第二楽章5節
かつて、私が、勇者という魂を捨てた地。
あれから、ここに来ることは無かった。
その旅路が険しいという理由を盾に、避けてきたのだ。
旅路を共にした仲間を示す武具は、彩りを変えず、風に靡いている。
最後に立てた墓標、神から授かりし聖剣は、根を張り、もう誰にも抜くことはできない。
連なる墓標に跪き、詩を奏でる。
全てを捨てて、何も持たなくなった私に、溢れかえるほどの光が与えられた。
それは、私が幸福である事を忘れずにいさせてくれる。
しかし、私の仲間が朽ち、それでも歩み続けた旅路の傷に花が枯れ、虚無の淵を這いずり、次の一歩で灯火が途絶えようとも、それでいいと祈った事を、忘れたりはしない。
私に音色を奏で続けてくれた、敬愛なる友よ。
私は、新たな旅路を連れて、ここに来た。
赦してくれとは言わない。
この先に贖罪の荊が待っているのなら、甘んじて受け入れよう。
だが、別れを言わなければならない。
かつて、共に討とうとした者達と、私は生きていく。
さらば、我が友よ。
「何だ、こんなにも早く、再び会うとはな。」
空を覆う翼が、轟音と共に私たちの前へ舞う。
「マオちゃん、久しぶりだね。一年振りくらいかしら。」
墓標から僅かの岩山で、私たちは再会した。
マオは、この辺りに棲んでいると言っていたが、これ程までに近いとは、思いもしなかった。
「花の丘には、もう着いたのか。」
虹色の瞳が、私たちを彩る。
「それも、もう何ヶ月も前のことだよ。」
私は、メルに続き、近づくマオの頬を、優しく撫でた。
「なら、すぐに来れば良いものを。まあよい。それよりも、メル、子を成したのか。」
「よくわかったわね。はい、クッキーだよ。」
神話の時代より続く、人族と魔族の争い。
決して、交わることのなかった二つの人間。
ようやく紡いだ一つの命が、私たちの間に、今、芽生えている。
「魂の鼓動など、肉に隠れていても聞こえるわ。」
近づけていた顔を上げ、雲を貫くほどの影を彩る。
「そうだな…。子守唄でも、学んでおくか。」
悠久を奏でる羽音が、祝福の旋律を響かせた。
空を舞う翼を見送り、私たちは、我が家へと足を向ける。
小さな森林。
そこには、囀りは無い。
木々が風に舞い、静かに旋律を奏でる。
「メル、私の前に立って。」
気配が無いのが、最も恐ろしい。
「でも、悪意は、感じないわよ…。」
メルの背後に周り、柄を握る。
「わかっている。」
全ての旋律が、無を奏でる。
刹那に咲く紅い花。
刃の重なる音色が、鋭く奏でられた。
弾かれる衝撃で、メルを間合いから外す。
静寂が彩られる旋律に、風が舞う。
我が手にある真の聖剣は、斬るに難いが、守りに優れている。
だが、背後に回られれば、間に合わない。
故に、逆手のクレマティスが私を守ってくれる。
太刀筋は、依然、変わらず。
読みやすい。
振り返る勢いを、刃先に奏で、一閃を描く。
それは空を斬り、再び静寂が全てを彩る。
やはり、やり過ごす事は叶わない。
クレマティスを納め、聖剣に精神を注ぐ。
無為の境地。
何処に潜むかも知らぬ旋律に、その音色を探る。
それがローダを奏でた刹那、私は、そこへ切先を紡いだ。
弾かれる刃は、終楽章を奏でる。
聖剣が晴天を貫き、土に彩られた。
刹那の狭間に揺れるカノンが、私の首筋を捉える。
それを、待っていた。
一重に滲む、傲慢な音色。
やはり、何も変わってはいない。
クレマティスが、私の首筋に触れようと詠う刃を落とす。
鈍る音階に、私は小さな不協和音を奏でた。
