第二楽章9節
メルは、そこにしか実らないものを、魔法では生まない。
帰る家を得てから、様々な場所への旅路を彩ってきた。
故に、旅の矜持、それ以上に、お土産の矜持を心得たのだ。
「たくさんあるから、慌てなくてもいいのよ。」
色とりどりの木の実と甘美な蜜の芳しい音色が、村を包む。
以前なら、アリウムが真っ先に飛びついていたのに、今は小さな子たちが黄色い音色を奏でているのを、優しく見守っている。
私は、彼の背中を撫で、その大きさに思いを馳せた。
ヴィオラが、私に駆け寄り、小さく囁く。
「今夜から、いけそうだよ。」
メルには言えない音色を、静かに紡ぐ。
彼女は、それを両手に抱え、花の要塞へと駆けていった。
メルが、木皿に盛られた黄金の宝珠を手に、微笑む。
「テラも、クッキー食べてね。」
思わず抱きしめたくなる旋律を、芳しい彩りに沈め、私は一つ頬張った。
口に広がる至福の音色は、世界がどうなろうとも構わないとさえ、語りかけてくる。
故に、今夜から始まる秘密が、私を強く抱きしめる。
朧月が彩る頃、私は、小屋を抜け出した。
可憐な二つの寝顔が、私の瞳を彩る。
私は、小さな笑みを拭い、これから始まることを噛み締めた。
月に揺らめくアルストロメリアは、私に様々なことを思い出させてくれる。
この畦道は、何度も歩いた。
そこには、いつも二つの影が寄り添っていた。
それが、三つの影となり、穏やかに彩っていた。
今は、一つの影が駆けている。
「レーヌ、今だけは、メルのそばを離れることを、許してくれ…。」
煌めく星々を瞳に彩り、私は祈った。
花の砦。
その門の前に揺らめく、一つの影。
ヴィオラが、微笑みを彩り、私を待っていた。
「お待ちしておりました。」
私は、ヴィオラに微笑みを返し、今宵から始まる一間の彩りへと向かう。
星々が雲に隠れ始める頃、月影さえ届かぬ部屋で、二つの音が重なり合う。
その打ち付ける音色は、鋭く、そして鈍く、妖艶を模る。
燻る静寂が、胸の高鳴りを反響させ、ようやく手にしたのは、歪つな旋律。
「初めては、こんなものですよ。」
ヴィオラが、優しく微笑む。
私は、沈黙を呑み込み、それを胸へと仕舞った。
雲が空を彩り、その向こうに煌めく世界を隠している。
「ありがとう、ヴィオラ。明日も頼むね。」
私は、花の砦を背に、歩き出した。
連日の寝不足が、私の思考を鈍らせた。
それは、家族で彩る晩餐のひと時。
メルの言葉を、私は聞き逃したのだ。
「テラ…、大丈夫なの。」
溢れそうな雫に溺れる瞳が、心配そうに私を彩る。
それが、私の心を貫く。
「…平気だよ。」
私は、精一杯の笑顔を奏でた。
花の砦に揺れる花々は、メルが少しずつ育んだ彩り。
それを背に、二つの影が伸びる。
月は、今宵も朧げに囁いている。
「メル様に、そろそろ気付かれてしまうのでは…。」
少し目を伏せ、囁き紡ぐヴィオラ。
私は、微笑みを彩り、音色をのせた。
「メルは、鋭い子だからね。でも、やめられないよ。」
今宵もまた、あの部屋で、変わらぬ旋律が反響する。
深く、妖艶に沈み込む刻印に、可憐な花を紡ぐ様に。
「何だか、心配…。」
私が、花の丘の周りに潜む爪を摘みに出かけたころ、メルは、村の中を行き来し始めた。
「メル様、今日も落ち着かないね…。」
漏れる家族の声たちが、メルの耳に届くことはない。
それに触れられるほど、心が手を伸ばせずにいる。
それは、駆け寄る小さな足音たちにさえ、気づかぬほどであった。
メルの足を抱く小さな温もりに、メルは転んでしまった。
雫を舞わせながら駆け寄る子供達に、メルは優しく微笑む。
