第六楽章4節
まだ走れる馬は数頭。
ジェルベラは、その麗しき体躯を撫で、選別する。
「居間から言う者、私について来い。残る者は、ヴィオラに従い、プラタヌを筆頭とした魔族、そして砦を守れ。」
「打って出る気か。」
ジェルベラの言葉に、ヴィオラが反応した。
「他に何がある。シェラトン親衛隊は、この灯火の終末地を探しているのだぞ。」
ヴィオラは、何も言い返すことができない。
「だが、この数だ。当然、取り零す。」
「それを、魔法で穿てと…。」
プラタヌが、その手を見つめる。
残された魔力は、僅か。
それは、他の魔族も同じ。
「…ヴィオラ、すまなかった。」
「何だ、急に。」
「アコニの事…、本当に、すまなかった。」
「ここは、戦場だ。」
「それでも…。」
ヴィオラは、ジェルベラの言葉を遮るように紡ぐ。
「私は、お前が戻ってくることを信じているぞ、ジェルベラ。」
ジェルベラは、それに答えず、小さく微笑んだ。
折り重なる刃が降り注ぐ。
赤い花弁に埋もれようとも、我が身の欠片が空に舞おうとも、吐息に赤濁の澱みが満たそうとも、光を一つ失い、やがて全ての光を失おうとも、その剣を持つ指を失おうとも、腕が散ろうとも、足を失おうとも、そして、その首だけが残ろうとも、噛みつき続ける。
そこに壮麗は無い。
だが、何よりも荘厳に彩られていく。
シャルドンの元へ。
その道を絢爛に彩るべく、華々しく。
「私は、今、至福に辿り着いたのだ。」
ジェルベラの瞳に彩られた、最後の旋律。
この日、シャルドン親衛隊の崇高なる騎士の名が刻まれた。
「来るぞ、プラタヌ。」
その波は、弔いの詩を奏でる事さえ許さずに、勢いを増して迫る。
だが、動ける者は、退避に転ずる事ができた。
「我々は、花火を打ち上げようか。」
プラタヌは、僅かな笑みも彩らず、その手に魔力を纏わせる。
「ジェルベラへの、そして我々への弔いの花火を…。」
放たれた火は、畝り、押し寄せる波を穿つ。
だが、開いた穴は、流水の如く埋められ、刹那に勢いを取り戻す。
「簡単には、終わらせないさ。」
猛炎の姫、その名に相応しく、猛々しく荒げた咆哮と共に、重く鋭い一閃が、幾重にも煌めく。
ジェルベラの最後の選定に零れ落ちた男、アブリコには、託された想いがあった。
シャルドンが認めた守りの要、親衛隊が慕った慈しみの彩り。
それは、カレンデュラの花園に、凛と佇むアルストロメリアの如く。
故に、彼を花の国と共に歩ませたかったのだ。
その魂を以て、唯一無二の盾を為すべく。
漆黒の布が忍び寄る影を削り、花の国の盾が振り翳された刃を凌ぎ、花の国の剣が迫り来る剣を退ける。
共に歩んだ色彩の花弁が、空を尽くす様に舞う中で、自らの赤き花を咲かせながら。
流れ込む津波に抗う砦を抜けようと駆ける、複数の影。
それを導くのは、モーヴ。
だが、この足取りは重い。
留まりたいと願う心と、幾つもの彩られた凄惨な傷が、彼らに纏わり付く。
それでも、生き延びる為、テラとメルが戻りし時、その御旗を掲げる為、モーヴは手を離そうとはしない。
「何故…。」
その彼女の前に立つ影に、頬を伝う雫が溶ける。
「メルさんの聖域に行けとは言われたけど、戻ってくるなとは言われなかったから…。」
その手に宿る光が、瞬く間に彼らの傷を治し、心に宿る壊れかけた意志を癒す。
「チユさん、ありがとう…。」
モーヴは、そこに崩れ落ち、チユの柔らかい温もりに抱かれた。
「やはりか…。」
プラタヌが、聖なる魔力の奏でる空へ目を向ける。
「嬉しそうだな。」
ヴィオラは、プラタヌの盾を紡ぎながら、微笑んだ。
「まさか。彼女には、生きてもらわねばならん。」
プラタヌは、微笑みながら、迫る白妙に火を放つ。
「だから、我々が居る。」
「そうだな。できれば、早く聖域へ帰ってほしいが…。」
もう、魔力が無い。
放つ火は、その灯火を彩る。
