第七楽章8節
「嵐の様な子だったわね…。私より随分と歳上だけれども…。」
その全てを空へ還したマオを見届け、リスヴァイスが囁いた。
そこには、雲はひとつもなく、陽光だけが、力強く旋律を奏でている。
「子供達のところへ行きましょう…。」
そこに集う人々が、顔を見合わせ、隠された小道へと歩む。
また、ここに戻ればいい。
また、ここを戻せばいい。
まだ、多くの残された灯火が、互いに手を取り合っている。
まだ、歩むべき道は、燦然と煌めいている。
故に、揺るがぬ意志は、芽生え、育ち始めた。
灯火の去った勇者の故郷には、捻れた鉄と、魂の抜け殻だけが転がっている。
それは、静かに旋律を奏で、蠢き始めた。
その影は、唯一の光を模して、花の砦さえも蝕む。
それに気づいたのは、ロベリア。
「聖域に退避しろ。全員だ。」
空を見つめるロベリアが、囁く。
「急げ。私も、すぐ行く。」
その旋律は、他の音色を許さない。
ヴィオラですら、何一つ紡ぐ事なく従った。
それは、彼女以外の全てが、従わざるを得ない事を奏でる無音の音色。
「ありがとう。ヴィオラ。」
ロベリアは、優しく微笑む。
「ロベリアさん、約束を違うなよ。待っている。」
ヴィオラもまた微笑みを返したが、その瞳は、鋭くロベリアを捉える。
「私の友達になってくれる約束も、してくれるかしら。」
ロベリアは、ヴィオラの瞳を優しく包む。
「何を言っている。もう友人だ。」
幾つもの傷ついた灯火の連なりが、聖域へと向かうのを見届け、ヴィオラも、その場を後にした。
「なら、絶対に、行かなきゃね。」
ロベリアに残る僅かな魔力が、何よりも強く煌めいた。
「随分と、遅いわね。」
やがて蠢き出す影は、戦場と化した花の砦に転がる、白妙の抜け殻。
「拙い使い方をするから、歪つなのよ。」
起き上がる影を、僅かな魔力で押し潰していく。
「テラが禁呪を使うなんて、考えられない。そもそも、既に、勇者の加護は放棄している。」
それでも、湧き出る影は後を経たない。
それは、どれほど多くの灯火が、ここに潰えたのかを奏でている。
「誰かが、奪い取った…。」
全てを見渡せば、その蠢きは、少しずつ起き上がる。
だが、その数は、僅かな魔力で抑えられるものではない。
「どうでもいい。でも、ここは通さない。」
故に、その影を押し潰す事は、もう諦めている。
それは、その影の向かう先が、白妙である事を見つけた刹那に定められた。
「何でも好きな重さにする魔法。」
残された魔力では、それが僅かな範囲を包むに留まる。
だが、それこそが狙いであり、その残された魔力の量こそが、迷いなく全てを注ぎ込むための彩りを整える。
「私は、神王を名乗ったのよ。約束を違えるわけないじゃない。」
聖域へと繋がる全てを押し潰し、ロベリアは、そこへと駆けた。
弔いの庭に佇む挿し木は、尚も淡く煌めいている。
ロベリアは、その手に彩られた契りの指輪に祈りを込め、挿し木を撫でた。
その輝きは、彼女を優しく包み、聖域へと誘う。
「ここは…。」
それは、ロベリアのよく知る彩り。
そのせせらぎは、メルと浴びた聖水。
そのゆらめきは、メルと眺めた花々。
その木漏れ日は、メルと微睡んだ夢。
その極彩色は、メルと賭け合った足跡。
その芳醇な香りは、メルと語り合った想い。
その椅子は、メルが私を女王様だと微笑んだ戯れ。
その大樹は、メルと共に魔力を注いだ、共に過ごした証。
その全ては、メルの宝物であり、ロベリアの宝物。
だが、それは、幼き頃の反響を、塗り替える。
それは、より穏やかに彩られている。
それは、より華やかに彩られている。
それは、より清らかに彩られている。
それは、育まれた愛を彩っていた。
「漸く来ましたね。ロベリアちゃん。」
冷たい温もりが、柔らかな音色を奏で、ロベリアの頭を撫でた。
「よく、頑張りました。」
ロベリアは、そこに集う人々の目など、一つも瞳に映す事なく、それに委ねた。
頬を伝う雫が、海よりも深く、常闇に揺れる月よりも優しく、その身に担ぎ続けてきた心を抱いた。
花の砦に残された、蠢く影は、その足を絡めさせ、ゆっくりと歩み始める。
だが、それは、惑う事なく白妙へと向けられていた。
そしてそれは、少しずつ、吸い込まれる様に舞い上がり、その旋律を速めていく。
だが、最初に白妙へと辿り着いたのは、勇者の故郷に芽生えた影でも、花の砦に芽生えた影でもない。
それは、整然たる連なり。
煌びやかな白銀に包まれた鉄の旋律。
白妙の御旗を靡かせ、咆哮が王都を包み込む。
第一師団、グランディオーソ。
白妙の最高兵力が、王宮へと足を踏み入れた。
近衛兵が支える腕を振り解き、ケーニヒは、凛と佇む。
その瞳に映るのは、グランディオーソの騎士団長グロリオサ。
「白妙の王ロア様を、グランディオーソの領地へと、ご案内申し上げよ。」
ケーニヒの傍に立つ近衛兵が、その旋律を響かせた。
グロリオサは、精鋭を連れ、ケーニヒに跪く。
「我が王ロア様、馬車を用意しております。」
ゆっくりと差し伸べられた手に燦然と輝く宝玉。
グロリオサは、それに口付けをし、ケーニヒを馬車へと誘った。
残る白銀の連なりは、宮殿前広場を埋め尽くし、その大通りさえも、全てを一つの色へと染め上げる。
それは、一つの道を織り成し、馬車をグランメゾンへと繋がる道へ運んだ。
「この巨城を、ここまで崩壊させるとは…。」
空を見上げ、その先にある白妙の御旗を映す瞳は、それを支える純白の石造りの成れの果てに爆ぜる。
「裏切り者と、魔王を、ここで殲滅する。」
その静かな咆哮は、全ての白銀の連なりを、王宮へと流れ込ませた。
向かう先は、広大な中庭。
そこに奏でられるのは、三つの吐息。
全ては、ここへ、帰着する。




