第四楽章5節
「我々は、行かなくていいのですか。」
漆黒の塔で紡がれた言葉に、ロベリアは優しく奏でる。
「私たちが手を出せば、戦争は激化するだけだ。」
魔族の軍として迎えば、そうなる事は、避けられない。
既に、魔族は、敗北の色彩を纏っている。
「それに、メルちゃんが、約束してくれた。魔族と人族の関係を変えると。」
魔族の軍は、もう、見ていることしかできない。
「今度は、私から会いに行かないとね。」
メルが残してくれた、一つの挿し木。
メルとテラの聖域の大樹の欠片。
これに触れ、願いを込めると、他の挿し木へ誘われる。
だが、我が身を移すだけで、多くの魔力を消費する。
メルは、穏やかな彩りを乱すことさえなく、それをやってみせた。
これが、魔王との差であることを、ロベリアは、愛でた。
可憐な挿し木を、優しく撫でながら。
挿し木から、ほのかな光が一つ芽生え、穏やかに漂った。
荒野を駆ける幾つかの小さな影。
ラシレの率いる牙が、花の村へ足跡を刻む。
「ラシレ、ちょっと速い…。」
先陣を切るのは、ラシレ。
その後に続く影は、斑らに散らばる。
「チユ、いや、お頭補佐。私はお頭…いや、傭兵戦隊みんな怯える最強の荒野の牙のお頭だ。戦場では、そう呼べ。」
「うん。ラシレ、もう少しゆっくり走ろう。みんな着いてこれてないよ。」
「お頭だ。」
傭兵戦隊みんなが怯える最強の荒野の牙のお頭の咆哮が、最後尾の影まで響いた。
チユは、最後尾へ駆け、安否を見て回る。
彼女だけが、荒野の牙で治療魔法を使うことができる。
戦場に於いても、彼女だけが牙を向けず、駆け回り続ける。
故に、唯一、ラシレに追いつくことができた。
先頭へと戻るチユの目には、立ち止まるラシレと、複数の影が彩られた。
「お頭、この人たちは…。」
「知らん。だけど、あの旗は、統領の仇の模様だ。」
「白妙の騎士…。」
「そうだ、あいつは、しろ…しろ……人族の騎士だ。」
「うん、しろたえの騎士だね。どうする。逃げようか。」
「馬鹿言え。逃げられるわけがないだろう。」
ラシレの握られた拳が、震える。
「だから、チユ、後方のやつらに、来るなと伝えろ。私が好きを作る。」
「ダメだよ。あの真ん中の人、ラシレより強い。」
「だからこそだよ。」
「ラシレ…、一緒に逃げよう。」
チユは、知っている。
ラシレが、強気になれない時、それは、本当の絶望を知る時。
故に、ここには残せない。
「退け、童。」
その音色を奏で、横を過ぎる男、それは、シャルドン。
彼は、花の村の方向から歩いてきた。
そして、彼の向かう先は、花の砦。
この男を、進ませてはいけない。
せめて、時間を稼がなくては…。
その想いだけが、ラシレの心を彩り、蝕む。
「止まれ、おっさん。私は花の国の牙のお頭だ。」
「違うよ、ラシレ。私たちは、荒野の牙だよ。」
「うるさい、チユ。早くみんなを連れて、逃げろ。」
「わかった。みんなを連れて、逃げるね。」
チユは、ラシレの手を掴み、強く握り締め、駆け寄ろうとする仲間の元へ走る。
「逃げるよ。」
その可憐な咆哮に、仲間たちが踵を返す。
だが、その安堵は、容易く塗り替えられた。
「花の国を名乗るのなら、話は別だ。テラの全てを奪って、眠れる獅子を呼び起こす。」
シャルドン率いる親衛隊の刃が、ゆっくりと抜かれた。
「煙幕を張れ。」
ラシレから奏でられる叫びは、掠れ、風に揺れる。
その彩りを繋ぐように、荒野が白く彩られていく。
「素晴らしい。子供とは思えない。みんな違う魔力なのに、均一に整えられた魔法だ。」
シャルドンは、その魔法を見て、微笑みを彩る。
「だが、やはり子供だな。姿は見えぬが、魔力が漏れている。」
シャルドンが剣を掲げ、呼応した鉄が駆ける。
霧が晴れるころ、摘み取られた幾つもの蕾が、赤いせせらぎに咲いた。
残されたのは、ラシレとチユ。
足の速い二人だけが、共に旅立つことを許されなかった。
「お前たちは、優秀だな。ぜひ、弟子にしてやりたい。」
シャルドンの穏やかな笑みは、彩りを変えない。
「だが、魔族は要らぬ。」
その変わらぬ彩りのまま、正義の剣が、空を貫く。
その切先が、ラシレとチユを捉え、振り落とされる。
それは、二人の肌に触れる刹那。
全てが、花に包まれた。
「宝ナイフのジプソフィルが、花を吹くよ。」
