間奏終節
陽だまりの香りに、夢に触れる温もりが薄れゆく。
その曖昧な色彩は、小さな記憶の欠片を集めていく。
それは、一つへと集まる様に、現の旋律を掴み取った。
柔らかな音色に、扉の軽さを知る。
開かれた世界に横たわるのは、パシフロール。
「いつのまに、帰ってきていたの。」
安らかな吐息を奏でる毛並みを撫でながら、ユズリハは微笑んだ。
見上げた空に、蝶が舞う。
それを辿る様に、ユズリハは、ゆっくりと歩き始めた。
聳え立つのは、厳かな門。
それは、ユズリハを迎える様に、ゆっくりと開いていく。
「行くの?」
背中から聞こえる、朧げな声。
「起きたんだね。ステラさんとルナさんの事を聞きに行くんだ。プラムも来る?」
穏やかに微笑み、ユズリハは手を差し伸べた。
「………ロベリアさんのところ?」
「案内してもらうのは、ロベリアさんだね。でも、会うのは、レーヌさんだよ。」
この世界で、この世界のことを、誰よりも知っている。
それは、間違いなく、原初の魔王レーヌ。
ユズリハは、携えた小剣を撫でた。
「レーヌさんでもわからないとすれば、誰にもわからない。それなら、諦めがつくからね。」
「…諦めるの?」
「誰かが知っているかもしれないという事をね。その時は、僕たちの足で探し回るだけだよ。」
繋がる二つの手に、ユズリハは頷く。
「行こうか、ステラさんとルナさんの足跡を探しに…。」
ゆっくりと歩む足跡は、力強く彩られていく。
望むものが得られずとも、それでも構わない。
この足が彩る旅路は、どこまでも続いている。
この道は、ほんの一部に過ぎない。
でも、この道の連なりこそが、いつか見る希望を照らしている。
一歩ずつ奏でられる未来への光は、まだ醒めぬ夢を詩う。
「待っていたよ。」
壮麗な廊下の果てに、ロベリアは座していた。
玉座と呼ぶには、質素な色彩は、その部屋の虚無を奏でる。
そして、それこそが、漆黒の鏡となって、その領地の凡ゆる事象を映し出していた。
「ユズリハくん、プラムちゃん、君たちが望む場所へ案内しよう。」
暖かく揺らめくのは、指に彩られた木の細工。
小さな広場に植えられた挿し木は、ロベリアの背丈を超えるほどに成長していた。
「門を開くよ。レーヌは怖い人だから、粗相のない様にね。」
悪戯を隠す様に微笑むロベリア。
その音色に、二人はゆっくりと頷いた。
淡い光が、三人を包み込む。
それは、音も無く、一つの鍵を開けた。
広がる色彩は、静寂の間。
佇むのは、朽ちた玉座。
崩れゆく音色を止めた様に、全てが冷たく香る。
「ようこそ、ユズリハ様、プラム様。」
背後に響く音色に、二人は振り向く。
そこに紡がれる冷たい温もりは、全てを見透かす様に微笑んでいた。
「レーヌさん、お久しぶりです。」
彼女は、覚えていないだろう。
リュパン戦の後に開かれた宴で、少し話しただけに過ぎない。
まして、騎士ですらない、ただの人族の少年。
本来ならば、話すことさえ恐れ多い。
それでも、二人は手を伸ばす。
この先に、ステラとルナへの道が紡がれていると信じて。
「ロベリア様は、扉の向こうへ。メル様が待っておられます。」
「メルちゃんが待ってくれているの?それなら、早く行かなきゃ。」
ロベリアは、弾む笑顔を振り撒き、舞う様に扉の向こうへと駆けて行った。
「メルちゃん、会いたかったよ。」
扉の閉まる音と共に、響き渡る音色。
ユズリハとプラムの心には、パシフロールとプラタヌの曝け出した愛の演舞が浮かんでいた。
静寂の消え去った聖域は、レーヌの冷たい吐息に震えている。
ユズリハは、思わぬ色彩に、何から話すべきか戸惑っていた。
それは、喧騒に紛れた音の無い空間。
静寂より深く、そして、重い。
それを打ち破る様に、プラムが手を挙げた。
「えっと、質問です。」
凛とした音色が、柔らかな波紋を彩る。
「大樹の中に眠るのは、誰なのですか?」
