第五楽章9節
混濁の意識を呼び覚ました、穏やか音色。
それを紡いだのは、唯一の存在。
それは、人間に関わることのない、神と呼ばれし存在。
その存在に名を付けたのは、メル。
「マオちゃん…。」
ロベリアの声に、マオは顔を近づける。
「魔力が似ていると思ったら、呼び方まで似ているな。…そうか、お前がロベリアか。」
「何故、私を…。」
「メルが、人形劇の魔法で、見せてくれていたのでな。」
「…そうなんだ。……………どんな役だったの。」
「強くて格好いい、可憐なお姉ちゃんと言ったところかな。本人が、そう言っていた。」
「そうか…。メルちゃんは、そう思ってくれてたんだね。それだけ聞ければ、もう灯火を失ってもいいよ。後悔はない。じゃあ、おやすみ。」
「待て、まだ寝るな。お前もメルと同じで、物怖じしないな。」
マオが、ゆっくりと顔を上げ、砂塵に埋もれる白妙の連なりを見る。
「テラから、強い魔力を感じたら、そこへ行き、守ってくれと言われたが、まさか、子守だったとはな。期待通りだ。それで、あそこで戯れている子らと遊べばいいのだな。」
「いや、あれは…。」
「わかっている。お前の子だけではないのだろう。流石に、あんなに産むのは、小さき命の忙しなさでも、無理だろう。」
マオの微笑みが、ロベリアを仰ぐ。
「お前の言っていたお遊戯、私が変わってやろう。フルールが居ないのが残念だが、今は、まあ良い。」
穏やかに広げた翼は、空を覆う。
その風圧で、砂塵が消し飛んだ。
「これでも、文献で学んできたのだ。子供との遊び方をな…。」
マオの微笑みが、小さな不協和音を彩る。
「文献…。」
ロベリアに宿る、小さな音色。
微睡みと現に揺られ、言葉を紡いだ。
「母友必見!わくわく子育てマニュアルという本だ。貸してやろうか。」
「私は、まだ恋人ができたことがない…。」
暗く彩る、ロベリアの音色。
「龍でさえ、結婚しているというのに…。」
「いや、私には夫も子も居らん。」
「え…、何で、その本を読んだの…。」
「無論、フルールの子守りをするためだ。」
マオの誇らしげな旋律が、空を彩った。
マオが、雲の麓まで飛び上がり、ゆっくりと降下していく。
「どうだ、ロベリアよ。少しは、心が軽くなったか。思い詰めていても、何も変わらんぞ。自ら選んだのなら、堂々と歩け。」
風を切る音色が、澄み渡る。
「まあ、今はゆっくり休んでいるといい。私の子守唄でも聞いていろ。」
その詩は、古の咆哮。
それは、無垢なる旋律。
故に、聞く者を貫き、そして、聞く者を癒す。
ロベリアは、その音色に身を委ね、刹那の夢に咲いた。
そして、その咆哮は、溶岩の旋律を変えた。
迫り来る山の如き影に、白妙は慄き逃げ惑う。
刃の咆哮は、灯火の叫びとなり、より遠くへと退こうと、互いに引き摺り合った。
「何だ、追いかけっこがしたいのか。いいぞ。ほら、逃げ惑え。」
白妙の連なりを掠める様に旋回し、その風が駆ける足を薙ぎ倒す。
溶岩と言えど、その鱗を焦がすにさえ至らず、その羽ばたきが、全てを凍り付かせた。
「白妙に魂を捧げた騎士よ。誓いを忘れるな。」
旅団を指揮する少将の咆哮が、大地を駆け抜ける。
それは、剣を持つ者たちの魂を貫き、逃げ惑う足は踵を返した。
だが、聖剣でさえ、かすり傷ひとつで終えた鱗に、通ずるものなど何もない。
「それを、私に向けてしまったら、蹂躙する理由を与えてしまうぞ…。」
静寂の雷鳴が、大地を揺らす。
賢き者は、矛先を変え、愚かな者が、それに抗う。
やがて刃は、白妙に向き合い、一つの赤い花弁が舞った。
それは、始まりに過ぎない。
留まる溶岩と、逆流する溶岩が、赤を携えて混ざり合い、自らの手で削り取っていく。
目の前に立つそれが、どちらなのかさえ知る事もなく、刃が先に舞う。
咆哮が怒号へと旋律を変える頃、それを紡ぐ口は、吐息さえも手放した。
だが、それよりも前に、彼の指揮は全てを失っていた。
ただ、赤い花だけが咲き乱れ、そのせせらぎは大海を成し、砂塵の園は、真紅の幻想へと朽ちてゆく。
最後に立つ一人は、その彩りに夢を呑み込み、自らを覚ますべく、喉に刃を突き立てた。
マオは、空高く陽光に触れながら、それを静かに眺めているだけであった。
「…ん。」
小さな吐息が、静寂に響く。
「ロベリア、やっと目を覚ましたか。」
その声に、ロベリアは飛び起き、現状を知るべく、周囲の彩りを瞳に刻む。
「これは…、マオちゃんがやったのか…。」
「馬鹿を言うな。私は、灯火を持つ者に加担はしない。そして、する事ができない。それは、私に課せられた、唯一の禁忌。破れば、私は消える。」
不快な鉄の匂いよりも、その彩りに、ロベリアは、吐瀉物を飲み込む。
「では…、どうやって…。」
「私は、子守唄を唄い、追いかけっこに加わり、後は見ていただけだ。この哀れな子供たちが、自ら灯火を奪い合った。それだけの事だ。」
マオの瞳に映る、灯火の抜け殻。
「生憎、私は、子供の喧嘩を止める方法は、まだ学んでいないのでな。」
「私は、多くの灯火を、…踏み躙った。」
「それで守られたものもあるのなら、その言葉は、守られたもの達への呪いとなるぞ。神王ロベリアよ、口には気をつけた方がいい。」
「すまない…。」
「さて、私は帰るとしよう。フルールに会えなかったのは、残念だが…。」
マオが、ロベリアを立たせ、自らも起き上がる。
その広大な翼をゆっくりと開き、ロベリアに微笑みかけた。
「マオちゃん、フルールに会っていかないか。」
揺るぎない瞳が、マオを捕える。
「ロベリアよ、私を図る気か。」
「すまない、花の砦まで送ってほしい…。転移魔法を使えるほど、魔力が回復していない。」
「お前は、転移魔法まで使えるのか。優秀な魔族だな。メルより優秀かもしれんぞ。」
「メルちゃんも、転移魔法は習得しているよ。私より遠くへ行ける。ただ、どこにでも行ける…の様な、変な名前をつけていたが…。」
「ロベリアよ、お前も、重力操作魔法を、重さを好きに変えるやらと、変な名前で言っていたではないか。」
「いや、あれも、メルちゃんが付けたんだ…。」
「…そうか。」
「それよりも、それを知っているということは、ずっと見ていたのか。」
ロベリアは、言葉にできない彩りを奏でながら、マオを見つめる。
「言っただろう。私は、どちらにも加担できないと。」
マオが、ゆっくりと背を丸め、ロベリアに乗る様に促す。
「さあ、行くぞ。案内しろ。」
空を駆ける影は、大地を小さく彩り、風よりも早く貫いていった。




