第七楽章5節
それは、微睡みに奏でる色彩。
私は、黄色のアルストロメリアに包まれている。
もう、痛みは感じない。
だが、私の手を濡らす赤いせせらぎが、これは現であると奏でている。
故に、そこに彩られた影は、幻ではないことを、教えてくれた。
「何故…、来た…。」
その吐息は、微かな音色を奏でるに終わる。
「褒めてくれてもいいのよ…。」
穏やかな微笑みが、私を包む。
「テラの指輪と、私の指輪が繋いでくれたの。」
その華奢な腕が、私を柔らかく寝かせてくれる。
「何があっても外さずにいてくれて、ありがとう。」
その温もりが、私の頬を撫でた。
「宝珠の魔力が、枯渇してる…。たくさん、傷ついたのね…。」
その手が、私の首飾りに触れた。
それは、淡い光を灯し、首飾りを伝って私を包む。
赤いせせらぎは、緩やかに止まり、傷が跡へと移ろう。
それを感じながら、私の意識は、私を手放した。
「ごめんなさい…。遅くなってしまって…。」
その頬を伝う雫は、私の瞳を濡らす。
だが、もう、それを感じることは、できない。
「大切なところで、失敗しちゃった…。こうなる前に、来なきゃいけなかったのに…。」
幾つも落ちる雫が、溢れ出す魔力に爆ぜる。
「本当に…、ごめんなさい…。」
その魔力は、中庭の草木を巨大な蜿へと変える。
その魔力は、触れた石造りを溶かしていく。
その魔力は、崩れゆく雲に空を隠す。
その魔力は、全てを埋め尽くす花を咲かせた。
「陛下、中へ。」
近衛兵が、呆ける彩りに、退避を促す。
ケーニヒは蹌踉めく肢体を支えられ、立ち上がった。
だが、咲き乱れる花が、動くものを赦さない。
「動かない方が良いわよ。裂かれちゃうから…。」
その静かな旋律は、崩れゆく石造りに溶け込む。
だが、そこに集う全ての耳を劈いた。
黄色のアルストロメリアに包まれたテラを見つめ、優しく微笑む。
「私も、すぐに行くから、待っててね。」
その微笑みを塗り潰すように、雫が溢れ散る。
咲き乱れる花は、強大な魔力を帯びて、宮殿を包み込む。
そこに揺らめく灯火は、蔦に絡まれずとも、動くことさえ叶わない。
ただ、それを奏でる唯一無二の存在を、感じ続けることしか、赦されずにいた。
背負った布を、ゆっくりと下ろし、解いていく。
そこに彩られるのは、二振りの剣。
その一つを手に取り、グラヨルへと歩み寄る。
それは、両手で握ろうとも、持ち上げることさえ叶わぬ重み。
それでも、魔力に頼ることはない。
震える腕で、刃を高く振り翳す。
「勇者を継ぎし者よ。その覚悟は、もう抱いているのでしょう。」
それは、ゆっくりと振り下ろされる。
「ならば、果たしてみせなさい。」
その切先が貫いたのは、グラヨルの眼前の土。
「私は、魔王メル。白妙の殲滅すべき種族の長。」
ゆっくりと、柄を離し、その手でグラヨルの腕を掴む。
「勇者を継ぎし貴方が、討つべき相手。」
二人を隔てる剣。
それは、クレマティスが打った聖剣。
どれだけ抱えても、零れ落ちるほどの想いが紡がれた、真の聖剣。
「私を討てば、貴方達の全てが報われるのでしょう。」
その柄を、グラヨルへと委ねる。
「ならば、これで終わりにしましょう。」
メルは、跪き、首を捧げた。
絡まる蔦は、硬く締め付ける。
触れる葉と花は研ぎ澄まされ、僅かな揺れで切り裂こうと佇む。
それでも、近衛兵は、白妙の王を退避させるべく、その身を賭す。
崩れ落ちる肢体に、灯火が揺らめきを手放しかける。
それを感じるメルの魔力は、惑い、靡く。
「動いちゃ駄目…。切れちゃう…。」
その小さな囁きは、花を伝い、全ての耳を撫でた。
その音色に、抗おうとしていた影は、動きを止める。
