間奏3節
白妙に芽吹いた小さな旋律。
それはまだ、日陰に咲く花に過ぎない。
行き交う人々の瞳にも映ることはなく、その賑わいは変わらず彩られる。
それは、都を知らぬ者にとっては魅惑の街。
旧都を凌ぐ色彩は、路地裏に生きた少年少女を圧倒する。
「パシフロールも連れてきたかったね。」
プラムは、顔を覗かせて微笑む。
「出入りが寛大になったとはいえ、流石に魔獣を街に入れることは許されないからね…。」
ユズリハは、微笑みの中に、小さなため息を紡ぐ。
「それに、今日は、大切な用事があって来ただけだから。」
目指すのは、グランシンフォニー先遣隊宿舎。
リュパンとの戦いで傷ついた者たちに施した補助具。
その整備と、不要かどうかの判断をしにきた。
あの戦いの犠牲は、決して少なくはない。
それでも、生き残った者たちの殆どは、既に復帰を果たしている。
ただ、もう戻らぬものを失った騎士たちも居た。
「ニゲラさん、お久しぶりです。」
工具を下ろしながら、ユズリハは微笑んだ。
「ユズリハくん、プラムちゃん、久しぶりだね。待っていたよ。」
交わされた握手が、忘れられない音色を鮮明に奏でる。
宿舎の中央にある広場。
鍛錬に汗を流す者に囲まれながら、数々の道具を広げる。
その色彩に触れられていく傷跡。
それは、剣を握るためのものではない。
あの日と同じ様に、カトラリーを持ち、愛する人と手を繋ぎ、素晴らしい彩りの中を歩く。
その当たり前の旋律を取り戻すための一欠片。
広い世界の片隅で、賑わう笑顔の陰で、ただ静かに紡いでいく。
それは、ユズリハにとって、鍛治師の誉。
工具を握る手に、微笑みが溢れる。
「そうか。あれから、旅を続けたのか。」
休息のひととき。
ニゲラは、紅茶の入ったカップを二つ持ち、ユズリハとプラムへと歩み寄る。
「はい。パシフロールと共に、たくさんの魔獣のお手伝いをしてきました。」
紅茶を受け取り、微笑むユズリハ。
「みんな、それぞれの場所へ帰っていったわ。」
受け取った紅茶を飲み、温かな吐息を漏らすプラム。
「ただ、大樹へと戻っていく魔獣も、多くいます。あそこには、何かあるのですね。」
ニゲラは、それを知っている。
そう確信する様に、ユズリハは見つめる。
「そうだな。それが何かはわからないが、きっと、それに触れてはいけない。」
知っていても話すことはできない。
それが、火種となることが明白であるが故に。
「触れませんよ。……ただ、友達の行方を知りたかったのです。」
大樹の傍で見つけた小剣。
ステラとルナに贈ったもの。
それは、今、ユズリハとプラムが、それぞれ携えている。
何があろうとも、いつか、再び届けるために。
必ず、二人と再会するために。
柔らかな風が、小さな花を強く揺らした。
折れそうなほどに響く旋律は、この地に集うものたちの想い。
それを奪うことになるかもしれない。
ユズリハとプラムは、人を救うことを戦いにしている。
大樹に眠る聖女も、それを選んだとレーヌから聞いた。
だが、ニゲラが選ぼうとしているのは…。
彼の歩む道には、必ず赤い花弁が舞う。
願わくば、その花弁は自らのものだけであってほしい。
再び旅立とうと歩み出すユズリハとプラムの背を見つめ、心に紡いだ手を伸ばす。
その自らの揺らぎを赦すように、ニゲラは声をかける。
「漆黒に行くのだな。」
「はい。」
その旋律に振り返り、微笑むユズリハ。
「恐らく、白妙は大きく動く。それが終わるまで、漆黒には静観していてもらいたい。…可能ならば、そう伝えておいてもらえるか。」
ニゲラの声は、猛々しくも穏やかに、揺るがぬ意志を孕み響く。
「わかりました。では、ニゲラさんも約束してください。それが終わった後、共にお茶会をする事を。」
ユズリハは、何を知るわけでもない。
それでも、ニゲラの心に軋む不協和音を聞き逃すことはなかった。
