第五楽章6節
月が、花の砦を彩る。
アルストロメリアがそよぎ、安らかな音色を奏でた。
「良い風だ。」
ヴィオラは、荒野を見つめている。
難は去った。
だが、それは、第一波に過ぎない。
遠く見えぬ影は、確かに蠢いている。
津波は、これから来るのだ。
対して、花の国の盾の傷は、浅くはない。
ラシレ達の影の活躍があったからこそ、この傷で済んだ。
それでも、子供達に、危険な真似はさせられない。
中庭に集まる、荒野の牙。
「いいか、今回の作戦は失敗だ。」
ラシレは、その中央に立ち、神妙な彩りを紡いだ。
「でも、勝ったよ。」
子供達が、不安そうな音色を奏でる。
「勝ったのは、大人達だ。荒野の牙は、何人が怪我をした。五人だ。五人もだ。かすり傷かもしれない。でも、上手く逃げられなかった証拠だ。」
ラシレの言葉に、子供達が目を伏せる。
「誰のせいだ。お頭である、私だ。…だけど、謝らないぞ。その代わり、次は、成功させる。」
「謝らないんだ…。」
チユが、静かに微笑んだ。
「だから、お前たちも約束してくれ。必ず逃げることを優先するんだ。もう少しできそうだと思っても、助けなきゃって思っても、ほんの少しでも怖いって思ったら、ほんの一瞬でも危ないって思ったら、逃げろ。私たちの必殺技を忘れるな。」
ラシレは、拳を差し出した。
チユが、そこに拳を合わせる。
やがて重なる拳は、一つの想いを奏でた。
「明日も明後日も、毎日、みんなで集まる。これが荒野の牙の掟だ。」
中庭に繋がる扉。
そこに背を預けるのは、ヴィオラ。
やめさせるための言葉を準備していた、その口は、代わりに微笑みを奏でていた。
中庭に集まった子供達が、それぞれの部屋に戻ろうする中で、小さな囁きが、チユを引き留めた。
「あの、チユさん、相談が…。」
「どうしたの、エシナセ。」
彼は、視線を合わせず、ぎこちない音色を奏でる。
「ラシレさんのことなんだけど…。」
「ラシレが、どうかしたの。」
チユは、微笑みを彩りながら、次に紡がれる言葉に、緊張を隠せずにいた。
「あの…。」
刹那の静寂が、永遠に感じる。
ここで、荒野の牙に歪みが生じることだけは、避けたい。
例え、小さくとも、チユにとって、荒野の牙にとって、これは守る為の戦いなのだ。
だが、もし、その恐怖に耐えられないのであれば、その限りではない。
だから、エシナセが、どの様な選択をしようとも、チユは受け止める覚悟を噛み締めた。
「ラシレさんって、好きな人は居ますか…。」
チユの的は、大きく外れた。
「……え。」
「いえ、あの、何でもないです…。」
「いいのよ。でも、どうかな。あの子、そういう事には、疎いから。きっと、自分では気づかないと思うよ。」
「ということは、やっぱり、居るんですね…。」
「エシナセの目には、居る様に、見えてるのかな。」
「…見えてないです。」
「そうよね。だって、ラシレだもの。」
少し照れた微笑みが、中庭にこだました。
「それじゃあ、おやすみなさい。」
チユは、手を振り、エシナセを見送った。
「今日は、月がとても綺麗ね。」
その瞳に、穏やかな空を彩り、部屋に戻ろうとしたチユに、ラシレが声をかけた。
「チユ、相談したい事があるんだ。」
「…いつから、そこに居たの。」
「えっと、小腹が空いたから、つまみ食いしに行って、チユの部屋に行ったけど、居なかったから、ここに来たんだ。」
「そう…。それは、本当に良かったよ…。」
「怒らないのか。」
「何を…。」
「つまみ食い…。」
「後で、お説教するつもりよ。」
「…。」
チユは、微笑みのため息を彩る。
「それで、どうしたの。」
チユの言葉に、ラシレは、真剣な眼差しを彩った。
「あのさ、恋って何だ。」
「……え。」
エシナセとの会話を聞いていたのだろうか。
でも、ラシレは、つまみ食いをしに行って、今、来たところだと言っている。
ラシレは、嘘をつける子じゃない。
でも、その言葉は、何かを知っている。