「メル、二人を連れて、転移魔法で砦に行ってくれ。」
メルの麗しい咆哮に被せるように、私の願いが響く。
「私、そんな魔法、使えないの…。」
「どこでも好きなところへ行ける魔法で、砦に行ってくれ…。」
「それなら、使えるわ。」
メルは、誇らしげな彩りを奏でるが、刹那に曇る。
「でも、テラを置いていけない。」
私は、この惨劇を見た今、この男の灯火を踏み躙らないと言い切れない。
「これは、花の国の国王としての、命令だ。民を連れて、退避しろ。」
この時、静かに、花の国が成立した。
「…わかったわ。でも、全員を連れて行くね…。」
私は、シャルドン、そして、この騎士たちを、屠る事になるかもしれない。
そして、メルもまた、私の抱く濁った想いを否定しようとはしない。
棘に彩られた強固な花が親衛隊を縛り、呼吸さえままならぬように、固く包んでいる。
優しい花たちが、永遠の夢に落ちた子供達を抱きしめ、メルと共に消えた。
「計画は、想像以上に効果を得たようだな。勇者よ、おかえり。」
メルを見届けるように私を見据えていたシャルドンが、静かに旋律を奏でる。
その刃は、私の灯火へと、迷いなく彩りを連ねる。
「何故、小さな命を嬲った。」
「敵と名乗る者を生かすような愚行を、戦場の場に於いて犯せというのか、我が友よ。」
「お前と友人になったつもりはない。」
「つまらぬ事に、引っかかるな。勇者よ、剣を交えにきたのだろう。」
「お前を、躙りにきた。」
「素晴らしい。それでこそ、我が名を轟かせる糧となる。」
「…お前は、何のために、ここに居る。何のために、戦争をしている。」
「無論、正義のため。」
シャルドンの奏でる刃が、私に触れた。
「そんな下らぬもののために、あの子たちは、奪われたのか。」
刃を彩る赤。
それを握る私の拳に、溢れ続ける赤が爆ぜる。
刹那、クレマティスを抜き、一閃を放つ。
それは、シャルドンの首筋を掠め、その腕に赤のせせらぎを彩った。
「ようやく、この傷をつけることができたな。さあ、その聖剣を自称する鈍を抜け。」
「あまり、驕らない方がいい。シャルドン、それは、お前の身を滅ぼす。」
私は、クレマティスを構え、静かに紡ぐ。
「クレマティスで、十分だ。」
「勇者よ、お前の前に立つのは、鏡ではないぞ。」
シャルドンの紡ぐ音色が届くより先に、刃が私を捉える。
だが、それが最初に触れたのは、土。
その僅かな揺れに、クレマティスが腕を裂く。
飛び散る赤は、砂塵に埋もれ、その浅さを奏でた。
地に弾み、迫り上がる刃の行く先は、私の首。
実に、わかりやすい。
その刃の樋を蹴り、軌道を反らせる。
反動で揺らぐシャルドンの肩に、クレマティスを突き立てた。
「お前は、剣に頼りすぎだ。」
私は、見下ろすように見つめ、その肩を抉る刃を捻る。
「お前は、酔いすぎだ。」
濁った笑みから溢れる、シャルドンの囁き。
その刹那、まるで痛みを感じないかのような一閃が、私を掠める。
「避けるのか。勇者よ、子供達を失って、身軽になれたようだな。」
私は、煽りに乗る気はない。
これ以上の怒りは、目の前の灯火を掻き消すことになる。
「どうだろうね。下らぬものを背負う、お前よりは、軽い。」
「そうだな。持たぬ者には、分かるまい。」
「私には、家族が居れば、十分だ。」
「全て、奪ってやろう。白妙の御旗の元に。」
その言葉と共に、大剣が振り下ろされる。
それを受けるのは、小さき刃、クレマティス。
刹那の拮抗に、私は、シャルドンの顔を蹴り上げた。
体躯を揺らし、僅かに崩れる彼を、クレマティスが追う。
この刃は、狩りを共にした友。
肉を割き、骨を断つ宝剣。
大剣を握っていたシャルドンの腕に、柘榴が咲いた。
「だから、言っただろう。剣に頼りすぎだ。」
彼の首にクレマティスを沿わせ、私は静かに奏でた。
シャルドンは、もう剣は振えない。
騎士として、その灯火を踏み躙られたのだ。
そして、踏み躙ったのは、私。
「去るか、散るか、選べ。」
私は、クレマティスを引き、選択を彩る。
「まだ、左手がある。」
その手に持つのは、短剣。
それは、私の肩を抉った。
「そうか。ならば、散れ。」
私は、その突き立てられた刃を握りしめ、シャルドンに、二つ目の柘榴を咲かせた。
剣聖シャルドンは、この刹那を以て、その道を断たれたのだ。




