第九楽章4節
砂が煌めく地平の先に、幾つもの影が舞っている。
その届かぬ轟音に、チユは眉を顰めた。
「隠れた方が良さそうね…。」
点在する岩山。
その幾つかには、木々が揺らいでいる。
その一つを見つめ、チユは駆けた。
少しずつ近づく影は、白妙の御旗を掲げている。
数十人の騎士たちが、蹄を奏でている。
それは、焦燥に似た旋律。
通り過ぎる轟音に、息を潜める。
だが、視線だけは、その色彩を鮮明に捉えていた。
連なりの中に紛れ込んだ三つの荷台。
そこに横たわるのは、何人もの人族。
「助けないと…。」
彼らは、深い傷を負っている。
それを知った刹那、チユは影の連なりへと走り出した。
心に灯る、小さな不安。
ここは、人族の支配する白妙の国。
そして、チユは、魔族。
見つかれば、無事では済まないかもしれない。
ただ、それを覆う様に、傷ついた者たちへの想いが膨れ上がっていた。
「あの、待ってください。」
力の限り、声を上げる。
響く轟音に掻き消されながらも、その想いは手を伸ばす。
振り向いたのは、最後尾の騎士。
白妙の御旗が立ち止まった。
「我々は、急いでいる。何の様だ。」
冷たい音色。
その突き刺さる様な旋律に、チユは固まった。
「その…、怪我をしている人が見えたので…。」
恐る恐る紡ぐ言葉は、震えている。
「そうだ。だから、近くの村へ急いでいる。最近、何でも治せる医者が現れたという話を聞いたのでな。」
騎士は、それだけを告げ、踵を返す。
その背を掴む様に、チユは声を上げた。
「間に合わないかもしれません…。私………、魔法を使えます…。怪我を治す魔法を…。」
それは、魔族であるという宣言。
隠す様に抑えてきた魔力が、水の泡となって消える。
騎士の腰に煌めく剣が、ここで抜かれるかもしれない。
その刃が、チユを貫くかもしれない。
心に灯った小さな不安が、鼓動に爆ぜる。
あのまま、隠れていた方が良かったかもしれない。
取り返しのつかない、その迷いが、チユを震わせた。
ただ、その旋律は、たった一つの音色に打ち砕かれる。
「そうなのか。助かる。すぐに来てくれ。」
騎士が手を差し伸べ、馬の背へと誘った。
チユは、その手を掴み取り、潜めていた魔力を解放した。
荒野に咲く小さな泉。
旅路に散らばる癒しの地。
そこに集まる騎士団と、魔族の少女。
柔らかな草の上に、何人もの負傷者が横たわった。
「私は…まだ未熟なので、強い治癒魔法ほど、一度に多くを奏でる事ができません…。」
深く息を吐き、チユは騎士達を見つめる。
「なので、小さく振り分けていきたいと想ってます。」
自らの音色に、少しずつ俯いていく。
「その…、痛みは残ると想います。傷も…完全には、治らないかもしれません…。」
それでも、チユは、前を向いた。
「ただ、灯火が失われる様なことには、絶対にさせません。」
騎士たちの心が綻ぶのを、チユは感じた。
「……それでも、いいですか?」
否定する者など居ない。
縋る様に寄る騎士たちに誘われ、深い傷を持つ者から手を翳していく。
暖かく、柔らかな魔力。
傷を癒し、安らぎを奏でる。
チユだけが持つ魔法。
治癒魔法が、灯火を繋ぎ止めた。
そして、それは、チユへと巡る。
「報酬についてだが…、我々は先の戦いで多くを失った…。渡せるものが何もない…。食料さえ、食べられてしまった。」
チユへと歩み寄った騎士が、俯きながら声を震わせる。
「報酬は、要らないです。それよりも…、戦いとは…。」
騎士を見上げ、ゆっくりと立ち上がる。
それでもまだ見上げなければならないほどに、彼の巨躯は、盾の如く彩られている。
「我々は、この先にある大樹の視察に向かっている。だが、目的は、それだけではない。リュパンとの戦い以降、一部の魔獣の凶暴化が問題視されていてな…。」
ゆっくりと振り返る騎士。
それは、彼らが進んできた旅路の果て。
「村を襲う魔獣と遭遇したのだ。何とか追い払えたが、失ったものも多い…。」
