第三楽章7節
木の実と蜜が焼き上がっていく、芳しい彩り。
その色彩は、ただ穏やかに、二人だけの時間を包み込む。
「静かだね…。」
魔王城を出て間もない頃、初めてメルが焼いてくれた焼き菓子。
私の心に、未だ鮮明な色を咲かせる。
「うん。こんなにたくさん、テラと二人きりの時間を過ごせるのは、とても久しぶりね。」
メルの可憐な笑顔が、私を満たしてくれる。
「そうだね。メルのクッキーを独り占めできるのも、久しぶりだよ。」
私は、その一つを頬張り、甘美なる至福を噛み締めた。
「少し、散歩しようか。」
私は、メルの手を取り、土の音色に二人の時間を紡いだ。
「この村って、こんなに大きかったのね。ラシレ達が来るかもしれないって、大きくしようと計画していたのが、夢みたい。」
メルの微笑みが、風に舞い、私たちの足跡を彩る。
「きっと、これから、増えていくよ。疲れた人が立ち寄り、新たな命が芽生え、その連なりが、この村を紡いでくれる。」
あの日、メルが描いた言葉。
魔族と人族の共存…、口にすれば嘲笑われる様な夢を、私は見ているのです…。
思うと、あの時、私は、メルに恋したのだ。
それは、枯渇し、虚無に堕ちた私に、光が差し込んだ瞬間だったのだ。
あの、温もりが、今も忘れられない。
そして、一つの疑問にたどり着く。
「そういえば、メルは、魔王城でも、その話し方だったのかな。」
「その話し方…。」
メルが、不思議そうに、瞳を丸く描いた。
「何というか、最初の頃は、お淑やかだったというか、もう少し威厳があったよね…。」
「それは…、そうしないと、レーヌに怒られるもの…。」
「そうなんだ…。ということは、無理に、あの話し方をしていたんだね。」
「うん…。とても話しづらかったわ…。」
レーヌが、今のメルを見たら、ため息では済まされないだろうと、不安が過った。
村を出れば、目の前には、広大なアルストロメリアの花畑が大地を彩る。
この向こうに構える花の砦に、家族達は隠れている。
きっと、大丈夫だ。
そう言い聞かせないと、今にも駆け出しそうになる。
だが、メルと共に誓ったのだ。
この村の全てを守ると。
家族を危険に晒すことはできない。
故に、ヴィオラと騎士団精鋭隊の力、そして強固たる砦の力を借りて、その命を委ねた。
ここに残された、私たち二人で、必ず、守り抜くのだ。
ここは、抜け殻などでは、断じてない。
ここは、私の、メルの、家族の宝なのだ。
静寂の彩りに、私の鼓動と、牛の鳴き声が響く。
「テラ、牛が鳴いてるよ。お腹が空いたのかな。」
「メル、今は、それどころじゃないよ。動物達を、花の砦に運ぶのを忘れている…。」
二人で守ると誓ったばかりなのに、早速、騎士団の力を頼ることとなった。
荒野に築城された拠点は、白妙に靡き、小さくとも、威厳を放つ。
人族の敗退は、シャルドンにとっては、計画の一角。
だが、士気を高めるには、悲哀を演じなければならない。
白銀の刃を提げ、壇上へと上がる、その表情には、僅かな微笑みが彩られている。
だが、それを知る者は居ない。
彼は、高尚なる演説を紡ぎ、荒野を揺るがす咆哮へと誘った。
向かう先は、赤が咲き乱れた地。
そこに、再び咲かせようと、勇ましく鉄を鳴らした。
魔族は、一時の勝利の余韻に浸ることなく、静かに準備を進める。
動き出すのは、木々の営み。
物質を動かす魔法が、切り倒された命を操る。
火を奏でる魔法が、その傀儡を燃やし、人族へとぶつける。
それは、緻密に練られた計画。
その彩りは、誰にも止めることのできない旋律を奏で始めた。
未だ、初戦の傷跡の遺る大地に、二つの足跡が邂逅する。
互いに歩み寄る、白妙の鉄と漆黒の布。
白妙の鉄は、咆哮と共に駆け出し、荒波を彩る。
そこに憚るのは、木々の傀儡。
漆黒の布が放つ、数えきれない命の残骸は、鉄の刃に刻まれ、散っていく。
それを踏み付け、全ての鉄が木々の中に埋もれた頃、新たな傀儡が蠢き出した。
だが、それは、白妙の鉄には、変わらぬ木々の残骸に過ぎない。
そこに孕む呪詛に気づかず、刃を立てる。
漆黒の布は、この時を待っていた。
傀儡の奥深くに刻まれた灯火。
白妙の鉄を取り囲んだ刹那、それは大火へと目覚める。
それは、自ら切り刻んできた木々の残骸に燃え移り、退路を絶った。
その炎が作り出す、一つの道。
森へと続く、弔いの旅路。
だが、高揚に彩られた魂は、その意図を掴めずに駆ける。
ただ一人、シャルドンを除いて。
討つべきものが、眼前に彩られる。
続く炎を繋げば、森さえも、その旋律に溺れる。
咆哮と共に、その足は勢いを増す。
そこに奏でられたのは、一つのローダ。
森の静寂に、鉄の足音が響く。
遠くに薄れゆく音色に、駆けた足が重く絡む。
既に、漆黒の布は見失った。
魔族の影を感じない。
何より、凡ゆる息遣いを感じなくなっている。
そこにあるのは、自らの音色と、それを取り囲む旋律。
隊列を成した孤独は、宵闇を彷徨うが如く、誘われる。
全ては、ロベリアの描いた絵。
やがて、数え切れぬ鉄の連なりは、旋律を止めた。
静寂に彩られるのは、一つの息遣い。
彼らは、願った。
自らが放つ鼓動が、それに届かぬ様にと。
そこに佇むのは、リリブランシェの子、神獣オルムブランシェ。
彼女が、静かに旋律を奏で始める。
「愚かな人間よ。テラが紡いだ贖罪の誓いを、放棄するのか。」
それに答える者は、居ない。
木漏れ日の彩る森の静寂に、赤いせせらぎが大海を成した。




