第二楽章4節
私が、セロぺギアを、彼の仲間の待つところへ送ることを伝えた時、メルは、珍しく同行を申し出なかった。
理由は、わかっている。
「テラさん、メルさんを、どの様に想っておられますか。」
村から少し離れたところで、セロぺギアが静かに言葉を紡いだ。
「露骨だね…。もっと、こっそり聞くのかと思ったよ…。」
私は、思わず笑顔を零し、静かに、メルへの想いを奏で始めた。
「メルは、私の全てだよ。そうだね、例えるなら…
もし、広大な砂塵の園を、宛ても無く歩き、飢えと渇きに苛まれ、陽光が体を蝕み、少しずつ枯れていくのを感じながらも、それでも歩みを止めることを許されなかったとき、小さなオアシスを見つけたら、君なら、どう思うかな。
もし、火の吹く山の火口に落とされ、灼熱が全てを焼き尽くし、踠きながらも、肢体が炭へと消えていくのを予感したとき、火を途絶えさせる大きな雨が、この身だけを優しく包んでくれたとき、君なら、どう思うかな。
もし、礫の降る渓谷に迷い込み、その岩肌に身を割かれ、削り取られゆく骨肉を見つめながら、その鮮血に明日の陽光を諦めかけたとき、木々が身を包み、清純たるせせらぎが全てを癒したとき、君なら、どう思うかな。
もし、鳥籠に捕らわれ、飢えの中で孤独を噛み締め、少しずつ孤独に堕ちていくことを知りながら、何もできずに、ただひたすらに檻を見つめているときに、その扉が開かれ、壮麗なテーブルとティーウェアが目の前に広がり、芳しい紅茶と、至上の甘美が並べられ、その一口を頬張った瞬間、君なら、どう思うかな。
もし、月の出ぬ宵闇の山奥で…
…そこに咲く一輪の…
…痛みより、屈辱が…
…可憐な…
……君なら、どう思うかな。」
「あの、…あの、すみません。」
セロぺギアの言葉に、私は奏でる旋律を中断する。
「どうしたのかな。」
「もう幾分も前に、我が集落に着いていますが、まだ続くのでしょうか。」
いつのまにか、立ち話になっていた様だ。
「まだ、序奏も終わっていないよ。」
セロぺギアの顔色が、少し悪い様に感じる。
「もう、十分です…。」
やはり、食べ物が足りていないのだろうか。
「そうか、残念だな…。ここから、溢れる想いを紡ごうと思っていたのだけれども…。」
私は、セロぺギアと共に、集落の中へと進んだ。
小さな子供たちが、土を枕に、空を彩っている。
人々が寄り添うように座り、沈黙の唄を紡ぐ。
最後まで共に生きようとした命が、風に香る。
これが、力の届かぬ最果ての彩り。
私は、勇者としての旅路で、何度も見てきた。
神の加護などという、荘厳で壮大で、何より尊い枷を以てしても、この渇きを癒す水滴にもならなかった。
だが、今なら間に合う。
私は、念を押して持参したミルクと焼き菓子を、子供達の口へ運び、寄り添う人々へ巡らせた。
だが、足りるはずもない。
昨日、分けた食べ物では、彼らを癒せない。
あれは、食べる力を持つ者が、口にすることのできるもの。
彼らは、最早、それを咀嚼する力さえ残されていないのだ。
私は、駆けた。
私では、抱えきれない痛み。
かつて、私を蝕み続けた現実。
無力を知り、それでも抗おうとした。
結果、あの旅で、私は枯れたのだ。
だが、今なら間に合う。
「メル、転移魔法を。みんな、ミルク粥をできるだけ多くたいてくれ。」
切れる息など、私の知るところではない。
私は、掠れた叫び声を上げ、メルの手を引いた。
「好きなところへ行く魔法を使えばいいのね。セロぺギアさんのところでいいのかしら。」
その可憐な瞳から、黄色の輝きが揺めき、一つの魔法が、私の願いとカノンした。
何度も行使される魔法。
それは、メルがようやく身につけたもの。
故に、その消耗は、想像を絶する旋律となって、メルにのしかかる。
「少し、休んだ方がいい。魔力が枯渇してきているのだろう。」
青く彩られたメルの顔を見なくても、その息遣いが全てを描いている。
