第七楽章3節
荒く吐息が乱れる。
その足跡は揺れるように奏でられ、小さく刻まれる。
「テラは、こんなに重いものを、どうして平然と持ち歩けるの…。」
メルは、小さな岩に腰を下ろし、ため息を奏でる。
街を出てから、白妙までの道のりは、まだ半分にも満ていない。
メルは、魔法を使いそうになる心を、強く押し込めた。
穏やかな陽光が、メルを包む。
行き交う人々は、互いを知ることさえなく、歩むべき先だけを、瞳に彩っている。
草木の揺れる音色に抱かれながら、メルは、昨日焼いたクッキーを一つ頬張る。
「いつもより、美味しい。みんな、本当に作るの上手だね…。」
その微笑みに彩られる、テラの故郷の子供達。
巧みに隠された魔力が故に、そこに座す者が、魔族だとは知る由もない。
瞳に映らぬが故に、それが何なのか、知ろうともしない。
それが、メルにとっては、無自覚の好都合となった。
「さあ、行こうかな。待っててね、テラ。」
揺れる影に、風が彩る。
穏やかな微笑みが、砂塵へと溶けた。
メルに触れた風が、空を舞い、白妙の都へと紡がれる。
それは、路地の影をなぞり、宮殿の旗を靡かせた。
その音色を掻き消すように、石を割く鉄の音が響く。
シャルドンと共にテラが立つのは、広大な中庭。
拳を構えたテラは、近衛兵達に抑えられ、此処へと運ばれた。
それに抵抗する事など、許されない。
ここは、白妙の国であり、玉座の御前。
それが何であれ、振り翳すことなど、あってはならない。
「剣を取れ、テラ。」
抑揚も音階も無い、その旋律は、不協和音を奏でる。
その声は、シャルドンのものであって、シャルドンではない。
その音色だけではない。
その全てに、灯火を感じない。
「シャルドンに、何をした…。」
バルコニーに座すケーニヒを見上げ、彼に、私の瞳を叩きつける。
「シャルドンの夢を叶えたまで。もう覚めそうには無いがな…。」
その朗らかな微笑みが、私の瞳を冷たく返す。
私の心を過ぎるのは、勇者の加護。
不老不死と共に枷られた呪い。
だが、それは、私が継いだ。
そして、それは、既に手放した。
風に靡く襤褸に隠された聖剣。
私が、墓標に突き立てた。
あれから、あの剣は誰も見向きもしなくなった。
私でさえ、その襤褸を剥ぐことはなかった。
あそこに立つ物は、本当に、聖剣なのか。
「お前が、継いだのか、ケーニヒ…。」
「魔王を討つまでは、勇者は継がれゆくもの。だが、余が、その様なものに触れると思うのか。」
それは、魔王の持つ、命を司る禁呪に対を成す呪い。
禁断の秘術、それを行使する為に、命を削る。
故に、魔王と勇者は、不老不死を枷られる。
「余は、神の子。やがては、美しく去るべきであろう。」
「では、なぜ。シャルドンが、こうしている…。」
灯火無き傀儡。
意思を持つ剣。
それは、理への叛逆。
産み、育み、営み、紡いできた、全ての連なりへの、冒涜。
「一つ教えてやろう。子が、その罪を償えぬなら、それは親へと降りかかる。」
「私に、親は居ない。」
「知っておる。肉親は、勇者の旅立ちの枷となるからな。だが、師は、別であろう。」
その穏やかな旋律は、私に二つの事実を突きつけた。
私の肢体を侵食する感情が、破壊を望む。
その吐息さえ、震えに爆ぜる。
だが、私は、国王である前に、勇者である前に、騎士だ。
肢体に残る空気を、全て吐き出し、空の彩りを見つめる。
微かな風が、頬を撫でた。
私は、それを全て吸い込み、眼前に挿す剣の柄を握った。
「シャルドン、すまない。その肢体を綺麗なままに、そこへ還せそうにない。」
魂の場所へ、器を還す。
