第五楽章10節
第五楽章10節
「来たか…。」
花の砦の城壁に立つヴィオラは、その影を見た。
その鉄の連なりは、容易く花の砦を呑み込むだろう。
だが、それを拒むのは、花の国の盾。
勇者テラに従い、剣を誓い合った魂の彩。
ヴィオラは、踵を返し、アリウムとラシレを呼んだ。
「直ちに、メル様との約束を果たせ。ラシレは、場内に散らばる者を集め、それに従え。」
あわよくば、留まり、守り抜けると思った。
だが、それは淡い夢と散った。
ここは、落ちる。
あの波が、ここに至れば、もう約束を果たすことさえ、難しくなるだろう。
故に、何者であろうと、それを拒むことを許さない。
それが、忠誠に反するとしても、花の国の盾として、果たさなければならない。
「では、ヴィオラさんも、共に行きましょう。」
アリウムの言葉が、ヴィオラの心を揺らす。
「ありがとう。だが、私と花の国の盾は、この砦を守る。ここは、花の国の民の帰る場所だ。」
「テラ様もメル様も言っていました。壊れれば、また建てればいいと。」
アリウムは、ヴィオラに縋る様に、瞳に、その姿を掴む。
「アリウム執政官、ここには、花の国の子らが眠っています。起きていようと、眠っていようと、この国の子を守るのが、花の国の盾の務めです。どうか、ご理解を。」
ヴィオラは、アリウムに跪き、揺るがぬ意志を突きつけた。
「では、僕も残ります。」
「執政官殿。王との約束を、お忘れか。」
ヴィオラの瞳が、アリウムを鋭く突き刺す。
「…。わかりました。」
「ありがとう、アリウム。みんなを、導いてくれ。」
ヴィオラは立ち上がり、アリウムを撫でた。
「ですが、瀬戸際まで待ちます。これは、譲りません。執政官として、宣言します。」
「退くべき時を誤るほど、アリウムは愚かではない。信じているぞ。」
二人の瞳が交い、硬く結ばれる。
「それで、私は何をすればいいんだ。」
ラシレは、二人を交互に見つめながら、首を傾げた。
「だから、みんなを集めて挿し木のところに行くんだよ。」
ヴィオラとアリウムの音色が、違いなく重なった。
花の砦、その中央部には、数え切れない花の国の民が怯え固まっている。
「間も無く、ここに白妙の鉄が押し寄せます。今、荒野の牙が、場内に散らばる者を集めています。揃い次第、弔いの聖域に移動します。いいですか、私たちの目的は、生き残ること。他に何を失っても、後で紡げはいいのです。まずは、生き残りましょう。」
不協和音にも似た、淀む色彩に、言葉を知らぬ小さき命が、泣き声を奏でる。
それは、全ての心に伝播し、ここに至るまでの彩りに耽る。
次に、ここに戻る時、それは、花の国が花の国でなくなっているかもしれない。
そうではなく、花の国が無くなっていると、そう信じざるを得ない。
テラとメルが紡いできた、小さな営みは、この日、潰えるのだ。
「アリウム、諦めるのか。」
ラシレが、アリウムの耳に触れ、小さく囁く。
「私は、諦めないぞ。それに、私たちは、花の国の民じゃない。荒野の牙だ。誰に従うつもりもない。私が、掟だ。」
その言葉に、アリウムは、声を荒げた。
「ラシレさん、駄目です。これは、私たちが触れていい戦いじゃありません。例え、貴女たちが強くとも、それだけは、許しません。」
「そうかよ、王様代理。なら、みんなを守ってくれ。私たちは、言われた通り、砦内に散らばるみんなを集めてくる。でも、寄り道くらいは許してくれよな。」
そう言い残し、ラシレは部屋を去っていった。
それは、鉄の雨と共に始まった。
その距離は、ヴィオラが想定していたよりも、遥かに遠い。
このままでは、手を打つことさえ許される間も無く、殲滅させられる。
「一度、城内へ退避しろ。」
鉄の雨を浴びながら、ヴィオラは叫んだ。
石造りに潜み、外を伺う。
未だ、鉄の雨が止むことはない。
このまま波が到達すると、陣を組むより先に崩れる。
打って出なくては…。
ヴィオラが思案している背後に、誇らしげな旋律が響く。
「早速、荒野の牙の出番だな。」
ラシレ率いる幼き猛者達、その姿は、正に威風堂々。
「いや、みんなの避難はどうした…。」
「もう終わらせた。今は、寄り道中だ。」
「想定外の早さだな。今日は、驚いてばかりだ。だが、良いことと悪いこと、これで拮抗した。次の驚きは、どちらに転ぶか…。」
「それで、あいつらに矢が届けばいいんだな。」
ラシレが穴を覗き、得意気に呟いた。
荒野の牙が持つのは、矢ではなく小石。
その方が、速く遠くに飛ばせるのだ。
「いいか、目一杯、魔力を引くんだ。狙いを定めなくても、あの影に向かって、思い切り飛ばせばいい。あんなにいっぱい居るんだ。一人くらいには当たる。」
小さな兵士たちの大きな背中は、静かに魔力を高める。
「行くぞ。」
ラシレの咆哮と共に、それらは放たれた。
そして、後ろに構えていた第二陣が、続けて小石を飛ばす。
それは、鉄の雨が降り止むまで続いた。
そして、幾つかの小石が、荒ぶる鉄の動きを止める。
それは、白妙の旅団の戦力を、僅かだが削ることとなった。
「鉄の雨は止んだ。だが、もう少し、このまま続けてくれると助かる。」
「任せろ。」
荒野の牙の中で、ラシレだけが、一人で何度も小石を放っている。
そして、ヴィオラと目を合わせることもなく、それを続けていた。
「陣形を組め。備えるぞ。」
ヴィオラの咆哮が響き渡る。
「ラシレ、十分だ。アリウムのところへ行って、みんなを守ってくれ。」
ヴィオラは、可能な限り、穏やかに紡いだ。
しかし、そこに孕む想いに気づけぬほど、ラシレは愚かではない。
荒野の牙を砦中央に集めたラシレは、チユを呼んだ。
「何かする気でしょ。許さないよ。」
「チユ、許してもらおうなんて、思ってない。けど、万が一の時は、荒野の牙を頼んだ。」
そう言い残し、ラシレは秘密の経路に溶けていった。
チユは、それを見送ることしかできず、ただ、そこに立ち尽くした。
そして、誰一人として、ラシレの後を追う影に気づく者は居なかった。