「プラタヌ、漆黒の布を連れて、退避しろ。」
「もうその力も、残ってないよ。それに、我々は研ぎ澄まされし魔力のナイフを携帯している。」
「そうか…。」
柄を握る手が滑る。
「それを、貸してくれ。」
剣を掲げる力は、もう無い。
「構わないが、脆いぞ。その分、山ほどある。」
雪崩のような音色を奏でて、それが転がる。
「何処に仕舞っていたのだ、お前は…。」
魔族より託されし漆銀が、人族の掌で純白に煌めく。
その刃に赤き花弁を彩ることを、至高の尊しと奏でながら。
散りゆく花。
短き刃で抗える様な色彩など、此処には描かれていない。
もう、立っている者は、数えるまでもない。
「アブリコ、せめて、お前は逃げてくれ。」
ヴィオラは、動かぬ手を捨てアブリコの盾となった。
舞い上がる、その腕は、花弁を描き、空を染める。
「逃げません。私もまた、シャルドンの弟子ですから。」
「もういいんだ。生き延びた者達を、導いてくれ。」
「それは、貴女の仕事です、ヴィオラ様。」
「お前に、その任を、与える。」
残された腕を繋ぐ小さき刃で、振り翳された刃を受ける。
「アブリコ、お前の力は、未来にこそ活きる。無駄にするな。」
左腕一つで抗える様な数ではない。
壁となれる時間など、無に等しい。
それでも、未来に芽吹く種を守りたい。
「今を繋がなければ、未来など存在しません。」
アブリコの慟哭が、空を穿つ。
花の国の防人の心は、既に瀬戸際を超えていた。
誰よりも優しく、温かい騎士、アブリコだからこそ、その雫を止める事ができなかった。
決壊した彼の、麗しい旋律。
その彩りに、ヴィオラを何とか保っていた、張りつめた弦が、遂に、途切れた。
もう、私から、何も奪わないでくれ。
花の国騎士団長である私の首を捧げ、ここにある灯火に哀れを恵んで頂く。
その屈辱の懇願を、口に紡げば、彼らは報われる。
そんな甘美な夢など、ここにあるはずなどない。
「…………。」
誰か、誰か…。
その刃の波は、最後の願いさえも呑み込もうと、蠢く。
「随分と、荒廃しているのだな、花の国は。」
空を覆う影が、砦に咲き潰れる赤い花を覆う。
「ん…。違うよ。本当は、花に溢れた壮麗の楽園だった。」
その背に乗る小さな灯火が、虚な眼を擦り、その手に戻った力を確かめる。
「そうか…。ならば、果たせばならぬな。」
その影は、地を切り裂いた。
それは、砦に迫り来る白妙の波を分断させる。
「ここで、降りるね。」
小さな灯火は、その背を駆け、砦へ舞い立った。
「何でも好きな重さにする魔法。」
選択されたそれは、瞬く間に押し潰された。
そこには、赤き花さえ咲かない。
それは、抑えることのできない心の旋律が、爆ぜる音。
ただ、そこに彩られた気高き魂だけが、それを包んでくれる。
「ロベリア様…。」
その雫は、消えかけの灯火を優しく溺れさせた。
「プラタヌ、よくやった。ヴィオラ、本当にありがとう。」
「私は、花の国の盾。礼を言うべきは、私…。」
嗚咽に崩れるプラタヌを横目に、ヴィオラが音色を紡ぐ。
「ここは、私の友の楽園。それを守り続けた。これ以上の宝はない。」
花が燃え尽き、石造りは崩れ落ち、散った花弁が踏み躙られようとも、彼らは、守り抜いたのだ。
「ロベリア様、その魔力は…。」
掠れた声で、プラタヌが囁く。
「削り落ちた。二度も禁断魔法を使ったのだ。これで済むのなら、安い。また積み上げれば良いだけだ。」
ロベリアは、温かい音色で、プラタヌを包んだ。
「それもそうだが…、その…随分と縮んでる…。……背が…。」
ヴィオラは、震える音色で言葉を紡ぐ。
「え…。」
ロベリアは、音色を失った囁きと共に、手に持っていた、荘厳たる絢爛の宝玉が如く悠久に煌めく愛と絆の最強の杖Ⅶ世を落とした。
その素朴な杖に名をつけたのは、言うまでもなくメルであり、ロベリアが生涯で扱った杖は、この継ぎ接ぎだらけの枝のみである。