その為には、傀儡を壊す他ない。
この剣を抜いた刹那、シャルドンの影は、私の首筋を斬り落とすだろう。
故に、私は、剣を引き抜きながら、そこへと駆けた。
シャルドンの両の肢先に繋がれた剣が、私を翻弄するように舞う。
だが、シャルドンが奏で続けた旋律より、悠かに劣る。
一本の継ぎ目を斬り取り、鼓動を失った灯火の器へと、刃を貫く。
だが、それは動きを止めるに至らない。
呪いは、想いを支配する。
故に傀儡を操る糸は、首にある。
それを斬り離せば、肢体は肉塊へと返り咲く。
シャルドンの影に繋がれた、もう一つの剣が、私を覆う影となった。
私は、肢体に埋まる刃を斬り払い、その旋律を影を成した剣へと向ける。
空を舞う二つ目の剣、そこに花弁は咲かない。
全ての剣を失ったシャルドンの影は、尚も私に振り翳す。
故に、私は、その糸を斬り伏せた。
その刹那、私の中に冷たい熱が入り込む。
やがて、それは、私の腹部を貫き、赤く咲いた。
滴る赤のせせらぎと共に、力が抜けていく。
私は、膝を突き、その音色に雫を落とした。
「魔王と番うならば、それは、最早、魔族。」
「……。」
その傷に、痛みなど感じない。
この程度ならば、幾度となく噛み締めてきた。
だが、心を蝕む痛みが、私から言葉を奪った。
「故に、討たねばならぬ。」
柄を握る手が、震える。
私が、導いた旋律。
私の選択が、尊び、憧れ続けた色彩を塗り潰した。
資格無き者が、加護を持つ意味。
それは、加護でもなく、呪いでもない。
それは、禁忌に触れた罰、腐敗の枷。
「我が子、テラよ。ここで朽ちよ…。」
知るはずの声は、掠れ、滲み、最早、それと知るのは、共に在り続けた者のみ。
「師匠…。」
ようやく奏でることのできた音色は、私の意識を引き抜き、影へと溶けていく。
あの日、墓標に立てた聖剣の波紋が、私へと還ってきた。
「お前は、もう弟子ではない。」
振り向くことは、できない。
顔を見ることが、できない。
それをすれば、私は、灯火を失う。
高鳴る鼓動が、せせらぎに反響する。
故に、こうしている猶予はない。
「愚か者よ…。」
師匠であるグラヨルの吐息が、耳を撫でる。
「これ程の力を以て尚、使命を果たせぬとは…。」
「その禁呪は、魂への冒涜です…。使うわけにはいかない。」
「魔王は命に模した傀儡を創り上げる。故に、それに抗うのは、摂理。」
私の肢体から引き抜かれた刃が、私へと振り翳される。
「魂を失った器を傀儡としたとて、魂を敬う事を失わなければ、冒涜とは呼ばん。」
私は、膝を突いていたが故に、それを握る事ができた。
「お前は、お前の正義に縋り過ぎだ。テラ。」
私は、この刹那を待っていたのだ。
「その藁に縋りながら、散れ。」
振り下ろされる刃。
それを縫うように、私は拳の中に潜む、幾つもの石を投擲する。
そんなもので怯むなどと、微塵も考えてはいない。
だが、視界を掠める僅かな隙は、距離を取るのに十分な猶予となった。
「メルは、傀儡など作らない。」
最後に剣を交えた記憶は、遠くに揺らめいている。
その瞳と交わし合った記憶すら、すでに霞んでいる。
「彼女は、花を咲かせることしかしない。」
だが、今、対峙しているのは、師匠ではなく、腐敗の枷。
「グラヨル、お前を此処で討つ。」
その腐敗は、彼を喰らい付くし、やがて全てを蝕む。
その前に、終わらせなければならない。
「遂に、皮を剥いだな、元勇者よ。白妙に紛れし異物の最後を見届けてやろう。」
その声は、私には届かない。
だが、静かに、私とグラヨルを包んだ。
ケーニヒの、歪んだ微笑みと共に。




