第六楽章5節
白妙に名を轟かせる猛者達を阻む、巨城が如き翼。
そこに命は彩られていない。
それは、有であり、無である。
故に、何かに加担することは、赦されない。
それは、禁忌魔法を破る事とは、全く以て非なるもの。
それが、神の使いで在らせる色彩の然め。
だが、白妙は触れてしまったのだ。
越えてはならぬ旋律を、津波と成して押し潰したのだ。
赤きせせらぎ、躙られた花弁。
色とりどりの夢は、炭へと朽ちた。
石造りに膠着く悲痛の残響、雫に流された営みの足跡。
幾万年の移ろいを眺めてきた彼女でさえ、この凄惨な彩りを知ることはない。
それは、友の魂を穢された、怨嗟の旋律。
「我を成す全てが砂塵に消えようとも、汝らに赦しを施す事など、断じて無い。」
その詩は、咆哮を奏で、腕を過信した猛者に降り掛かる。
それは、光でも闇でもない。
神獣リリブランシェが紡いだ警告。
それと対峙するならば、災害と思い、耐えるか逃げよ。
その意味は、爪でも牙でも、魔力ですらない。
それが、その身から発する色彩。
それは、聖域の力。
かつて勇者が対峙した時でさえ、それを見る事はなかった。
今、この刹那、龍が翳したのは、戯れではなく報復。
友の、何よりの宝を、蹂躙し、嬲った者達への憤怒。
最強を誇るグランドシンフォニーは、たった一つの旋律に、その全てを静寂に溶かした。
まるで、初めから何も無かったかの様に、砂塵だけが空を覆う。
「それで、フルールは何処にいる。」
マオが、顔だけを砦内に委ね、小さき灯火を探る。
だが、何処にも、その魔力を感じない。
「フルール様は、メル様の聖域に…。」
安堵から痛みが、失った腕を貫き、全身に纏う。
故に、ヴィオラは、紡ぎかけた言葉の続きを手放した。
「痛むか…。」
マオの壮麗たる毛並みが、先の無いヴィオラの腕に溶ける。
「待て、マオちゃん。人間に加担する事は、禁忌のはず。その身が滅びるのでは…。」
ロベリアが、止めに入るも、マオは静かに笑う。
「今更、何を言う。既に、二度も、お前達に加担した。もうすぐ、私は消える。」
その毛先の一つ一つに柔らかな温もりが芽生え、ヴィオラの腕を包む。
痛みは消えた。
「すまないな。私に残された時間では、痛みを忘れさせることしかできない。」
虹色に彩られていたマオの瞳は、灰色へと朽ち始める。
「いくな、マオちゃん。まだ、フルールにも会ってない。メルちゃんにも、…テラにも。」
ロベリアが、マオの口元を抱く。
その温もりに、マオは瞼を閉じ、静かに微笑んだ。
「もう、目も見えない。だから、気にするな。」
その吐息は、静寂の音色に混ざり合う。
「それに、お前達と私では、時間が違う。語らう時間も、戯れる時間も、残されている。」
「すまない…。」
ヴィオラの、静かな吐息が、沈む音色に靡く。
「お前達は、戦に勝ったのだろう。少しは喜べ。見ろ、幾つもの温かい灯火が近づいてくるのを感じるぞ。」
マオは、光を感じることさえ出来なくなった瞳を、その灯火へと向ける。
まるで、それが見えているかの様に。
「何だ、メル。居たのか…。もっと早く戻れば良いものを…。テラは、どうした。」
その旋律の先に立つのは、チユ。
「私、メルさんじゃないよ…。チユっていうの。」
「そうか…。メルと同じ色の灯火だったのでな…。こちらへ来れるか。」
「うん。」
「チユよ、お前は、メルから何か受けたのか。」
「えっと…、治療魔法の練習の先生をしてもらったよ。」
「ほう…。過酷だっただろう。」
「メルさんは、いつも優しいよ。吐いちゃったり、意識が消えちゃったら、いつも助けてくれたんだ。」
チユは、胸に手を当てて、微笑む。
その温もりを、そこに彩る様に、そっと見つめながら。
「私の治療魔法は、私の力だと扱いきれないからって、メルさんが力を分けてくれたの。」
チユの穏やかな音色に、マオは微笑む。
ゆっくりと顔を上げ、空を見つめながら、吐息に想いを委ねた。
「チユ、お前に感じたメルの灯火は、魂そのものだ。メルは、お前に選ぶ権利と責任を与えたのだろう。今でなくても良い。それを背負うか、手放して平穏に生きるか、選べ。」
チユは、その問いに答える事はできない。
その問いの意味を知ることさえ、出来ずにいる。
その静寂に、音色を落とせる者など、一人としてない。
「チユさん、少し聞こえてましたけど、それ、治癒魔法ですからね。」
ようやく、ここに辿り着いたモーヴを除いて。
「そうだ。お前の持つ魔法は、禁断魔法。その代償は、ロベリアの様に、築き上げたものを削るか、その灯火そのものを削るかの、どちらかだ。」
灰色に朽ちたマオの瞳が、チユを捕える。
「そして、チユ、お前は繊細だ。脆いほど、削るものは灯火に傾く。…メルの様にな。」
「今日だけで、何度も使ったよ。いっぱい吐いちゃった。でも、後悔してない。この先に、ラシレが居るから。」
「残念ながら、お前は灯火を失う事はない。メルから受け継いだ力を手放すまでは。故に、考えて選べ。」
「メルさんに、返すよ。」
「そうか。それも賢い選択だろう。だが、お前は、何か…、誰かを探しているのではないのか。」
揺るぎない灰色の瞳が、チユの奥底へと沈み込む。
「…。どうして、それを…。」
「私は、もう目が見えぬ。故に、見えるものもある。お前の灯火が、そう叫んでいるのを見ただけだ。」
チユは、紡ぐべき言葉を知らない。
ただ、俯くことでしか、答えを彩ることはできなかった。
「さて、ここはもう、安全だろう。見てみろ。鱗が崩れ始めてきている。全てが砂塵となる前に、友人に会いに行くとするか。」
マオは、白妙の王都を包む空を見つめ、静かに体を起こした。
「行くのか…。」
ロベリアが、マオに触れながら囁く。
「当たり前だろう。友に会わずして、終える事などできん。」
綻びゆく翼は、それでも尚、空を覆う。
それは、緩やかな風を靡かせ、空へと舞った。
「もう会う事はないだろう。だが、最後に、お前達の友となれた事を、至福に感じる。さらばだ。」
マオは、その答えを待たずに、空へと羽ばたいていった。