その全てに気づいていないかの様に、プラムは声を上げる。
それを見つめ、穏やかに微笑んだレーヌは、漸く口を開いた。
「宝珠を生み出す聖女。そして、それを壊す力を秘めた聖女。その二人が眠っています。それと、リュパンの宝珠に取り込まれた幾つもの魔獣の灯火も、まだ微かに遺っています。魔獣については、殆どがリュパンの魔力として潰えてしまいましたが…。」
再び訪れる無音の空間。
それを切り裂く様に、ユズリハは呟いた。
「宝珠を生む聖女と、壊す聖女…。」
ステラとルナは、共に宝珠を生み出していた。
つまり、二人ともが、大樹に眠る可能性は、無くなった。
でも、どちらか一人ならば…。
消えかけた希望の欠片に、ユズリハは手を伸ばす。
だが、その希望は、静かに霧散していく。
ステラとルナが、互いの傍から離れるなど、考えられない。
「どちらも宝珠を生む聖女ということは、考えられませんか?」
それでも、手を引くことなどできない。
霧を掴むように、ユズリハは手を伸ばし続ける。
「いえ、それは考えられません。そもそも、宝珠を生み出す聖女は……じだ………ひとり…………。」
遠のく音色。
渦巻く色彩。
ユズリハに触れる全てが澱んでいく。
故に、レーヌの奏でる全てが、遠い存在のように感じられた。
もう、何も聞こえない。
だが、希望を失った訳ではない。
ただ、大樹には、二人が居ないということだけを確信したに過ぎない。
小剣の柄を握りしめ、ユズリハは顔を上げた。
「ありがとうございます。一つ惑わせる道が消えました。これで、新たな道に二人を探す決心がつきました。」
ゆっくりと立ち上がるユズリハ。
その姿を見つめ、レーヌは微笑む。
「遠回りも、来た道を戻ることも、全て旅路です。それは、貴方たちを、より育む事でしょう。」
「はい。レーヌさんの言葉を忘れないように、ここからの道を歩みます。」
喧騒を背に、その一歩を踏み出す。
「お二人の幸せを、私は此処で祈り続けましょう。」
淡く煌めく光が、ユズリハとプラムを包み込む。
「お気をつけて、いってらっしゃいませ…。」
柔らかく響く冷たい温もりを見つめながら、二人は聖域を後にした。
木漏れ日に揺れる漆黒の森。
淡い光の先に佇むのは、パシフロール。
そして、その傍に立つプラタヌ。
「ロベリア様は…。」
ユズリハ達を目にした刹那、食いつくようにプラタヌが声をかけた。
「もう少し、メルさんと一緒に居るそうです。」
「そうか…、王位について話したかったのだが…。それはまた話せばいい。どうだ、二人は見つかりそうか?」
「いえ…、でも、旅路は、まだ続きます。諦めるには、まだ早いです。」
穏やかな笑顔の中に潜む、心の軋み。
ただ、それは、立ち止まる枷になるものなどてはない。
「僕たちは、このまま発ちます。パシフロールは、どうする?」
「私も行くわよ。でも、帰る場所は、ここ。そう決めたの。」
硬く結ばれた温もりが、ユズリハとプラムの瞳に彩られる。
「じゃあ、行こうか。」
柔らかな陽光が、歩む道を優しく包み込んだ。
それは、荒野を抜ける朽ちた街道。
遠くに揺れる大樹は、まるで眼前にあるかのように聳え立つ。
その色彩を、ユズリハは見つめている。
「ステラさん、ルナさん、必ず会いに行くから。どうか、ご無事で…。」
握りしめた柄が、風に触れる。
それは、高く舞い上がり、空を掴む。
そこに芽生えた波紋は、小さく、大樹へと流れていった。
割れた窓が、風を誘う。
破れたカーテンが、ここに辿り着いた想いに揺れる。
静寂の音色。
大樹の隙間から差し込む光が、ステンドグラスを彩る。
降り注ぐ極彩色が、聖壇へと紡がれる。
眠るのは、二つの人形。
揺れる葉の旋律が、聖域を柔らかく包み込んだ。
柔らかな讃美歌。
それは、聖女に捧ぐ、清らかな祈り。
人形の紡ぐ夢が、いつまでも穏やかに、幸福に満ちたものでありますようにと。
産声は、その色彩の中に、静かに芽生えた。




