第三楽章5節
勝者が甘美の讃歌を奏でながら、森へと帰っていく。
それを見計らうように、眠らぬ亡者が蠢き出す。
それは、命を繋ぐ為。
故に、纏った鉄を放す事はない。
転がる成果の証より、友だったものが、その瞳を滲ませる。
それは、悲哀から生まれる憤怒。
それは怨嗟となり、収束してゆく。
やがて、鉄の連なる音が、二つの灯火へと向けられる。
先遣隊を成していた彼らは、魔王城を陥落させる為に派兵された者たちの友人であり、家族であり、そして、愛する者たちであった。
剣を握り続けた者も多く居たが、殆どが、武芸の産声を上げたばかりの者だった。
穏やかな風の元、煌びやかな白妙の都で、変わらぬ営みを紡ぐはずだった者達。
柔らかな肢体は、強固な鉄に守られ、正義を振り翳し、想いを晴らせば、去し日を再び彩ることができると、盲信していた。
ただ彼らは、愛すべき者を愛し続ける為に、ここに来たのだ。
そういった者から、灯火を躪られていった。
今も立つのは、その想いを知りながら、彼らに錆びた鉄を纏わせた者達。
悲哀が奏でられ、憤怒がカノンを紡ぐ、そうして芽生えた怨嗟は、彼ら自身に向けられた。
敗者という磔に蝕まれた魂に、その装飾が重く纏わりつく。
故に、心が、それを拒絶した。
「恨むべきは、裏切り者。」
灯火を繋ぐ為に描かれたはずの版図は、宛先を失った文の如く風に舞い、晴らすべき怨恨へと変様した絵図となり、歩む旅路を彩る。
その道の先は、花の国。
岩山に潜む幾つもの影は、それを見逃す筈がない。
鉄の連なりが、麓の道を辿り始める。
その旋律は、整然を手放した不協和音。
だが、その身に刻まれた無垢なる武の心得により、調律されていく。
先陣を切るのは、先遣隊を指揮した者ではない。
彼は、行く末を見届ける事さえなく、唯一の蹄と共に、シャルドンの元へと駆けていた。
故に、想いに描く陣形を彩る術など、彼らにはない。
それでも、その連なりが、カノンを奏でているのは、先立つ剣に縋っているため。
ジニア。
その名は、先陣の剣を掲げ、この道を開こうと踠く者。
彼の握る剣は、先遣隊に於いて、類稀なる旋律を奏でていた。
剣聖の開く稽古に立つ事が許された、数少ない者。
その鮮麗なる捌きは、囲む瞳を魅了し、この戦場の依代となった。
故に、歪つな陣形となり、先を見せぬ剣を成した。
「止まれ。」
無垢なる声は、凛とした旋律を奏でる。
ラシレが、岩山の下へと影を伸ばす。
「ここは、私たちの縄張りだ。去れ。」
奇襲を彩るはずだった統領は、ため息と共に立ち上がり、ラシレの言葉に、カノンを奏でる。
「栄光に彷徨う剣たちよ。この道は、お前達の帰るべき場所へは通じない。踵を返せ。」
統領は、岩山を駆け下り、その隊列の前に憚った。
だが、その答えは、言葉ではなく剣。
揺らめく切先に、赤い花弁が零れ落ちる。
その音色を包む様に、幾つもの鍔鳴りが共鳴した。
最早、彼らに音色が響くことはない。
虚ろに映るのは、灰色の彩り。
統領は、その瞳を見ていた。
故に、その答えを、彼らが奏でるより早く、受け止めていた。
砂塵が寄り添い、圧縮される。
それは盾を成し、刃を止める。
ラシレと、その仲間が、ここを拠点としていたのは、彼らに伝わる魔法に還るため。
だからこそ、荒野とは、ラシレたちの縄張りなのだ。
戦場を背に大地を駆っていた蹄は、シャルドンの囁きにより得た新たな鉄の舞と共に、再び土を踏み鳴らす。
それは、報復ではなく、処理。
シャルドンの見ているものは、失った灯火ではなく、使える糧。
その熱無き選択は、全て正義の名の下に紡がれる。
歩を進めたのは、次の戦場ではなく、その為の布石。
彼の描く拠点は、花の国にあったのだ。
だが、それは、必然。
無より紡ぐより、あるものを変質させる。
媚びれば取り込む、抗えば切り捨てる。
全ては、人族の勝利のために、そして、白妙の都のために。
その先にある、彼の栄光のために。
統領と、彼に続く者が奏でる魔法は、戦場を返す魔力と技量に彩られ、蠢く鉄を土に咲かせる。
ラシレ達にとって、ここが初めての戦場だった。
故に、それを目に焼き付ける事だけが、その肢体に許された彩りとなる。
だが、心は、それを抱くことができない。
ラシレもまた、この地を縄張りとする、誇り高き戦士として、既に芽吹いているのだ。
そして、その旋律に共鳴する小さき影達もまた、芽吹き始めた。
そこにあるのは、無垢なる絵図。
故に、ラシレ達の旋律は、統領の想定を超えていた。
「父ちゃんに負けてられない。私たちも行くよ。」
その音色は、誰のものなのか。
それぞれが、自らのものだと確信し、岩山を駆け降りる。
その先に彩られるのは、勝利の確信の崩壊。
月のでぬ常闇を独り彷徨うより、守るべき者を率いて歩む方が、灯火を失う色彩は、鮮明になる。
それは、小さな綻びだった。
華奢な腕が、鉄に触れる刹那、刃に赤い花が咲く。
ラシレが手を伸ばそうとした遥か先で、灯火が夢に咲いたのだ。
それは、ここに於ける、最初の花。
そして、ラシレ達にとって、最後の砦。
幼き灯火達を包む様に、硬く柔らかい腕が空を覆う。
鮮赤に彩られた刃は、狂いなく鼓動を貫いた。
膝を突いたのは、痛みによるものではない。
ただ、護る為。
それだけの為に、他の全てを放棄した。
それが、統領の責務。
一縷の光を掴んだジニアの刃が、その旋律を断ち切った。
連なる刃が、落ちたそれを刻む。
子供達に優しい微笑みを彩りながら、統領は静かに土へと咲いた。
崩れゆく彩り、頬を伝う事さえ失った雫、声にならない叫び。
ラシレは、自ら率いた音色が、大切な仲間が散りゆく旋律となった彩りに、肢体を縛られた。
そして、それは、ラシレに留まることはない。
小さな綻びは、波紋を生み、子供達の手を止めた。
それは、既に、戦う者ではない。
守られるべき小さな命が、意図せず戦場に咲く。
それが、抗う大きな手を鈍らせる。
それを逃すほど、ジニアは、愚かではない。
彷徨う鉄の亡者に、失いかけていた光が再び燃え上がる。
そこに彩られたのは、戦争ではなく、蹂躙。
ここで、全てが終わる。
この大地と共に紡いできた、数えきれない想いが途絶える。
だが、そんな事など気に留める余白などない。
ただ、大切な人が、手の届かぬ先へと霞ゆくことに、耐えることができなかった。
その叫びは、空を貫く。
故に、その地を正確に知ることができた。
一矢が、鉄の亡者を貫く。
その閃光は、ラシレ達の瞳を蘇らせた。
「ごめんね、ラシレちゃん。少し迷子になっていた。」
花の国の盾、アコニの音色が、静かに反響した。




