第一楽章1節
「月が泣いている…。」
再会したアルストロメリアの丘へ向かう道。
小さな廃墟で、寄り添い眠る。
崩れた屋根から、星々の囁きが降り、月が私たちを詠う。
安息の音色が、穏やかな静寂を奏でる中、メルは囁いた。
私は、その声に現を見つけ、メルを抱く手を緩める。
空を抱く瞳は、虚ろな波となって彩る。
微かに伝わる震えが、私の心を貫く。
私は、無意識に立っていた。
綻ぶ床の旋律が、崩れた屋根を揺らし、月光に奏でる。
何も持たずとも、この身がある。
傀儡の残り火が、今も疼いている。
まだ、間に合うかもしれない。
だが、私を包む温もりが、それを止める。
「もう、終わったことです…。」
私は崩れ落ち、メルの瞳から溢れる雫に頬を寄せる。
「すまない。」
全て、私のせいだ。
あの丘で、メルを説いた時に、気づいていたはずだ。
聖剣を墓標に立てた刹那、それは揺らぎを奏でた。
その波紋が、メルの大切なものを呑み込んだ。
「私が、選択したことです…。」
私を包む温もりが、指先を立て、鼓動が溶け合う。
「テラは、何も悪くありません…。」
私を写す瞳の中で、星の輝きが乱れ落ちた。
重なり紡ぐ慟哭が風に舞い、空を覆い始めた雲に咲く。
この旋律が讃美歌となり、レーヌに届くようにと。
暁が悪夢を拭う様に、露の彩りが移ろう。
それは、静寂の中に奏でられた追憶の詩。
囁きの音色が、幾つもの欠片の海へ蒼く沈む。
「幼い頃は、レーヌが怖かったんです。」
常闇に揺らめく燈の儚い微笑みの中で、メルの吐息が揺れた。
「私は、魔術書より御伽話ばかり読んでいましたから…。」
メルの指先が光を奏で、色彩を紡ぐ様に空をなぞる。
その軌跡が拙くも可憐な絵となり、廃屋を舞台へと変えた。
「驚きましたか…、私が生んだ魔法です。」
メルの彩る二つの人形が、穏やかに鼓動を奏ではじめた。
「民の子たちに、喜んでもらいたくて…。」
私の頬に触れるメルの髪が、柔らかく揺れる。
「レーヌに…、褒めてもらった魔法です。」
メルを包む私の手が、静かな鼓動に溶け、幕が上がる。
「魔王様、いつになったら魔法を覚えるのですか。」
それは、レーヌを描く旋律。
その氷の温もりが、静寂の中に広がる。
「お花を咲かせる魔法なら、覚えたよ。」
共鳴する様に奏で始める、メルを描く旋律。
二つの旋律が連なり、遠く揺らめく灯火へと誘う。
「命を司る禁断魔法です。魔王様、少しは威厳を…。」
「その名前は、可愛くないから、好きじゃないの…。」
レーヌのため息を抱く様に、メルの頬に雫が揺れる。
「貴女の様な子は、初めてです。」
メルの髪を撫でる温もりは、慈しみの笑みに芽吹く。
小さな物語は、幾つもの音色を重ね、蕾へと彩る。
「メル様、また城を抜け出したのですか。」
メルに触れるレーヌのカノンが、移ろう舞台に共鳴する。
「次は、共に来てくれるということかしら?」
淡い想いを秘めたメルの微笑みが、レーヌの心を撫でる。
「人族の動きも不穏になっていますので、当然です。」
閉じた瞼に視線を包み、メルの想いを心に奏でる。
「ありがとう、レーヌ。あの子たちも喜ぶわ。」
レーヌの包む繊細な温もりは、いつだって、月の旋律となり、物語を待つ星々へと降り注いだ。
「何か、私の話でもされているのですか?」
メルの奏でる音色の一つとなる喜びが、レーヌの囁きの中に反響する。
「人形劇の魔法を、作ったのよ。」
新緑の息吹きが、誇らしげに咲いた。
「あの子たちに、レーヌ姫の物語を見せてあげたくて。」
俯き、背に歌うレーヌの雫が、静寂の廊下に溶ける。
「魔法の創造…偉業を成されたのですね。メル様らしい…素敵な魔法です…。」
