第五楽章7節
「渓谷で迎え撃ちましょう。」
ジェルベラの描く絵図は、国境付近に拠点を築くための連なり、第四旅団を撤退させた色彩の再現。
しかし、この地を良く知る者には、それは同意しかねるものだった。
「この森に繋がる大きな道は、あの地の他にも、渓谷を持つ。だが、それでは、漆黒の塔から離れすぎてしまう。」
プラタヌが、静かに言葉を紡ぐ。
「小隊に分ければ、迂回できる道もあるからな。それを、人族が知るかはわからん。だが、彼らの事だ、すぐに見つけるだろう。そうなれば、漆黒の方は、無防備になる。」
ロベリアが、静かにプラタヌを見る。
「それに、私との約束を果たすには、塔に近くなければ、難しい。」
だが、森で迎え撃てば、そこに住まう灯火に、甚大な被害を齎す。
「森を拠点とし、そこに入らせぬ様、正々堂々と相対しようではないか。」
「ですが、それでは…。」
「数が圧倒的に足りぬか。」
ロベリアは、微笑みながら、ジェルベラを見つめる。
「数もですが…、白妙は、荒野での戦いを、最も得意としています…。」
「そうだな。だが、私の持つ魔法に於いては、荒野が最も使いやすい。」
レーヌが、ロベリアをメルの傍に置くことを赦した理由の一つ。
それは、ロベリアだけが持つ、他愛も無い、小さな魔法。
だが、メルを守るという点に於いては、優れた魔法。
メルが、花を咲かせる魔法を磨く傍らで、ロベリアもまた、それを磨き続けた。
やがて、他愛もない小さな魔法は、静寂の禁断魔法へと開花した。
「ロベリア様…、脅しで退いてくれる様な相手ではないと思いますが…。」
プラタヌは、知っている。
ロベリアが、その魔法を、灯火を持つ者に対し、攻撃を目的として使う事はない事を。
かつて、荒野の牙が、その魔法の片鱗を見て、同盟を拒んだ様に、白妙が、慄き退くと考えているのであれば、それは夢想の戯言。
「メルちゃんは、夢を見ていた。…今も見ている。共存という夢を。私は、それを叶えてあげたい。だが、メルちゃんの友人であると同時に、私は、王だ。」
「脅しで終わるつもりは、無いと…。」
プラタヌは、目を伏せ、小さな音色へと沈む。
「脅しで済むなら、それで済ませたいが、手を汚す事も、私の責務だ。」
「それは…。ロベリア様、禁断魔法の行使は、どの様な反動を生むかわかりません。ご存知でしょう。」
「プラタヌ、私は、王としての責務を語っている。」
静寂が、小さな部屋を包む。
やがて、ジェルベラが、静かな音色を奏で始めた。
「では、我々、花の国の剣が前線に出ます。それを盾に、漆黒の布の魔法で、迎え撃つ。ロベリア殿の、その魔法は、最後の手札として、最後方で然るべき時を見極めてください。」
「申し訳ない…、ジェルベラ。森の中や渓谷であれば、貴方達を、その様に扱うこともなかったが…。」
然るべき時は、もう定まっている。
だが、出来れば、そうならないことを、ロベリアは強く祈った。
波が来る。
砂塵に紛れ、白銀の影を揺らめかせ、重く鋭い旋律と共に、地平を埋める。
「プラタヌ、ジェルベラ殿。何度も言うが、約束は違えるなよ。お前たちの成すべき事は、守る事だ。」
ジェルベラが静かに頷き、プラタヌは小さく囁く。
「ロベリア様も、生きる事をお約束してください。」
「ありがとう。…尽力するよ。」
漆黒の布が、火の礫を空に放つ。
それが、白妙の連なりを包む雨となる頃、花の国の剣が、蹄を奏で始める。
ぶつかり合う咆哮が、鉄の重なりを凌駕し、赤い花弁に舞う。
荒ぶる吐息と、軋む骨。
それでも、花の国の剣を包む漆黒の武具は、欠けることなく、旋律を奏でる。
踏み躙られる赤い花に祈りを捧げる事などなく、ひたすらに、灯火を握り合い、それを引き千切る。
崩れ始めた白妙と、綻びを奏で始めた花の国の剣。
やがて、その合間を縫って、赤いせせらぎが漆黒の布へと忍び寄る。
守りに脆い漆黒は、容易く夢に堕ち、振り返る先には、愛する塔が揺れている。
同じ数であれば、退けたであろう。
だが、控えているのは、第二波。
津波は勢いを増し、綻ぶ剣と布へと流れ込む。
「退避だ。」
この波が、ここに達すれば、それすら叶わなくなる。
故に、ロベリアは、静寂の咆哮を奏でた。
それは、約束を果たす時を告げる。
然るべき時を見たロベリアは、その魔法の封を解いた。
「何でも好きな重さにする魔法…。」
その名を授けたのは、メル。
ロベリアは、この響きが好きではなかった。
だが、メルが与えてくれた名を愛している。
赤い花弁の雨の中、約束を果たさんと駆ける漆黒と、それを追う白妙。
その連なりを囲む様に、光が放たれる。
ロベリアの魔力が蠢いたのは、その向こう。
迫り来る第二波へと、深く沈み込んだ。
それは、津波の勢いを緩めるに至る。
だが、それは、より強い咆哮を産み、より硬い波へと紡がれる。
故に、その魔力は、軋む音色を孕みながら、どこまでも深く、沈み込んだ。
メルと共に磨いた、他愛のない小さな魔法。
凡ゆる戦いに身を投じてきた荒野の牙を戦慄させた、たった一つの魔法。
それは、数え切れぬ灯火を嬲る様に、篩にかけるも事なく、全てを押し潰す。
「ごめんね…。」
その頬を伝う雫の色を、ロベリアは、知ろうとはしなかった。