彼女の背後に立ち、その瞳に刃を彩る。
「剣が鈍りましたね。」
動けぬ彼女が紡ぐ囁き。
「久しく、剣を振っていない。」
彼女は、呆れた笑いを奏でた。
「剣技のことではありません。刃に彩る想いです。」
私は、クレマティスを納める。
「何が言いたい。」
彼女が振り返り、私を捉える。
「勝つという音色が、微塵も感じられなくなっています。」
「そうだな。もう私には、必要ない。」
何年振りだろう、彼女の笑顔を見るのは…。
「でも、私は今の音色の方が好きですよ。テラ様。」
私も、彼女に笑顔を見せるのは、あれ以来だ。
「そうか。騎士団長ヴィオラ、君の音色は、変わらず恐ろしいよ。」
「あの…、けんかは、だめだよ…。」
よろめきながら立ち上がるメルが、私たちを伺いながら、囁きを彩る。
「誰ですか。この女は。」
「妻だ。」
先ほどとは違う静寂が、旋律を溶かした。
「そうか。貴女が、魔王か。私は、テラ様が、もっとお若い頃から慕っている。あの美しい剣技に惚れたのだ。わかるか、女である私が、騎士団長にまで昇り詰めたのは、その剣技を追ったからだ。お前には分かるまい。この揺るがぬ意志も、血の滲む努力も。そもそも、貴様がテラ様を誘惑しなければ、こんな面倒臭いことにはならなかったのだ。知らぬだろう。今、テラ様の跡を継ぐ阿呆が祭り上げられている。剣聖だと、ふざけるな。権力の欲望に溺れた魑魅魍魎が。私は、もう知らん。」
私は、ただ、ヴィオラの背中を撫でるしかなかった。
「テラ様…。」
彼女の尊敬の眼差しは、いつも恐縮に値する。
ただ、その旋律は、誤解を生みやすい。
「あ、あげないよ…。」
メルが、私にしがみつく。
だが、心配はいらない。
「メル、彼女には、夫が居る。」
メルは、それでも、しがみつく事をやめなかった。
「テラ様、夫も会いたがっています。是非、拠点に…。」
ヴィオレが、私の手を引こうとする。
「いや、待て。私は、人族にとっての裏切り者だろう…。」
私は、その手を優しく解いた。
風が、木々を強く撫で、葉の旋律が響く。
「私ども、宮廷騎士団精鋭隊は、国を捨てました。」
それは、命を失うより重い選択。
「何故…。」
言葉を探すことさえ、忘却に流れた。
「勇者を、信じていたからです。」
ヴィオラの見据える瞳が、幻影を掴む。
「魔王城を落とす。それが、騎士団長としての、最後の命でした。」
伏せられた、彼女の瞳。
「城には、一人の魔族しか居ませんでした。それに気づいたのは、我々だけ。彼女は、何もしようとはせず、ただ、討伐隊の愚行を見つめているだけでした。」
レーヌは、共存のための約束を、果たそうとしてくれた。
いや、最後まで、守り抜いてくれた。
「もう、耐えられなかった。目の前で繰り広げられる略奪と破壊、それを見つめるだけの魔族。」
彼女の握られた拳に、血が滲む。
「あの魔族は、我々より遥かに強い。それでも、我々に何もしてこなかったのだ。まるで、全てを赦すかのように。その屈辱に、耐え忍ぶかのように…。」
ヴィオラの見据える瞳が、私を掴む。
「私は、テラ様を信じることにしました。」
その瞳は、メルをも掴む。
「そして、テラ様が信じる人のことも、同様に。」
鞘を取り、胸に掲げる。
その旋律は、凛としてヴィオラを纏う。
「私は今、魔王城に立っていた、あの方に誓います。我が王と、その王妃を護り抜くと。我が忠誠に、種族など無用。その為に、馳せ参じました。」
跪くヴィオラの影は、何よりも気高く、その高らかなる旋律が、陽光を貫いた。