確かに、ラシレは勘が鋭い。
でも、それは、生きることに対してであって、恋愛には疎いはず。
ラシレが、勘付くはずはない。
いや、勘付いていたとしても、良い気もする。
その方が、先に進むから。
でも、恋って何だと聞いているということは、エシナセの想いを知って、どうして良いのか分からずに、悩んでいるに違いない。
血は繋がらなくとも、ラシレは、チユのお姉ちゃんで、チユは、ラシレの妹、その彩りの中で、灯火を紡いできた。
ならば、姉妹として、力をかさなくては。
その想いが熱く滾り、想いを繋ぐ天使となる覚悟を決めた。
「恋というのは、いつも、その人を想って、その人を見つめて、その人と何をしたいか想像して、その全部が幸せだと感じることかな。」
「そうか。チユは、そうなったことあるのか。」
「…………ない…。」
「無いのか。あのさ、聞いてくれ。チユが、今、私に教えてくれたこと、確かに、そうなんだ。」
「好きな人がいるの、ラシレ。誰なの。」
想像を絶する彩りが、チユに眩暈を押し付ける。
「好きな人かは、わからない…。でも、エシナセの事を、いつも想ってしまうんだ…。」
その刹那、チユは、乱舞を抑えきれなくなった。
月は、遠く離れた漆黒の塔へも届く。
その灯りは、息を潜める魔族の民を、優しく包む。
渓谷での戦いから、大きな動きはない。
だが、その静けさが、やがて来る津波の大きさを彩っている。
「プラタヌ、恐らく三日以内に、白妙は攻めてくる。」
「そうですね。早ければ、明日にでも…。」
「…これを、首に下げよ。」
ロベリアが、渡したのは、メルから贈られた木の指輪。
「絶対に、はめるなよ。はめていいのは、私だけだ。絶対にだぞ。本当に。」
「心配なら、その瞬間まで、お持ちになればいいのでは…。」
「その瞬間に、渡せるとは限らんだろう…。」
ロベリアが、指輪を通した首飾りを、中々、手放そうとしない。
「ロ、ロベリア様…。」
「わかっている。……メルちゃん…、許してくれ…。」
「預かるだけでしょう…。どうして、そこまでして…。」
プラヌタの手のひらに彩られた、愛の印である木の指輪を、いつまでも名残惜しそうに撫でながら、ロベリアは、静かに奏で始めた。
「何かあれば、魔族を集め、挿し木に触れ、この指輪に魔力を込めよと言われた。だが、そうする事で、何が起こるかは、聞いていない。メルちゃんのことだ、悪い様にはならない。だが、あの子は少し抜けている。何が起こるか、伝え忘れたのだろう。全く、世話の焼ける…。いや、世話したい。会いたい。会いに行っても良いと思うか。いや、駄目だ。いつ、白妙が攻めて来るかもわからぬ今、ここを離れるわけにはいかない。そうだろう、プラタヌ。」
プラタヌが、肩を弾ませ、ロベリアを見つめる。
「私に、話しかけていたのですね…。」
「他に、誰も居らんだろう。」
「そうですね…。果たすべき事は、必ず果たします。ですが、それは、ロベリア様がしても、問題ないのでは…。」
「私は、全てを見届ける。それが、王としての務めだ。」
「ロベリア様は、本当に、変わりませんね…。いや、メル様と再会してから、急にメルちゃんと呼び出したり、想いを隠さなくなったところは、大きく変わりましたが…。」
「王のプライベートを、詮索するな…。」
頬を薄紅に染め、ロベリアは、鋭い視線を突き付ける。
「目を逸らしても見えるほど、溢れ出てますよ…。」
その視線に、プラタヌは、ため息で応えた。
この先に待ち受けているものの大きさは、誰もが理解している。
故に、今だけは、甘美なる凪を、強く抱き、ひたすらに撫で続けた。
その凪を打ち破る旋律は、暁と共に奏でられる。
鈍く低い音色は、魔族の森を呑み込まんと迫り来る。
それは、異様なほどに緩やかに、しかし、揺らぐ事はなく、侵食を始める。
「プラタヌ、ジェルベラ殿、良いな。約束は、違えるなよ。」
迫り来る巨大な影を眺めながら、ロベリアは、強く囁いた。




