第七楽章9節
その土は、姿を見せる事はない。
全ては、花に覆われている。
故に、赤いせせらぎすら、知る者は居ない。
それを流す者、それを流させた者、その両者を除いて。
「やはり、終わらないか…。」
突き立てたクレマティスから感じる鼓動は、グラヨルの意志が尚も旋律を奏でている事を伝える。
「ならば、せめて…。」
私は、クレマティスを引き抜き、その刹那に、グラヨルの腕を切り落とした。
その役目は、クレマティスのみ。
ジプソフィルを、赤く染める事だけは、私にはできない。
二つ目の腕に、その刃を翳した刹那、矢が私の手のひらを貫いた。
それは、正しく、私の持つ刃を落とす。
続く矢は、私の肩を貫く。
私は、飛び退き、メルを包み、木陰に伏せた。
「あの鎧…、グランディオーソ…。」
第一矢が、私に届いたという事は、もう既に逃げ道は絶たれているという事。
「テラ…。」
絡み合う二つの視線。
やがてそれは、互いの瞳のみを映す。
柔らかな温もりが、淡い赤に触れ合い、繋がったまつ毛が想いを紡ぎ合う。
「私が、壁になる。」
重なる音色。
それは、互いの逃げる道を彩る覚悟。
「それは、駄目。」
再び重なる音色。
「愛してる。」
三度、重なる音色。
その微笑みは、降り注ぐ鉄の雨を退ける。
「一緒に、眠ろう…。」
四度、重なる音色。
肢体を寄せ合い、その腕を、互い背へと這わせる。
鼓動が共鳴し、世界に二人だけを彩る。
最後に見る夢が、この温もりならば、これ以上の幸せはない。
二人は、重なる色彩に溶け落ちるように繋がり、触れ合う頬に、瞳を閉じた。
「どこで、眠るおつもりですか…。」
その旋律は、全てを揺らす。
「あなた達のするべき事は、お客様をもてなす事です。特に、メル様、貴女は、城の主人としての自覚が足りません。もう、みなさん集まりましたよ。旧友も、漸く到着しました。ずっと待っておられますよ。本当に、お転婆は治りませんね。服まで、こんなに汚して。洗濯をするのは、私なのですよ。テラ殿なんて、泥だらけではありませんか。そんな格好で、大切な友人をお迎えするおつもりなのですか。これは、もう一度、帝王学を学び直してもらうしかありませんね。言っておきますが、メル様だけではありませんよ。テラ殿にも、暁を見てから月を眺めるまで、卓に着いて学んでもらいますからね。逃しませんよ。あなた達は、花の国を建国したのですから、いつまでも子供のように戯れている訳にはいきません。そもそも…。」
テラとメルは、瞳を見開き、震え上がった。
「に、逃げよう…。」
尚も続く旋律に、メルが小さく囁く。
「何処へ…、いや、どうやって…。」
私は、震えるメルの瞳を、震える我が瞳に映す。
「……………、でも、この感じは、三度、暁を見ても終わらないわ…。」
透き通る雫が、メルの頬を伝う。
「聞いているのですか、お二人とも。」
それは、冷たい温もり。
私とメルが、望み続けた旋律。
「聞いてます、レーヌ。」
重なる二つの音色が、止まらぬ雫を優しく揺らした。
「二人とも、本当に、よく頑張りました。後は、お任せください。」
その凛と佇む色彩は、原初の女王を名乗るに相応しい旋律を轟かせた。
「何だ、貴様は…。」
ゆっくりと立ち上がるグラヨルは、何も感じさせてはくれない影に、抗えぬ恐怖を彩る。
それを包むように、ゆっくりと、レーヌの瞳が移ろう。
「貴方が、勇者の加護を継承したのですね。」
そこに、音色はない。
「力の使い方が、なっていませんね。私が、教えて差し上げましょう。」
小さく揺れた指が、白妙へと集う為に、各地を歩む魂無き器を、光の砂塵へと変えた。
「貴方の兵は、無くなりましたよ。どうしますか。」
表情すら、何も奏でない。
ただ、言葉の連なりだけが、グラヨルへと注がれる。
「無論、再び行使する。」
残されたグラヨルの拳が絡みとる聖剣が、光を放ち、空を穿つ。
「魂無き器に傀儡を彩る呪詛。」
その言葉と共に、光は咲き乱れ、雪の如く舞い落ちる。
それを見つめるレーヌの瞳は、一つを奏でた。
「散りなさい。」
その音階のない静寂の音色は、降り注ぐ光を砂塵へと溶かした。
「失敗してしまいましたね、勇者を継ぎし幼子さん。次は、どうしますか。」
「愚弄するか。」
レーヌの穏やかな音色に触れた刹那、グラヨルは聖剣を振り翳し、飛び掛かる。
