第三楽章9節
鶏の歌声が、朝を告げた。
小窓から見つめる丸い瞳は、舞い踊る白に、輝きを彩る。
「雪だよ。テラ、起きて。ねえ、雪だよ。」
雪が降り始めたのは、まだ月が空を支配していたころ。
村の門に背を預け、消えゆく気配に、泡沫の凪を奏でようとしていたときだった。
「うん。知ってるよ。」
本当に泡沫に終わるとは、思いもしなかったが。
「どうして、教えてくれなかったの。」
それはね、メル、君が可憐な寝息を奏でていたからだよ。
その音色を呑み込むように、欠伸が旋律となって漏れる。
伸ばした背に、柔らかな温もりが触れる。
その華奢な指が、私の体をなぞり、弾む音色が小屋に響く。
「外に、行こう。」
私は、メルに手を引かれ、その白銀の園に、足跡をつけた。
二人で歩むには広大な村に、メルの可憐な音色が響く。
「かくれんぼしよう。こんなにいっぱい雪が降っていたら、きっと見つからないよ。」
振り向きながら、笑みを彩る。
その天真爛漫な舞いに、私は、頷くより他はない。
だが、メルはすぐに見つかった。
あちこちへと行き来する足跡が、全てを教えてくれるのだ。
故に、私は、それを辿ることはなかった。
「メルは、隠れるのが上手いね。」
息を潜めるメルの横を過ぎながら、私は音色を届ける。
小さな笑い声が、私の耳を撫でた。
その無垢なる旋律に、私の心は溶かされる。
不意に感じる温もりに、私の鼓動は跳ね上がった。
「私は、ここだよ。」
その羽根のような重みに、私の体が揺らぐことはない。
だが、その麗しい肌に、その煌めく黒髪に、その透き通る紅瞳に、何より可憐なる心に、私はメルを抱きしめながら、雪原へと身を委ねた。
「砦のみんなも、雪で遊んでるのかな。」
互いの瞳が、愛する瞳だけを映しながら、メルの微笑みがそよぐ。
「そうだね。私たちも、この刹那を二人で紡いでいこう。」
触れ合う指先と、伏せた目。
絡み合うまつ毛に、吐息が溶け合う。
透き通る絹に、メルの純白が僅かに震える。
それを抱き寄せ、柔らかな温もりが、胸に触れる。
二つの鼓動が共鳴し、二人だけの蜜を奏でた。
そこに言葉はない。
繋がる想いが、降り積もる雪に奏でられ、心の奥へと流れ込む。
漏れる吐息が、冷たい温もりに白く輝く。
「愛してる。」
重なる音色は、白い花に包まれていく。
差し込む陽光は、甘美の音色だけを照らしていた。
「暖かいね。」
舞う雪を見つめながら、重なる肌に温もりを奏で、静寂の中に紡ぐ。
そのメルの音色は、私を夢に留まらせる。
「このまま、こうしていたい。」
それが叶わぬとて、願いを吐露することは、赦される。
「きっと、そうなるよ。」
腕に絡む、柔らかなメルの温もりが、肌と肌を繋ぎ、その願いに溶ける。
それが叶わぬとて、そこへ歩むことは、赦されるのだ。
小さな火を囲む、二人きりの小屋。
悴んだ手を癒し、先ほどまで作っていた雪の人形に馳せる。
静寂に奏でる火の揺らぎが、その温もりを届けてくれる。
寄せ合う体に、吐息が重なる。
その幸せを噛み締めながら、降り始めた帳に、与えられた刹那の平穏を祈る。
雪を躙る二つの音色が、私たちに触れるまでの、泡沫の凪の中で。
「少し、見てくる。」
私は、聖剣を手に、立ち上がった。
歩み寄る影、そこに悪意の音色は彩られていない。
だが、その旋律は、私に焦燥を反響させる。
まだ、影すら揺らいでいない。
だが、その音色は、既に触れられる。
見えぬが、感じる。
私は、静かに、柄を握った。
「要を、話せ…。」
不意に現れた、漆黒の絹に、私は静かに紡いだ。
「魔王様を、返せ。」
一つの絹が、音色を奏でる。
「神王ロベリア様が、お呼びだ。」
それに、もう一つの絹が、カノンする。
「去れ。」
私は、聖剣を抜き、唯一の答えを奏でた。
「争う気はない、元勇者よ。」
そこに音階はない。
ただ魔力だけが、漂うように、静かに響く。
「その子達は、何もしないよ。」
隠れてという私の願いを守り、メルが頭を出して、可憐な音色を紡ぐ。
「私を誘いに来たのね。」
二つの絹が、私を通り過ぎ、メルの前に靡く。
私は、この背に刃を翳し、微かな音色に研ぎ澄ます。
「魔王様、どうか帰還を。」
跪く二人の魔族に、メルは視線を合わせ、穏やかな微笑みを彩る。
「何か、あったのかしら。」
聞かずとも、わかる。
魔族が押されている。
いや、魔王を退いた者を、新しき王が呼び寄せるほどだ、それだけでは済んでいない。
恐らく、魔族は、殲滅の彩りに触れた。
私は、剣を納め、彼らの忠誠の彩りを、メルに委ねた。
声は届かずとも、私の剣は届く。
瞬きを枯らせ、ただ見据える。
然るべき、その時を。
だが、それは、杞憂に終わる。
彼らは、静かにさっていった。
私は、メルへと歩み寄り、纏うように、微笑みを彩る。
「私、少しだけ、戻るね…。」
「ダメだ。」
「ごめんね…。」
「メル、君を失いたくない。」
「帰ってくるよ。」
「でも、ダメだ。」
「大丈夫。少し、友達とおしゃべりしに行くだけだから。」
「ならば、私も行こう。」
「乙女の密会は、男子禁制なの。」
「乙女という年齢でもないだろう。」
「…婦人会は、男子禁制なの。」
メルは、その指に煌めく白銀の指輪を撫でる。
その手で、私の指を彩る木の指輪に触れた。
「この木の指輪には、私がたくさんの祈りを込めたの。それからね、テラ、貴方が贈ってくれた、この指輪にも、あの日からずっと祈りをこめてたのよ。」
メルの穏やかな微笑みが、私を包む。
「どんなに離れていても、私たちは、繋がっているの。」
絡み合う瞳。
「何かあれば、この指輪に願いを込めてね。」
私の口に、柔らかな温もりを残し、メルは消えた。