だが、それを許さぬ者が居た。
「その灯火を賭して、余の蔦を振り解け。」
それは、静寂の微笑み。
徒に、彼らの灯火を潰えさせることが、彼の望みではない。
白妙に棲まう凡ゆる灯火は、須く、白妙の目的の為に、消費されていかなければならない。
それは、全て、白妙の為に下される正義へと収束する。
故に、王の奏でる音色こそが、己の灯火の鼓動より重く、遂行されるべき旋律として、その全てを縛る。
だが、絡む蔦と触れる葉と花は、それを拒む。
その強固たる魔力と、鋭利な草花に、動ける影など、一つも無かった。
「白妙に反旗を翻すのか。」
その穏やかな音色は、全てを動かした。
崩れゆく肉片が、芽生えた草花を赤く彩る。
犇く呻き声が、その苦痛を奏で、宮殿を包む。
それは、騎士自らが、その身に与える灯火の放棄。
彼らの真価は、灯火を失った先にあることを知っている。
それは、名誉に抱かれた騎士であるほど、強く刻まれてきた。
全ては、勇者の加護のために。
だが、それを知らず、従うべき命として遂行する者の方が、圧倒的な音色を奏でている。
故に、それは、崇高たる殉職を彩る事はなく、消えゆく光と、溢れ出る赤い花弁に、掠れた声が、中庭へと響き渡った。
その旋律に抱かれたメルは、硬化された花を解かざるを得なくなった。
だが、白妙の駒は、それを望んではいない。
残こされた鋭利な棘と草花を、自らの揺らめく灯火に刺していく。
それは、思考を失った正義による、静寂の遂行。
灯火を賭した先に待つのは、愛する家族と、それを守る白妙の国。
そこには、幾つもの赤い花弁が、舞い散った。
「まだ、足りぬな…。そこに居るのは、元勇者と魔王。未だ、己の灯火に縋る弱き者よ、励め。」
憂いのため息を奏で、騎士を鼓舞する音色に孕んだ意図を、ケーニヒは、静かに反響させた。
やがて、連なる灯火無き器を道に歩む多くの近衛兵が、ケーニヒを包む。
「漸く、来たか。余の時間の価値を、学び直せ。」
ケーニヒの朗らかな笑みと、柔らかな音色に滲み出る、抑え切れぬ感情。
それは、彼を支える幾つもの近衛兵の手を振るわせた。
「その布、余は知っている。」
幾つもの灯火を賭して振り解いた蔦を捨て、残る近衛兵に支えられたケーニヒは、メルの外套を見る。
「テラの故郷の特産物…。裏切り者を産む地は、裏切り者で溢れておる。」
促されるままに退避を奏でるケーニヒの瞳は、その布を捉え続ける。
「決して、赦しはしない。」
崩れ落ちたバルコニーから消える影は、その音色をメルに届かせることなく、沈んでいった。
だが、その旋律は、違わぬ津波を奏でる。
第二師団、グランドシンフォニーに次ぐ白妙の戦力。
グランドコンチェルトを冠するそれは、花の国へと蹄を奏でていた。
それは、白妙の王の言葉に触れた刹那、踵を返し、テラの故郷へと駆け始めた。
そして、その音色は、もう一つの師団へと紡がれる。
第一師団、これこそが、白妙の持つ最大の兵力。
グランディオーソ、その名は、辺境の地にさえ轟く。
その規模、そして兵力故に、王都とは別に、自らの領を構えていた。
それは、一つの連なりを彩り、王都へと歩み出す。
それらは、速やかに、整然たる熱を帯びて、その旋律を奏でた。
赤い花弁に苦痛の旋律が交う中で、メルは、一つの違和感を覚える。
いつまで経っても、刃が振り翳されることはない。
それ以前に、グラヨルは、柄に触れようとすらしない。
メルは、薄く開いた瞳に、グラヨルを掴む。
そこには、蔦で顔まで埋まったグラヨルの輪郭が彩られていた。
「ご、ごめんなさい…。」
メルの奏でる、その音色もまた、花を伝い、全ての耳を撫でた。