「ごめんね、考え事しちゃってたの。心配しないでね。みんなは、怪我はないかしら。」
震える旋律が、メルの口を震わせる。
「…。」
黄色い音色に包まれ、言葉を紡ごうと開く口からは、吐息すら漏れることはない。
ただ、その頬を伝う幾つもの雫が、メルの想いを奏でていた。
陽光が、眠りに就こうと地平に触れるころ、私は村の門を潜った。
それを囲む様に立ち憚る鋭い視線は、いつも見る家族の彩りの面影すらない。
中には、魔法を構える者も居る。
そこには、メルは居ない。
私は、この村で、初めて、命の危険を感じた。
ライラックとコスモスフレの棲まう場所。
この村で一番大きな小屋に連れられ、突き刺さる視線に、私は影を抱いた。
小屋の周りには、いくつもの響めきが彩られている。
小さな足音は、それぞれの小屋に息を顰め、その静寂が、私の耳に反響する。
魔獣と対峙している方が、まだ、安息を奏でられる。
私の肢体に滴る冷たさは、吐息すら許してくれない。
「すまない…。」
私は、彼らの足元に額を擦った。
「気づかれたのなら、仕方ない。」
床を見つめ、想いを紡ぐ。
「隠していた事は、謝る。…だが、助けてほしい。」
今宵から、影を彩る事なく花の砦へ向かうことは、もう無い。
幾重にも積もる、日々の旋律が、一つの形を齎したのだから。
この日の晩餐は、火の奏でる音色が大きく感じた。
子供達の無垢な彩りが、眩しく揺らめく。
私たちは、何一つ触れることなく、ただ、それを見つめている。
メルは、目を伏せ、裾を握りしめた。
家族たちの視線が、私に刺さる。
今やらなければ、二度と機会は訪れない。
私は、そう言い聞かせ、立ち上がった。
全ての音が、消える。
家族たちの声すら、途絶えた。
メルは、肩を弾ませ、私を見つめる。
私は、メルの足元に跪き、その華奢な手を包んだ。
触れるのは、繊細な指。
私の手が、零れ落ちそうな程に、震える。
頬を噛み、吐息を整わせ、私はメルを見つめる。
メルの瞳は、変わらず私を包んでいる。
重なる冷たい温もり。
メルの美しい指先に触れる指輪が、撫でる様に根元へと流れた。
メルの瞳が、その指先へと移る。
震える二つの吐息が、重なる。
私たちを包んでいた数々の視線が、遠くに感じる。
二つの鼓動が、耳を貫く様に、大きく弾んでいる。
月を映す指輪が、小さく光った。
燻んだ銀色は、無骨な彩りを隠せずにいる。
だが、これでも、私の精一杯なのだ。
妖艶な紋様は、拙さに揺れる。
可憐な花を描こうとした刻印が、歪つな音色を奏でる。
それでも、これが、私の精一杯なのだ。
花の砦に佇む、あの小屋に取り残された、ここに至るまでの山は、誰の目にも触れることなく、いつか、剣の糧へと変わるだろう。
だが、この一つの指輪だけは、私の想いをのせて、私の全てをのせて、メルを守り抜く誓いとして、その指を永遠に彩るのだ。
息を忘れたかの様に、メルは肩を振るわせ、咽ぶ。
その姿は、私の瞳の全てとなり、雫が頬を伝う。
指輪を包む様に握られた、メルの華奢な手が、その胸に抱かれる。
強く、柔らかく、私の想いを包む様に。
「テラ…。」
それ以上、メルが音色を奏でることはなかった。
だが、彼女の想いが、溢れ出る雫に大きな旋律を彩る。
それにカノンする様に、安堵した家族たちの奏でる詩が、広大な空を包み込む。
この日の晩餐は、祝賀の様に、賑やかな村を彩った。
私は、メルの手を包む。
メルが、私を見つめた。
指が絡み合い、消えぬ熱が、鼓動を奏でる。
私は月を見据え、誓った。
この大切な宝物が壊れぬ様に、大切な家族を失わぬ様に。
愛する人と共に、この道を歩み続ける事を。




