序奏-3-
「魔王城が落とされる。」
何より伝えなければならないこと。
私は、メルに縋る様に、想いを紡ぐ。
「抗わなければ…。」
頬を撫でる風が、言葉を切り裂いた。
魔族は多くの犠牲を生む、それを口にする事などできない。
メルを説く言葉を紡ぎ、私は、ひとつの答えに導かれた。
何故、勇者と魔王が生まれるのか。
勇者が聖剣を手に、終焉を運び、魔王が城で迎え撃つ。
それは、歴史が紡がれるより前から、繰り返される御伽話。
踊らされる二つの傀儡は、均衡を保つ為の要だったのではないか。
私にとっての呪いは、世界にとっての救いだったのだ。
それでも、私は聖剣を捨てた。
その小さな波紋は、静寂の中に広がりゆく。
神の手によって紡がれた世界が、その手を離れた。
漆黒に咲く月の光が、アルストロメリアの彩る大地を照らす。
その淡い輝きの中に立つ私達へ、星々が降り注ぐ。
私の捧げた花を包む様に手に取り、メルは微笑んだ。
その花弁に、一雫の雪が舞う。
触れた刹那に溶ける結晶は、彼女の想いを奏でた。
「城など、装飾に過ぎません。」
私の想いを届けても尚、彼女は微笑みを彩る。
「民が、国ですから。」
その柔らかな温もりが私を包み、私の温もりでメルを抱く。
絡み合う吐息の中、彼女の決意が耳を撫でた。
夢が現となる狭間で、灯した光が仄かに揺れる。
震える指先が絡み合い、熱の中へと溶けていく。
この手だけは離さない。
その想いだけが、この旅路の道標となった。
最早、立つ場所さえ荊に覆われ、それでも歩みを止めることはできない。
だが、私たちは掲げたのだ。
人族と魔族の共存という花園を、この世界にもたらす事を。
気づけば月は眠り、遠い空に暁の色が芽生える。
「そろそろ、戻りましょう。」
言葉を紡いだのは、メルの側近であるレーヌ。
ここは、人族と魔族の領地の境、魔族も人族も近付くことのない聖域。
故に、そこに魔王が立つ事が侵略と見做されるのだ。
レーヌは、悠久の中に生きる魔族。
その生涯を魔王城に埋め、魔王の朽ちる刹那を抱いてきた。
墓標に奏でる詩は、新たな魔法となり、彼女に影を落とす。
だが、彼女は、決して城から出ようとはしない。
それでも、メルを連れて此処に来たのは、魔王としての唯一の我儘を聞いたのだろう。
それは、私にとって、何よりの幸福の我儘。
だからこそ、彼女だけは必ず守り抜く。
この瞬間、私は、盾を手にした。
最北の地に佇む、メルの生きた庭。
その庭の中心に、私の贈った一輪の花を飾る彼女。
穏やかに微笑む音色に、私は囁くように息を吐く。
ようやく、此処に帰る事が叶った。
それは束の間の休息。
しかし、レーヌの操る移動魔法は、容易く扱えるものではない。
故に、暴徒となった人族の波が、この地に広がるまでには、猶予がある。
私は揺れていた。
二つの選択。
共に逃げるか、此処に残り守るか。
メルの答えは、初めから決まっている。
残るのならば、それは、私ひとり。
私は、抗うと決めたのだ。
この世界に飾られた舞台の物語に。
人族としてではなく、魔族としてでもなく、私として。
私は、勇者として生まれた。
剣を交える事で、道を切り開いてきた。
それは、失う道であり、失わせる道。
辿り着く先が虚無である事は、もう知っている。
私の答えも、初めから決まっている。
ただ、メルの紡いできた想いが、未だに反響する此処を守りたい。
メルと出会い、メルと紡いだ日々の香りが残る、この場所を守りたいのだ。
私にとって、それは、始まりの彩りなのだから。
テラスを包む朧月が、私を焼く。
もう私には、剣で語る事はできない。
私という存在は、最早どこにも属さなくなった。
故に、私の言葉は、誰にも届かない。
それでも、私にはメルが居る。
だからこそ、メルを守りたい意志だけは揺るがない。
ならば、私にできる事は…。
絢爛の廊下は、静寂を奏でる。
聞き慣れた音色に、微かな声が響く。
それは、レーヌの声。
「終ぞ、メル様は、他の魔法をお使いになりませんでしたね。」
私は足を止め、踵を返す。
それでも、この静寂が、二人の言葉を鮮明に彩る。
「私は、花を咲かせる魔法以外を、覚えるつもりもございませんでしたから。」
メルの穏やかな声が、旋律となって、反響する。
「では、アルストロメリアをお咲かせになりますか?」
レーヌの問いに、メルは穏やかに答えた。
「この花は、テラから頂いた、大切な宝物です。」
私にできる事は、ただ一つ。
そばで守り抜く事。
メルが、魔王城を捨てると決意したのならば。
それに寄り添うのが、私の幸せなのだ。
魔王城の門に立ち、レーヌが静かに言葉を紡ぐ。
「貴女は、もう他の何でもない、一人の少女です。」
繰り返される悪夢を振り払うように、メルを見据える。
「貴女が居ても、賑やかではありませんでしたから、明日も同じ日になるでしょう。」
懐かしむ様に微笑む彼女に、私は目を逸らした。
「どうか、ご自愛を。」
メルとレーヌの間に、どの様な物語が紡がれてきたのかは、私にはわからない。
ただ、そこには確かな愛があったことは、私にも感じる。
それは、レーヌが残る事を、メルが拒み続けた事からもわかる。
それでも、レーヌは、城から離れる事はなかった。
雲が流れ、月が鮮明に彩る。
星々を呑み込むほどの輝きが、歩む道を照らす。
メルは何度も振り返り、レーヌと交わす眼差しを掴む様に手を伸ばした。
争わず、逃げる。
魔王が下した最後の命令は、私たちにとっても、砦となる。
故に、目指すべき地へと、迷う事なく辿り着く事ができた。
国境の最果て。
アルストロメリアの咲く丘。
私たちは、此処を終末地に選んだ。
私たちは、誓ったのだ。
この先、何があろうとも、絡み合う指を離さないと。
そして、小さくとも、人族と魔族の共存を紡いでいくと。
いつか、花の国と呼ばれる、この丘で…