騎士の辿った旅路、それは、チユが進む旅路。
このまま行けば、襲われるかもしれない。
故に、その道は、できるならば、避けるべき道となった。
「村人たちは、どうなったのですか?」
「怪我人は……居ない。」
青ざめた唇に閉じ込めた想い。
騎士の優しさが、チユの心に刺さる。
「そうですか…。」
その村には、もう灯火はない。
泳ぐ瞳が、それを物語っていた。
「チユさん。…君は、白妙に向かうと言っていたね。」
静寂を打ち消すように、騎士が言葉を紡ぐ。
「はい…。」
その音色に、チユは慌てて顔を上げた。
「我が隊から、数人の騎士を護衛につけよう。せめて、魔獣が確認できた辺りまでは…。」
村を襲った魔獣と遭遇するかもしれない。
そして、チユには戦う術がない。
あるのは、小さな火の魔法だけ。
それも、魔法陣がなければ扱う事ができない。
「でも…、それをしたら、貴方たちの成すべきことに支障が出るのではないでしょうか…。」
全てを覚悟して、この旅路を選んだ。
その先に求めているものは、たった一つ。
残された唯一の家族、たった一人の姉、ルナに会いたい。
その為なら、聳え立つものが何であれ、歩を進める。
その覚悟の先に、花の国から続く一歩を踏み出した。
だから、その為に、誰かを巻き込むことはしたくはない。
チユは、小さく首を振り、俯いた。
「我々のしようとしていることは、大樹の視察だ。それは、成すべきことのために、為そうとしていること。」
大地を見つめ、誰に向けられたものでもない微笑みを奏でるチユの肩に、優しく触れる力強い手のひら。
「成すべきことは、この地に生きる者を守ること。それが、我々の持つ白妙の誇りだ。」
そこから伝わる温もりに、チユは顔を上げる。
「ですが、私は魔族です。どうして、そこまで…。」
「そうだ。君は、魔族だ。そして、我々は人族。それでも、君は、自らの危険を顧みず、我々に手を差し伸べてくれた。」
柔らかな温もりが、頬を伝う。
それは、陽光の奏でる優しい色彩故なのだろうか。
それとも、小さな選択が幾重にも連なり、風となって舞ったが故なのだろうか。
「理由が、それだけでは、不満かな?」
ただ、騎士の笑顔が優しく、そして、委ねたいと想うほどに力強かった。
「改めて、紹介しよう。君の護衛につくのは、私、ロスマーリン。そして、あちらに居る二人の騎士、ジニアとバーベナにも同行してもらう。彼らは、守りに於いて、我が隊の精鋭だ。」
泉に安息を奏でる騎士たちを守るように、地平を見つめる幾つかの大きな背中。
その中で、共に讃えあうように立つ二人が呼ばれた。
「魔獣と遭遇した場合、先ず選択すべきことは、逃げることだ。その道を切り開く剣を、私が担う。そして、駆け抜ける足を守るのが、彼ら二人だ。万が一、負傷者が出た時は…。」
「私の魔法の出番ですね。」
「ふふ、そうならないように尽力するが、その時は頼むよ。」
四つの手のひらが、重なり合う。
「君の長い旅路から見れば、刹那に過ぎないかもしれない。だが、この出会いが、いつまでも残る鮮やかな色だと、私は感じている。」
紡がれた温もりが、混ざり合うのを確かめるように、ロスマーリンは紡いだ。
「ありがとうございます、ロスマーリンさん。」
三頭の馬が、気高く詩う。
背に揺れるのは、四つの影。
それは、陽光に負けじと煌めいている。
「お礼する間もなかったな…。」
その色彩を見送るのは、調査隊隊長ゼラニウム。
病み上がりのまま、信頼する部下の言葉に頷き続けた結果、嵐のように過ぎていった時の流れに、彼は、小さく呟いた。
意味さえも必要としない、チユたちの微笑みの共鳴。
その旋律が、背に向けられた音色さえも溶かしていることにさえ、誰も気づかないままに響き渡った。
それは、いつか触れた波紋の先へと繋がる色彩を詩う。
ただ静かに、まだ見ぬ果てへと手を伸ばすように…。