「ふふ、私は、魔王よ。後で、いっぱい褒めてね。」
私が、運びやすい様に施した一人一人を撫でながら、メルは微笑んだ。
ようやく、最後の一人を送り届けたメルは、私と共に帰るために、私の元へ戻ってきた。
だが、そこに表情が彩られることはなく、枯渇した魔力の底で、微睡みに抱かれた。
私は、崩れゆくメルを抱きしめ、腕の中へと包む。
「帰ろう…、私の愛する、大切なお姫様…。」
人の息遣いが消えれば、そこが集落であったことさえ分からぬ地を背に、胸に重なる温もりに抱かれて、腕の中のメルと共に、我が家へと帰った。
駆け寄る家族たちに、私は謝罪した。
メルは、彼らにとって宵闇を照らす月。
そんな彼女が、こうなるまで頼ってしまったのだ。
それだけじゃない。
家族の大切な備蓄を借りた。
彼らが怯えているのを知りながら、答えを待たずに人族を招き入れた。
そして、芳しい香りを彩るミルク粥を、こんなにも作ってもらった。
静かに寝息を立てるメルを見届け、私は小屋を出る。
「申し訳ない。」
小屋に集まる家族を前に、私は頭を下げた。
「いえ、私たちだけでは、ここまで、できませんでした。」
その言葉は、その意味以上の大切な宝物だ。
彼らは、ただ、受け入れてくれるのだ。
私が守らなければと思っていたものに、私は守られているのだ。
「それよりも、人族というのは、みんな、こういうものなのでしょうか。」
連れてきた人族の中には、動ける者も居る。
しかし、彼らに必要なものは、今は療養だ。
それでも、恩を返したいと、農耕の手伝いを申し出ているのだ。
「魔族が魔素を持ち、人族が力を持つ。それしか違わないよ。でも、私たちが、それぞれの私たちであるように、みんな、それぞれの色を持っている。それだけだよ。」
故に、互いを知れば、共存への道も、手繰り寄せる事ができると、私は信じている。
星が流れ、一つの季節が巡る頃、農地は広がり、織り成す色彩が実る。
牧地に奏でる鳴き声は、空に届く音色を奏でる。
増えた小屋からは、営みの息遣いが香り、陽光に照らされた私たちが、今日を歩む。
魔族にしかできぬ事があるように、人族にしかできぬ事がある。
雨が地を彩れば、泥濘んだ足元も、今は石造りとなって支える。
その濁流は、流れにそって、せせらぎへと移ろう。
それが、田畑を潤し、実りを膨らませる。
彼らが、開拓を生業とする集落を形成していた事が、私たちにとって、快適を奏でてくれることとなった。
かつてより、花の丘は、旅人の目的地としても、密かに名を馳せていた。
ただ、ここへ辿り着くまでの荊が、それを拒んでいた。
しかし、この丘を彩る、広大な花の旋律を、最後の晩餐にする事が、多くの旅人の矜持でもあったのだ。
そこに生まれた、一つの村。
私の愛する家族が住まう聖地。
そこに立ち寄る旅人は、世俗を捨てた者。
そこには、人族も魔族もない。
やがて、私たちの家は、花の街と呼ばれるようになった。
あの日、再会したアルストロメリアの花畑。
私は、メルを誘った。
「外で二人きりだなんて、久しぶりね。」
メルの笑顔が、黄色に咲いている。
「私たちの村も、安定してきたからね。ライラックとコスモスフレが、みんなを導いてくれている。」
遠くに見える、私たちの家。
「アリウムも、他の子どもたちを、よく見て、たくさん面倒を見てくれているわね。」
微笑み合う私たちに、穏やかな陽光が彩る。
「メル、ずっと言いたかった事がある…。」
私は、メルに跪いた。
「なぁに。」
差し出した、一輪の薔薇。
「私の愛しい姫よ、この魂にナイトの称号を、お与えください。」
両手に抱くのは、薔薇を包む私の手。
「テラ…。」
頬を伝う雫は、私たちの繋がりを示してくれる。
私の揺るがぬ瞳で、メルの潤う瞳を包む。
「メル、結婚しよう。」
世界を彩る黄色のアルストロメリア。
そこに、真紅の薔薇が、静かに、しかし、何よりも強く咲いた。




