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夜想曲『花の国』  作者: ことは
Primo movimento『花の祈り』
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第二楽章8節

どれだけ目を逸らそうとしても、必ず向き合わなければならない事は、多くある。

知っている事と、目にする事は、例えそれが同じでも、彩られる旋律は、全く違うのだ。

それに触れられないことは、決して弱さではないと、そう思いたかった。

そう思わないと、私たちは、それを目にしなくてはならなくなるから。


だから、逃げてきた。


「メル、少し寄り道してもいいかな。」

オルムと別れ、森を歩く。

私は、重い口を紡いだ。

「うん。わかってるよ。…行こう。」

そこまでの道のりは、知っている。

歩んだ旅路を引き返せばいいのだから。

しかし、この森を迂闊には歩けない。


戦争の蠢きが、木々に溶け込み、静かに奏でている。

それを導くのは、城を捨てた王ではない。

そして、王では止められぬところまで、波紋は広がっている。

故に、私たちは、隠れている。



メルの魔法が、静寂に溶け込む。

向かう先は、魔王城跡地。

そこは、深い木々に埋もれ、数年前の面影は、彩りを失っている。

唯一あるのは、魔力の残響。

整然と組まれた旋律は、無垢な小動物さえ通さない。

メルのどこでも行く魔法でなければ、この周囲にさえ辿り着くことはできないだろう。


木漏れ日に咲く玉座には、蔦が彩られている。

それは、朽ちることもなく、座すべき者を待ち続けているかのように、虚無を奏でる。


ほのかに香るのは、紅茶の音色。

私たちは、ここで初めて言葉を交わした。

あの日、私たちをテーブルに誘ってくれたのは、レーヌ。


フルールが、空を掴むように、手を伸ばした。

その小さな笑みの音色が、私たちの心を、ここに留めさせてくれる。


玉座の奥に潜む、小さな扉。

私たちの楽園への入り口。

その先にあったのは、二人で育てた花園。

そして、最奥に飾られた、一輪の花。


あの頃は、この扉を開ける事が、至上の幸せへの架け橋だった。

だが、今は、怖い。


ヴィオラの言っていた、この城の最後。

この扉の先で、何が起きたのか。

今はもう、知るものは居ない。

だが、見えてしまうのだ。

穢され、破壊され、踏み躙られる旋律が、根拠なき彩りとして、私の心を塗り潰すのだ。

それは、メルも同じだろう。

震える二つの体が、堕ちゆく奏でに調和する。


「…開けるね。」

メルの吐息が、ドアノブに触れる。

木の掠れる音色と、私の目に彩られる二人のつま先。

ここにきて、尚、私は拒もうとしている。

「レーヌ…。」

雫に溺れたメルの音色は、届けたい人に響くことはない。

静かな空間に、ただ反響する。


見ぬわけにはいかぬ。

その為に、ここに来た。

伝えぬわけにはいかぬ。

例え届かずとも。

共存とは、程遠い。

それでも、子を成したのだ。

私たちは、…レーヌ、貴女に伝えたいのだ。


もう、恐るものは、何もない。

血が滲む拳を、更に握りしめ、私は知るべき世界を掴む。



そこに広がっていたのは、私の知る彩り。

様々な花が、整然と咲き誇り、せせらぎが穏やかに煌めく。

ステンドグラスの極彩色が、私たちの道を、優しく彩る。

息を呑み、見渡すほどに、あの日々の旋律がカノンする。

静寂の中に響く、私たちの足跡だけが、ここが真実だと共鳴する。


その先に佇むテーブル。

配された、メルの好きなティーウェア。

芳しい香りは、今淹れたばかりの様に、白く揺らめく。


その奥に凛と誇る、継ぎ接ぎのアルストロメリア。



まるで、昨日、出かけたばかりの様に、私たちの楽園は、確かな旋律となって、満ち溢れていた。



私たちは、アルストロメリアの前に佇むテーブルに触れる。

「口にすれば、嘲笑われるような夢を、私は見ているのです。」

今も私の心を彩る、あの日のメルの残響。

ここは、メルが、夢を奏でてくれた場所。

穏やかに舞う、同じ紅茶の香り。

だが、今、その夢に彩りを与えているのは、数えきれない笑顔。


「ただいま。」

私が奏でる吐息は、メルと共に紡がれた。

三つの音色が重なったように、私たちの心に反響した。



メルは、最奥の花に跪き、祈りを詩っている。


「少しだけ、いいかしら。」

メルは、ゆっくりと振り向き、花園の隅へと歩む。

そこに佇む、荘厳な大樹。

「この子は、私が初めて、花を咲かせる魔法で生んだの。」

メルが、その肌をそっと撫でる。

「魔法だから、本当の魂は芽生えなかったわ。」

メルは、額をつけ、想いを通わせるように、目を伏せた。

「だからね、一緒に育んだのよ。私の成長と共に…。」

大樹の葉が、小さな音色を奏でて揺れた。

「鼓動が、今も私を包んでくれるの。」

それは、祈りを彩る。

「ごめんね、少しだけ、分けてほしいの。」

優しく手折られる数本の枝。

それを胸に抱き、メルは振り返った。



いつか、私が眠る日が来るとき、私は、ここに帰りたい。

あの日、私は、ここで生まれたのだ。

無垢な彩りに捧げる詩が、私たちの祈りを紡ぎ、穏やかに溶けた。


静寂の旋律が悠久を彩る花園で、醒めない夢を謳歌する様に、吐息だけが呼応する。



「行こうか。」

扉へと、ゆっくりと足跡を奏でる。

この道が、どこまでも続けばいいのにと、願ってしまう。

ドアノブに触れた手が、時の流れに虚無を彩る。

全てが止まり、この先にある今を見失う。


「あう…。」

純白の音色を漏らすフルールが、何かに触れた。

その微笑みが奏でる先は、紅茶の配されたテーブル。

私の胸に揺れる純白の石が、漏れ入る陽光に煌めく。


「レーヌは、眠っているだけだよ。あんまり寝ない人だったから、今は起こさないでおこうね。」

メルの赤い瞳が、私を優しく包む。

「いつも、忙しそうだったものね。お姫様が、お転婆だったから。」

絡み合う指が、静かに扉を開いた。



これから、この戦争は激化していくだろう。

それを止める術はない。

人族の王都では、勇者は既に居ない。

そこにあるのは、愚かな裏切り者だけ。

そして、魔族の集う地にも、魔王は居ない。


互いに、新たな先導者を祭り上げ、虚無への旅路に鉄の雨を降らそうとしている。


かつて魔王城が聳えた地は、静寂の聖地として、誰の目にも彩られることなく、悠久を奏でる。

この地に踏み入る事が許されるのは、私と魔王の血を持つ者のみ。

語らぬ口が、それだけを静かに詩っていた。

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