「勇者の加護を持つ灯火は、魔王にのみ討たれる。故に、容易く飛び込めるのですね。」
レーヌの指先より僅か手前で、その刃は止まる。
それは、グラヨルの意志を彩る事なく、微動だに許さない。
「言い忘れていましたが、メル様が魔王を放棄した時点で、それは、私に還ってきています。」
淑やかなる煌めきを帯びた、静寂なる漆黒の絹が、柔らかな音色を奏でる。
その裾から伸びる華奢な腕が、ゆっくりと、グラヨルの頭へと届く。
繊細な指先を彩る手のひらが翳すのは、魔力により固められた彼の肢体。
「貴様が…、魔王…。」
その音色を奏で、グラヨルは淡雪の如く消えた。
「さて、まだまだ、たくさんの灯火が、牙を向いていますね。」
レーヌは、ゆっくりと人差し指を立て、それを唇へと近づける。
「私は、メル様のように、優しくありませんよ。」
降り注ぐ鉄の雨は、レーヌの届く遥か手前で溶け落ちる。
「レーヌ、駄目…。」
メルが、レーヌの裾を掴む。
「メル様、それが、正解です。では、次は、お二人に授業をしましょう。」
レーヌが、私たちを見つめ、微笑む。
「本当は、この城より大きな書庫の全てを学んでもらい、その上で、私の帝王学の講座を開くつもりでしたが、少し、時間が足りませんので…。実践授業と致しましょう。」
レーヌの指先に宿った小さな光が、全てを包む。
「メル様、テラ殿、私を止めてみせなさい。」
その光は、全ての動きを、僅かな時の流れと共に凍らせる。
そして、枯渇したメルの魔力へと収束した。
ゆっくりと浮かび上がるレーヌ。
その魔法を操ることができるのは、おとぎ話の彩りのみ。
忘れ去られた魔法、それが織り成す、浮遊。
故に、それを行使する者が、古より繋がる存在である事を知らしめた。
「妾は、レーヌ…、原初の魔王。全ての者よ、ここに平伏せ。」
その静寂なる冷たい温もりは、ただ穏やかに、全ての灯火を劈く。
「ちょっと待って、……レーヌと戦うの、私たち…。」
私たちは、重なる音色と共に、瞳を交わした。
それを見つめるレーヌの微笑みは、永遠に、二人を包み込む。
「妾に刃を向けるか、愚か者。」
私たちの囁きを覆うように、レーヌの音色は、少しだけ大きく響く。
ただ、その瞳は、あからさまに、ため息を孕んでいた。
「勝てるの…。」
「そんな訳ないでしょう…。」
「ジプソフィル返すね…。」
「どうして…。」
「ちゃんと、その身を守って…。」
「わ、わかったわ…。」
「あの名言は、言わないの…。」
「言ったら、きっと、怒られるわ…。」
「それは、わかっていたんだね…。レーヌだものね…。」
「うん…。残念だけれども…。」
「でも本当は、言いたいんでしょう…。」
「テラは、何でもお見通しね…。」
「そうでもないけど、それだけは、よくわかるよ…。」
「言ってもいいかしら…。」
「怒っても、怒らなくても、戦わなければならないことに変わりはないよ…。」
「戯れていないで、早くなさい。」
レーヌの音無き音色が、ため息と共に私たちを貫く。
「聖なるナイフのジプソフィルが、花を咲かせるわよ。」
メルの可憐で壮麗で愛しくて暖かくて可愛くて大好きでずっと触れていたい華麗なる旋律が、レーヌの慄くべき吐息を包むように、凛と奏でられた。
「メル様、ふざけているのですか。それに、テラ殿も、状況がわかっているのですか。」
温もりの消えた、冷たい旋律が、私たちへと降り注ぐ。
私たちは、怒られた。
レーヌは、その手を高く翳す。
そこに宿るのは、紫電の魔力。
「メル様、その全ての魔力を賭して、抗ってみなさい。」
その魔力は、雷鳴を奏で、石造りを蝕む。
「テラ殿、その聖剣に灯火を載せて、抗ってみなさい。」
その荘厳たる色彩は、見る者全ての瞳を奪う。
だが、その旋律は、レーヌの放つ魔力に相応しくない、穏やかな音色に留まっている。
「傷つけたくないなどという、半端な抗いでは、白妙の心を欺くことも、揺らすことさえも、できませんよ。」
その穏やかさ故に、隙間さえ作らず、全てに飛来し、崩れゆく石造りの轟音が、反響する。
「白妙の王様のおうちが、壊れちゃう…。」
メルは、震える手でジプソフィルを握りしめ、囁く。
「全力で、いこう。そうしないと、壊れるのは私たちもだ…。」
私たちは、ようやく再会できたレーヌへと、その切先を向けた。




