第六楽章8節
「気になる…。」
メルが小屋の中を行き来する度、床が窪み、屋根から差し込む陽光が揺れる。
その彩りに、テラとの日々を重ねた。
それは、魔王城を出たばかりの夜。
あの頃は、テラへ自らの音色を届ける事さえ、鼓動に押し潰されそうになっていた。
遠くに煌めく魔法城崩壊の旋律と、紅く染まった月。
それと共に感じなくなったレーヌの魔力の彩り。
その後、レーヌがどうなったのかさえ、もうわからない。
ただ、触れることのできない温もりが、虚構に舞う。
それは、反響。
あの日、メルは魔法を奏でた。
人形劇の魔法。
メルが作った魔法、レーヌが褒めてくれた魔法。
それを、テラは優しく見届けてくれた。
そして、テラが紡いでくれた、メルの知らないレーヌの旋律。
テラに託された祈り、交わされた約束。
テラの首に煌めくのは、その証。
純白を揺れる、治癒の首飾り。
魔族でも、治療魔法を使える者は少ない。
レーヌですら、使う事はできなかった。
故に、それは代え難い宝玉だった。
レーヌは、それを、テラに贈った。
それは、何があっても、必ずメルを守るというテラの誓い。
「やっぱり、助けに行く…。」
故に、メルもまた誓ったのだ。
何があっても、必ずテラを守ると。
「何にも起きてないけど…。」
勢い良く起き上がったメルの指に煌めく白銀の指輪は、平穏を奏でていた。
扉を少し開け、外を覗くメルの瞳。
多くはない灯火が、穏やかに行き交っている。
メルは、ようやく気付いたのだ。
この街にたどり着いた時、テラから教わった事実。
それは、ここが、テラの故郷だということ。
そして、その道の先に、この小屋、つまりテラが育った聖域があるという事を。
故に、この小屋に入るまで…。
いや、小屋に入ってからも尚、それしか瞳に入ってこなかったという事を。
「人が、いっぱい…。」
メルは、華やかな胸の高鳴りに、瞳を煌めかせていた。
陽光が、穏やかに石畳を温める。
透き通る白い布が、メルの繊細な肢体を煌めかせる。
手に持つのは、花の国を出る前に焼いた、木の実と蜜のクッキー。
気づけば、メルは、子供たちの輪の中心に居た。
「あのね、それでね、テラは、いつもみんなを守ってくれるの。」
まるで、おとぎ話の様に紡ぐ音色は、子供たちの瞳を輝かせる。
この街にとって、テラは、裏切り者でも、勇者でもなく、旅立った彼らの子供だった。
テラすら知らない、この街の想いは、メルの手によって掬われた。
子供達が頬張るのは、木の実と蜜のクッキー。
木々に分けてもらった木の実は、その土地の色彩を唯一の味へと彩る。
花々に分けてもらった蜜は、舌を転がり、甘美なる幸福を奏でる。
それが溶け合い、子供達は、ねだり始める。
その触れ合いが、メルの心を満たし、おとぎ話と共に、子供達に贈り続けた。
それを見ているのは、子供達を育てる街。
見ぬ顔に向けられた、警戒の音色は、メルの笑顔に綻んでいく。
代わりに差し出されたのは、質素なコップに注がれた芳しき茶葉の香り。
「くれるのですか。」
メルは、顔を上げ、それを持つ手の主を見つめた。
「クッキーには、紅茶が一番でしょう。」
そう囁きながら微笑む彼女に、一人の子供が寄り添う。
「ママも、テラさんのお話を聞くの。」
その無垢な瞳に紡がれた問いは、集まる笑顔を彩った。
やがて、その小さな広場には、溢れる灯火の奏でる温かな音色で満たされていた。
メルは、助けに行かなきゃという意志を、忘れてしまっていた。
メルは、巧みに魔力を隠し続けている。
魔族には不可能と言われた、完全な魔力の喪失。
それを、メルは熟し続けている。
それを得たのは、一重に、レーヌに隠れて魔王城を抜け出す為。
そして、レーヌに気付かれないまま、森を駆け巡って遊ぶ為。
如何なる時も、その魔力が漏れる事が、……あまり…ないのは、レーヌに連れ戻されない様に、ロベリアと探検を続ける為。
それは今、白妙に気づかれる事なく、この街に息づく人々と戯れるひと時へと共鳴した。
だが、メルは、テラの物語を紡いでいる。
故に、そこに描かれるメル自身が魔王であることも、紡がれていた。
「お姉ちゃんって、魔族なの。」
幼き音色に、メルは凍りつく。
「あ…。」
メルの奏でた、その小さな音色は、全てを語っていた。
テラとの約束を違ってしまった。
ここでは、魔族と気づかれてはならない。
それは、ここに住まう者たちへの脅威を振り翳すに等しい。
そして、それが齎すものは、白妙から向けられる刃の連なり。
メルは、目を伏せ、自らを彼らに捧げる覚悟を彩った。
「何を言ってるの。この子は、魔王よ。」
ため息を孕む音色が、幾つも奏でられた。
メルは、その旋律に、その彩りを見渡す。
「テラの家から出てきて、テラの話ばかりして、テラの名前を言う時だけ、あんなに幸せそうな顔をして。貴女がメルでしょう。」
その音色を紡いだのは、紅茶を贈ってくれた彼女。
「テラが王都を追われた日にね、彼は、ここに寄ったのよ。」
過ぎし日の彩り。
「もう戻れないって、テラは、そう言ったわ。」
周りの大人達も、静かに頷く。
「メルちゃん、あの子、何て言ったと思う。」
その問いに、メルは、首を傾げる他なかった。
ただ、メルの知らないテラの彩りに、瞳の煌めきだけは、隠せずにいた。
「愛する人のために、全て捧げるだって。いつの間に、あんな言葉を覚えたのかしらね。」
その微笑みには、ため息ばかりが彩られている。
だが、それは、ただ穏やかに、大切な子供の記憶を優しく抱いた。
そして、それを聞いていたメルの顔が、燃え上がった。