「わかった。必ず果たそう。」
故に、ニゲラは、進むべき道の歩み方を、もう一度、見つめ直す事を選んだ。
それでも、歯車は動き始める。
それは、長く紡がれてきた色彩の終幕。
勇者を産んだ人族が紡ぎ繋いできた歴史の演劇。
王を継ぐ者、即ち、原初の父であり、初代勇者の血筋。
古き舞台と人形は、新たな旋律に朽ちていく。
革変の時を詩う様に、集う想いが混ざりゆく。
変わらぬ日常の影の中で、ただ静かに息を潜めながら。
その小さな軋みを背負い、漆黒へと届ける。
ユズリハにとって、世界の動きなど、遠くに響く雑音でしかない。
そう思わなければ、立ち止まってしまう。
何も知らない、知るはずもなく、知るべきでもない。
それがわかっていても、ニゲラの顔を見れば、何を想っているのかに触れてしまう。
それでも、歩みを止めるわけにはいかない。
手を伸ばすべきは、そこに傷を抱いた者たちの明日。
それが、この旅路の意味。
故に、漆黒へ向かうのは、リュパンとの戦いの傷跡を癒す手伝いをするため。
それは、白妙であろうとも、漆黒であろうとも、変わることはない。
漆黒へと続く道で、遠くに彩られるのは、世界の大樹。
あそこに眠るのは、恐らく…。
確かめたくない、でも、知りたい。
その葛藤を秘めながら、歩みを奏で続ける。
「この道を西に行けば、おとぎ話に出てくる丘に行けるよ。」
パシフロールが、背に乗るユズリハとプラムに微笑みかける。
「おとぎ話の丘?」
「そうよ。星が降るのよ。ここから遠いから、寄り道は出来ないけれども…。」
遠く、地平線の向こうを見つめるパシフロール。
「いつか、行ってみたいね。」
ユズリハは、穏やかに頷いた。
白妙の引いた線の果てにある、辺境の地。
そこに広がるのは、一つの丘。
星降る丘と呼ばれる、静寂の地。
その麓に遺された、小さな廃村。
プロテアたちの見つけた、彼らの新しい帰着点。
白妙の領土でありながら、白妙の手の届かぬ地は、一つの家系の崩壊と共に忘れ去られていった。
この村に新たに付けられた名は、星と月の家。
いつか、ステラとルナを迎えるために、その願いを込めた。
故に、他と変わらぬほど小さくも、最も大きな屋敷に触れることはしない。
ここを、二人の帰る場所にしたいが故に。
「それでも、掃除はしないと、すぐに汚れが溜まるわよ。」
箒とちりとりを持つリュテ、そして、雑巾を持つプロテア。
その二人を監視するアプフェル。
彼女の手には全てがある。
「さあ、始めるわよ。……と言いたいところだけど、貴方たちが旅に出ている間に、見つけたものがあるのよ。」
アプフェルは、二人を導くように、地下室へと歩む。
そこは、倉庫のように多くの本や農具が整然と並べられている。
そこに遺された、一枚の絵。
隠すように、大切に抱くように、ただひっそりと飾られた絵。
「これは…。」
言葉を失う二人。
描かれているのは、三人の家族。
家族であると確信したのは、その佇まいからではない。
ステラを大人にしたような女性。
ステラの穏やかさを写したような男性、、
そして、幼いステラのような少女。
「ここは、やっぱり…。」
ステラの故郷。
その確信があるわけではない。
ただ、点在する遺響の数々が、そこから紡がれた細く小さな道が、此処へと収束する。
そして、この村から繋がるのは、あの大樹へと続く道。
忘れ去られた旅路の果ては、此処に在り、大樹に在る。
ならば、やはり、此処を帰着点と詩いたい。
ステラとルナが…、大切な友達が帰ってこられるように。
リュテは、手に持った箒を強く握り、顔を上げる。
「美しい村を取り戻そう。いつまでも煌めく、安らぎの村を残そう。共に歩んでくれて家族のために。そして、大切な友達のために…。」
誓う様に、願う様に、リュテは、その祈りを紡いだ。




