花は耐え凌ぐが、一つ一つと、花弁が散っていく。

「このままでは、何れ殲滅させられる。」


レーヌは、メルに従い、人族と魔族の共存に尽力してきた。

だが、先代魔王の時は、どうだったのか。

それ以前は、どうだったのか。

この長い歴史の中で、人族と魔族は争い続けてきた。

互いを知る必要もないほどに、憎しみあってきた。

こうして、共通の強敵を前にしていなければ、争いが再び始まるであろうほどに。

レーヌは、それを見届け、紡いできた存在。

メルは、レーヌを信頼している。

私も、それは変わらない。

だが、本当に、私たちの想う、全ての者が持つ灯火の重さと、レーヌの想う、人族の持つ灯火の重さは等しいのだろうか。


「メル、このままでは、駄目だ。」

私が、それを奏でた刹那、待っていたかのように、レーヌの魔力が変質した。

「みなさん、逃げて。」

私へ応じるより先に、メルが叫ぶ。

その顔は、青白く透き通り、縋るように紡がれている。

何が起ころうとしているのかは、わからない。

だが、止めなければならない事だけは、わかった。

私は、メルの護衛を放棄し、レーヌへと飛びかかった。

手に持つのは、クレマティス。

聖剣を捨てて以来、共にしてきた大切な友。

「緩い。」

レーヌの指先に、クレマティスの刃が触れる。

その刹那、小さな旋律が、私の耳を裂く。

柄を残し、クレマティスが砂となり、流れ落ちた。


私は、それを見ていた。

触れたのは、指先ではなく、そこを纏う純白。

それが、刹那の静寂を生み、漆黒へと変わった。

「メル、レーヌを包んでくれ。」

私は、レーヌから目を離す事なく叫んだ。

これに触れたら、全てが消える。

「みんな、ここを離れろ。光に触れるな。」

レーヌが幾重にも連なる花に包まれていくのを見ながら、退避を命じた。


魔王城に戻った日、あの日に、私は、違和感を覚えた。

それは、崩壊による跡ではなく、まるで溶けた氷のように朽ちていた。

こんな魔法を聞いた事はない。

だが、レーヌは、自らを魔王と呼んだ。

それは、演じているが故のものだと、一度は流した。

それでも、確かに、彼女は言ったのだ。

原初の魔王レーヌと。

あれが、魔法によるものではないとするならば…。

魔力の変質が、魔力でないものへと変わったのだとするならば…。

そして、メルの反応が、私の思う答えによるものだとするならば…。


これは、禁呪。

「砂塵の詩。」

恐らく、レーヌの持つそれは、一つではない。

だが、その一つですら、防ぐ手立てはない。

それは、魔王メルですら、届かぬ頂。


レーヌを包む花が、瞬く間に砂へと朽ちた。

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