第二楽章11節
花の丘の中心に彩る、小さな広場。
一つの枝を抱き、静かに佇むメルの背中を、私は見つめている。
その枝は、魔王城に遺る聖地、私たちの過ごした花園に棲まう、大樹の枝。
メルが、初めて花を咲かせる魔法を使って生み出した木。
魂の持たぬ彩りに、メルが育んだ命。
今も生きる、その生命のかけらを、メルは、ここに植えることを決めた。
「あの木には、特別なおまじないを奏でたの。だから、この子も、大きく育つわ。きっと、ここを守ってくれる。」
淡い光が、植えられた枝を包み、ゆっくりと溶け込んでいく。
「あのね、渡したい物があるの。真似じゃないよ。」
ゆっくりと立ち上がり、振り向くメルの手には、木の指輪が握られている。
「この木は、私の魂でもあるの。そのかけらを、指輪にしたのよ。」
私の指を撫でる指輪が、緩やかに絞まる。
「あの日、魔王城に戻ったときに、決めていたの。あの木で、テラに指輪を作りたいって。」
メルは、愛おしそうな彩りを奏で、私が贈った白銀の指輪を撫でる。
「お揃いだね。この指輪に触れると、テラの鼓動を感じるの。ずっと、そばに居るって、そう感じるの。」
私は、メルが贈ってくれた指輪を撫でた。
「私もだよ、メル。この木の温もりから、君の鼓動を感じる。君が、守ってくれている。この温もりが、その安らぎを与えてくれるよ。」
指を絡め、まつ毛が触れ合う。
その甘美な香りに、色とりどりの蝶が、空に舞った。
「この大馬鹿者が。」
私たちが花の砦の門を潜るなり、怒号が響き渡る。
本来、この言葉を紡ぐのは、ヴィオラだ。
だが、響いてきたのは、アコニの声。
私たちは、その声の元へと駆けた。
「テラ、良いところに来た。この馬鹿者を止めてほしい。」
そこには、羽交締めにされたヴィオラが、息を荒げている。
「何があったの…。」
私は、小さな怯えを隠せずに、吐息を紡いだ。
「テラ様、聞いてくれ。私は、騎士団だ。忠誠を誓ったのは、王と王妃、つまり、テラ様とメル様だ。」
「王になった覚えはないよ…。」
「そんな事は、今は関係ないだろう。」
ヴィオラの瞳孔は、これ以上、開くことはないのだろう。
私は、目を逸らしそうになるのを耐え、思わず零してしまう。
「君が言い出したのに…。」
それが、火に油を注ぐと知りながら。
「もう知らん。みんな、もう知らん。」
羽交締めにされた腕を、容易く振り解き、土を踏みつけながら去っていく、ヴィオラ。
その背中は、影が消えるまで、空を覆っているかの様に、私たちの目には、彩られていた。
「それで、何があったの。」
私は、アコニを見つめる。
「ヴィオラが、何人かの騎士を連れて、戦場に赴くと言っている。」
「人族の国に戻りたいということかな。でも、それだと、さっきの言葉に違和感があるね。」
「ヴィオラが、テラに背を向けると思うのか。」
「今、背を向けて、どこかに行っちゃったばかりだけどね。」
私は、ヴィオラの去った方に、手のひらを向けた。
「テラ、君は、……メルに毒されていないか。」
「私、毒なんて持ってないよ。」
少し離れたところで、私たちの紡ぐ彩りを眺めていたメルが、顔を近づけた。
「こういう所だよ…。」
アコニは、崩れる様な吐息を漏らした。
「話を戻すけど、いいかい。ヴィオラは、戦争の邪魔をしにいくと言っている。つまり、戦争そのものに、抗おうとしている。」
アコニは、震える拳を強く握りしめた。
「ヴィオラの気持ちは、わかるよ。私も同じだよ。メルも、私の家族も、みんな、同じだよ。」
私は、アコニの背中を抱きしめた。
「でも、止めなきゃね。」
重なる瞳を離すことなく、私は微笑んだ。
こういうとき、ヴィオラはいつも、馬のところへ行く。
ずっと文句を奏でながら、馬の世話を続けるのだ。
「さっきは、ごめんね。」
私の声に、ヴィオラの手が止まる。
「別に、テラ様が悪いわけじゃないよ。でも、意思は変わらない。私が、誰の背中を追ってきたか、知ってるでしょ。」
私は、櫛を手に取り、ヴィオラに並んで、馬を撫でる。
「うん。走り出したら、止まらないものね。鏡を見ている様だよ。だからこそ、ヴィオラ、君もわかっているでしょ。」
私は、微笑みを奏でた。
「行かせるつもりは、ないんだな…。」
「うん。無いよ。ヴィオラは、私より強い。再会した日、私が君に勝てたのは、君の太刀筋を知っていたからだよ。」
私は、ヴィオラの背中を撫でる。
「その無二の力を、抗うためではなく、守るために使ってほしいんだ。私や、私の愛する人、大切な家族、何より、君自身を、守るために。」
小さな音色に、ヴィオラの手が止まる。
馬が緩やかに歩を進めた。
「それとも、王様に逆らうのかな。」
私は、笑みを彩りながら、ヴィオラの乾いた髪を撫でた。
緩やかな沈黙の後、ヴィオラが静かに音色を奏でる。
「テラ様が、ここを村だと叫ぼうとも、世界は、ここを国だと認識し始めている。その頂点に立つのは、テラ様とメル様。こんなこと、言いたくはないけど、どちらの種族にとっても、……敵であり、裏切り者だ。」
ヴィオラが、私の肩を掴み、項垂れる。
「ここは、彼らにとっては、花の国なんかじゃない。」
だが、再び、私を見つめ、声を荒げた。
「ここは…、ここは、滅ぼすべき、裏切り者の国なんだ。」
その声に、馬たちが呼応する。
反響する喧騒の中で、確実に来る波を知り、逃れられない鉄の香りを噛み締めた。




