第五楽章序節
遠い昔。
それは、おとぎ話が生きた時代。
彼女は、既に生まれていた。
「シエル、おはよう。」
その声に瞼を開けるのは、巨大な翼を持つ龍。
「何だ、ロアか。私は眠っているのだ。去れ。」
大きく口を開け、花の香りを吸い込む。
そこに彩られた牙だけで、隣に佇む影を飲み込む。
「大きなあくびだね…。」
「お前達が、小さいだけだ。」
小さな音色が、遠くから響いてくる。
「ほら、待ち人が来たぞ。ロア、行ってこい。」
「いや、今日は、ここで話すんだ。」
ロアの揺るぎない瞳が、シエルを彩る。
「私は眠っていると言っただろう。邪魔をするな…。」
「シエル、君に見届けてほしいんだ。これが、最後になるから。」
風が、二つの影を包む。
「何だ、喧嘩でもしたのか。」
「そうだね…。でも、私たち二人の喧嘩ではないよ。でも、止めることはできないんだ。」
「そうか。まあよい。見届けるだけなら、してやろう。」
シエルは、ゆっくりと体を起こした。
空が半分ほど失われ、大地に果てのない影が彩られる。
「久しぶりだね、レーヌ。」
互いの腕が、優しく包み合う。
「ロア…。やっぱり、ダメだったわ…。」
レーヌの頬に、雫が咲く。
「僕もだよ…、レーヌ。」
その時、大地を照らしていた光が何だったのかは、覚えていない。
「なら、誓いを立てよう。」
ロアが、静かな微笑みを彩った。
「うん。誓うわ。ここで…。」
レーヌの柔らかな微笑みが、雫に溺れる。
「僕は、この争いが終わるまで、灯火が潰えようとも、加護を与え、最後まで見届ける。」
「私は、この争いが終わるまで、この灯火にかけて、この手と瞳と心で守り、最後まで見届ける。」
二つの音色が重なり、織り成す旋律が、空に届く。
その彩りは、青天の星屑となり、大地に降り注ぐ。
それは、番いを祝福する恵みの様に、煌めきを彩る。
「いつか、あなたの手で、この身に宿す魂の連なりを、終わらせてくれる日まで。」
絡み合う吐息が重なり、一つの想いへと溶けていく。
私は、夢を見ていた様だ。
懐かしい夢を。
そうか、私の名前は、シエルだったのか。
生も死もなく、ただ存在し続けた私でさえ、悠久に感じる時の彩りの中で、忘却に奏でてしまっていた。
今の私には、マオという名がある。
ただ、あの時、メルが、私に与えるつもりだった名前も、空だった。
どれだけ迷ったかは、わからないが、私は、マオと呼ばれることになった。
だが、その迷いの欠片が、今となれば、何かを知っているかの様に感じる。
いや、きっと、意識なく触れただけだろう。
それでも、私は、その事が少し嬉しく感じる。
いつか、私という存在が消え、新たに私が生まれるとき、私は、その名を謳おう。
マオという名は、永遠に、大切にしまっておきたい。
故に、空を奏でるのだ。
聖剣が、墓標となり、砂塵に埋もれる地で、私は、目紛しく移ろう小さな命の旋律を、静かに眺めている。
それに、自ら触れることはない。
触れれば、私という存在が、許されなくなる。
ただ静かに、消えていくのだ。
そうでなくとも、触れるつもりもない。
恐らく、それは、これからも。
元勇者テラと、元魔王メル。
この二人が彩る、儚い笑顔を見送り、私は、もう一度、眠りに就いた。




