序奏終節
「魔王城が落とされる。」
何より伝えなければならないこと。
私は、メルに縋る様に、想いを紡ぐ。
「抗わなければ…。」
頬を撫でる風が、言葉を切り裂いた。
魔族は多くの犠牲を生む、それを口にする事などできない。
メルを説く言葉を紡ぎ、私は、ひとつの答えに導かれた。
何故、勇者と魔王が生まれるのか。
勇者が聖剣を手に、終焉を運び、魔王が城で迎え撃つ。
それは、歴史が紡がれるより前から、繰り返される御伽話。
踊らされる二つの傀儡は、均衡を保つ為の要だったのではないか。
私にとっての呪いは、世界にとっての救いだったのだ。
それでも、私は聖剣を捨てた。
その小さな波紋は、静寂の中に広がりゆく。
神の手によって紡がれた世界が、その手を離れた。
漆黒に咲く月の光が、アルストロメリアの彩る大地を照らす。
その淡い輝きの中に立つ私達へ、星々が降り注ぐ。
私の捧げた花を包む様に手に取り、メルは微笑んだ。
その花弁に、一雫の雪が舞う。
触れた刹那に溶ける結晶は、彼女の想いを奏でた。
「城など、装飾に過ぎません。」
私の想いを届けても尚、彼女は微笑みを彩る。
「民が、国ですから。」
その柔らかな温もりが私を包み、私の温もりでメルを抱く。
絡み合う吐息の中、彼女の決意が耳を撫でた。
夢が現となる狭間で、灯した光が仄かに揺れる。
震える指先が絡み合い、熱の中へと溶けていく。
この手だけは離さない。
その想いだけが、この旅路の道標となった。
最早、立つ場所さえ荊に覆われ、それでも歩みを止めることはできない。
だが、私たちは掲げたのだ。
人族と魔族の共存という花園を、この世界にもたらす事を。
気づけば月は眠り、遠い空に暁の色が芽生える。
「そろそろ、戻りましょう。」
言葉を紡いだのは、メルの側近であるレーヌ。
ここは、人族と魔族の領地の境、魔族も人族も近付くことのない聖域。
故に、そこに魔王が立つ事が侵略と見做されるのだ。
レーヌは、悠久の中に生きる魔族。
その生涯を魔王城に埋め、魔王の朽ちる刹那を抱いてきた。
墓標に奏でる詩は、新たな魔法となり、彼女に影を落とす。
だが、彼女は、決して城から出ようとはしない。
それでも、メルを連れて此処に来たのは、魔王としての唯一の我儘を聞いたのだろう。
それは、私にとって、何よりの幸福の我儘。
だからこそ、彼女だけは必ず守り抜く。
この瞬間、私は、盾を手にした。
最北の地に佇む、メルの生きた庭。
その庭の中心に、私の贈った一輪の花を飾る彼女。
穏やかに微笑む音色に、私は囁くように息を吐く。
ようやく、此処に帰る事が叶った。
それは束の間の休息。
しかし、レーヌの操る移動魔法は、容易く扱えるものではない。
故に、暴徒となった人族の波が、この地に広がるまでには、猶予がある。
私は揺れていた。
二つの選択。
共に逃げるか、此処に残り守るか。
メルの答えは、初めから決まっている。
残るのならば、それは、私ひとり。
私は、抗うと決めたのだ。
この世界に飾られた舞台の物語に。
人族としてではなく、魔族としてでもなく、私として。
私は、勇者として生まれた。
剣を交える事で、道を切り開いてきた。
それは、失う道であり、失わせる道。
辿り着く先が虚無である事は、もう知っている。
私の答えも、初めから決まっている。
ただ、メルの紡いできた想いが、未だに反響する此処を守りたい。
メルと出会い、メルと紡いだ日々の香りが残る、この場所を守りたいのだ。
私にとって、それは、始まりの彩りなのだから。
テラスを包む朧月が、私を焼く。
もう私には、剣で語る事はできない。
私という存在は、最早どこにも属さなくなった。
故に、私の言葉は、誰にも届かない。
それでも、私にはメルが居る。
だからこそ、メルを守りたい意志だけは揺るがない。
ならば、私にできる事は…。
絢爛の廊下は、静寂を奏でる。
聞き慣れた音色に、微かな声が響く。
それは、レーヌの声。
「終ぞ、メル様は、他の魔法をお使いになりませんでしたね。」
私は足を止め、踵を返す。
それでも、この静寂が、二人の言葉を鮮明に彩る。
「私は、花を咲かせる魔法以外を、覚えるつもりもございませんでしたから。」
メルの穏やかな声が、旋律となって、反響する。
「では、アルストロメリアをお咲かせになりますか?」
レーヌの問いに、メルは穏やかに答えた。
「この花は、テラから頂いた、大切な宝物です。」
私にできる事は、ただ一つ。
そばで守り抜く事。
メルが、魔王城を捨てると決意したのならば。
それに寄り添うのが、私の幸せなのだ。
魔王城の門に立ち、レーヌが静かに言葉を紡ぐ。
「貴女は、もう他の何でもない、一人の少女です。」
繰り返される悪夢を振り払うように、メルを見据える。
「貴女が居ても、賑やかではありませんでしたから、明日も同じ日になるでしょう。」
懐かしむ様に微笑む彼女に、私は目を逸らした。
「どうか、ご自愛を。」
メルとレーヌの間に、どの様な物語が紡がれてきたのかは、私にはわからない。
ただ、そこには確かな愛があったことは、私にも感じる。
それは、レーヌが残る事を、メルが拒み続けた事からもわかる。
それでも、レーヌは、城から離れる事はなかった。
雲が流れ、月が鮮明に彩る。
星々を呑み込むほどの輝きが、歩む道を照らす。
メルは何度も振り返り、レーヌと交わす眼差しを掴む様に手を伸ばした。
争わず、逃げる。
魔王が下した最後の命令は、私たちにとっても、砦となる。
故に、目指すべき地へと、迷う事なく辿り着く事ができた。
国境の最果て。
アルストロメリアの咲く丘。
私たちは、此処を終末地に選んだ。
私たちは、誓ったのだ。
この先、何があろうとも、絡み合う指を離さないと。
そして、小さくとも、人族と魔族の共存を紡いでいくと。
いつか、花の国と呼ばれる、この丘で…




