第三楽章終節
漆黒の塔。
それは、朽ちた魔王城に変わる、魔族の要。
そこに蠢く、強大な魔力。
メルは、それを知っている。
「久しぶりだね。」
その懐かしさに、思わず音色が零れ落ちる。
それ呼応するかのように、固く閉ざされた門が、静かな旋律を奏でた。
ゆっくりと開かれる旋律は、壮麗の佇まいに似合わぬ滑らかさを彩る。
小さな足音が、どこまでも反響する。
その装飾一つ一つは、幾重にも塗られた魔力が滲む。
「魔王城みたい…。」
その一つに触れ、メルは、ようやく微笑みを奏でた。
長い廊下の先に彩る螺旋階段。
見上げると、朧月が見つめている。
メルは、息を呑み込む。
この先に座す、強大な魔力に触れた。
一段が重く、遠い。
透き通る布だけが、彼女の繊細な肢体を守る。
その指に輝く指輪だけが、彼女の可憐な心を支える。
それだけが、彼女を包む要。
刹那を悠久に抱き、乱れそうになる吐息を整える。
目の前に広がる漆黒が、月に揺れる。
そこに佇む、荘厳なる影。
神王ロベリア。
メルは、静かに吐息を呑み込む。
「会いたかったよ、ロベリアちゃん。」
その吐息に見合わぬ、小さな音色。
その旋律を抱くように、ロベリアが、ゆっくりと振り向く。
「待っていた。…元魔王。」
静かな彩り、だが、それは重く、冷たい。
「ごめんね…。私には、あの階段は長過ぎたみたい…。」
整えたはずの息が、乱れる。
それすら気にできずに、メルは駆けた。
「何を…。」
ロベリアの言葉を遮るように、メルは、彼女の背中を優しく包んだ。
溢れ出す雫が、メルの頬を伝い、漆黒の石畳を沈める。
「会いたかったの…。」
慟哭の中に紡がれた、音色は、辛うじて形を保ち、静寂を彩った。
「…いい加減、離せ。」
ロベリアは、拒絶を紡ぎながらも、ただ冷たく佇む。
「離さない…。離したら、ロベリアちゃん、きっと私を叩くから…。」
「私は、もう子供じゃない。元魔王、お前とは違う。」
「ふふ、驚かないでね。私、さっき乙女と呼べる年齢じゃないって言われたところよ。」
「…そういうところだ。」
「………、どういうところかしら。」
「もう、いい。一体、お前は何をしに来たのだ…。」
「えっと…、ロベリアちゃんに呼ばれたから…。」
静寂に風が舞い、月が揺れる。
ロベリアは、メルを引き剥がし、その瞳が交う。
「一人の魔族として、元魔王のお前に、乞う。この国に戻れ。」
「心は、いつも、魔族と共にあるわ。」
メルは、優しく微笑みを届けた。
だが、ロベリアは、それに応じることはない。
「ふざけるな。我々に手を貸せと言っている。」
それでもメルは、微笑みを彩る。
「うん。私でよければ、何でもするね。」
メルは、再び、華奢な腕で、ロベリアを包んだ。
「人族と仲直りする、そのお手伝いならね。」
「元より仲良くなどない。」
「そういえば、まだ教えてなかったわね。私、人族の方と結婚したのよ。」
誇らしげな音色が、静かに弾む。
「それが、どうした。」
ロベリアの声が、僅かに震えた。
「私の住んでいる村では、魔族と人族の恋人が、何組もできたのよ。アリウムなんて、もうすぐ結婚するかもしれないもの。それにね…。」
「待て、まずは、お前の……いや、勇者のことを教えろ。」
ロベリアの瞳に、炎が揺らぐ。
「とても素敵な人なの。そうね、例えるなら…
とても綺麗なお花畑を踏み荒らそうと、大きな獣が来た時に、勇敢な天使が、その子を優しく外へ導いたら、ロベリアちゃんなら、どう思うかしら。
たくさん旅をして、もう動けないくらい疲れた時に、美味しい紅茶と甘い焼き菓子を携えて、優しく抱きしめてもらったら、ロベリアちゃんなら、どう思うかしら。
洞窟で迷い込んでしまって、色んなところから爪の…。」
「そこまでだ。全てを聞いていたら、暁を見ることになる。」
「いえ、もう一度、月を見ることになるわ。」
「なら、尚更だ…。それで、どこまで進んだのだ。手は繋いだのか。く…口付けは、したのか。」
「ここに来る前に、してきたわよ。私は、もう大人だもの。私、お母さんになったのよ。」
「勇者…、絶対に許さない…。」
「ダメよ。テラは、大切な人なの。」
静寂が、二人を重く包む。
その色は、連なり、そして、離れ、少しずつ絡み合う。
「魔族よりもか…。」
「ロベリアちゃんも、大切な人だよ。」
「だが、捨てた。」
「逃げたの。だから、戻ってきたよ。」
「ならば、共に戦おう。」
「私、お花を咲かせる魔法しか使えないわよ。」
「それでも、このままでは、魔族は滅びる。」
ロベリアの瞳が揺れる。
「だから、仲直りのお手伝いをしに来たの。」
メルは、それを優しく包む。
「もう、遅い。」
「大丈夫。私が、何とかするから。」
メルの柔らかな手が、ロベリアを包む。
「生意気…。」
ロベリアの吐息に、温もりが彩られた。
「私は、元魔王だもの…。」
「私は、メルちゃんのことを魔王だなんて思ったことは、一度もない。」
絡み合う吐息。
「やっと、名前で呼んでくれたね…。」
重なる額に、想いが繋がる。
これ以上、二人に言葉はいらない。
ただ、穏やかな鼓動が、二人を優しく包み込んでいた。