レーヌを抱くメルのカノンが、静かな舞台に共鳴する。
幾星霜に揺らめく物語は、終焉の詩に咲く。
「レーヌ、どちらへ行っておられたのですか。」
小さな玉座を彩る花は、せせらぎの音色に寂寞の想いを委ねる。
「少し気になることがあり、視察に出向いておりました。」
穏やかな花園に、静寂の旋律が反響する。
「…勇者が、国境を跨ぎました。」
風が泣き、レーヌの紡ぐ旋律に不協和音が響いた。
「メル様ほどの魔力なら、今からでも遅くはありません。どうか、攻撃魔法を…。」
それでも花は咲き誇り、讃美歌を奏でる。
「レーヌ、城の者と共に退避してください。私は、覚悟の上で、選びました。」
御伽話に、雫が揺れる。
いつか見る貴方の、大切な夢と共鳴することを信じて。
小さな空間を彩る華やかな舞台は、静寂の奥へと煌めいてゆく。
メルの吐息が静かに濡れ、私の腕を伝う。
その彩りを抱く様に、私は囁いた。
メルの知らぬ、私に残した音色。
レーヌの秘めた旋律。
それさえも、今はメルに奏でたい。
今も私の心に残る残響。
それは、レーヌの整然たる音色に、幕を開ける。
「テラ殿、お詫びを申し上げます。」
メルと共に魔王城を出る前夜、その彩りは星々の元に降り注ぐ。
「貴方には、ここに来てほしくありませんでした。」
私は、静かに、あの夜の色彩をなぞりはじめた。
「貴方が、魔王様を討ちに来たと、そう確信しておりました。」
人族と魔族の世界の狭間、私は独り彷徨っていた。
人の棲まう息遣いが淡くなるほどに、潜む牙は鋭くなる。
私と共にした幾つもの音色は、既に朽ちていた。
それでも足跡を彩り続けたのは、魔王に逢うため。
私は、遠くに遺る、仲間たちの旋律に還りたかったのだ。
「故に、我が領地の凡ゆる苦難を、貴方へ落としました。」
目を伏せ、漆黒の石造りへと零す様に、囁きを奏でる。
「それでも、貴方は、何も傷つけようとはしませんでした。」
見据えた瞳に映る私に、脈動が反響する。
「それは、私が臆病だからだよ。」
それは、私へと向けた自戒の旋律。
だが、レーヌの音色は、それを優しく包む。
「一度だけ、私の放った魔獣を討ちましたね。」
忘れもしない、混濁の彩り。
赤いせせらぎに、鼓動を賭した日。
「あの近くに、魔族の民の集落がある事を、勇者殿、貴方は知っておられましたね。」
その見透かす瞳は、空を描く星々の様に全てを掬う。
「民を守らずして、私の命に意味などない。」
穏やかな笑みが、冷たい温もりを奏でる。
「ですが、魔族の民です。」
「だが、そこには、何を持つかの違いしかない。」
旋律が止まり、月の輝きが花々を揺らす。
「これは、私にとって貴重な宝珠。テラ殿に差し上げます。」
レーヌの手から流れ落ちる黄金の首飾りが、せせらぎの音色となり、私へと流れる。
煌めく純白の石からは、身を焼くほどの魔力が静かに旋律を奏でている。
「これを、必ず身につけていてください。」
吐息に絡み合う囁きが、私の耳を撫でる。
「そして、勇者殿、私の最後の願いを叶えていただきたく思います。」
突き刺さる眼差しが、静寂を生む。
「どうか、最後まで、メル様をお守りください。」
静かに綴じられた旋律に、メルの髪が揺れる。
「その首飾りは、魔力を持たずとも、誰かを癒します。」
私の腕へと伝う雫に揺らぐ音色が、触れることのできない温もりへと想いを馳せる。
「レーヌは、治癒に関する魔法だけは、使えませんでしたから…。」
やがて、宝珠の波を子守唄に、囁きは、吐息へと漂う。
廃墟に差し込む光が、私の胸元に鼓動を彩りはじめた。




