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夜想曲『花の国』  作者: ことは
第二部『月の詩』
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第八楽章終節

これは、私の記憶ではない。

絵本ですらない。

断片的な色彩が、一つ一つ破れていく。

その奥にある絵もまた、私の知るものではない。


その連なりに紡がれるのは、一つの顔。

それは、怨嗟。


積もり続けた遺響が、その小さな塊の中で反響する。


向けられているのは、リュパン。

これまで、数え切れない人たちの全てを奪ってきた。

その報いに触れることもなく、リュパンは、この世界から消えた。

行く先は、宝珠の中。


故に、彼は、その理に溺れる。

何も選ばず、全てを受け入れ、全てを還す。

彼の紡いできた全てが、終わらぬ音色となって自らへと還る。


その片鱗を、私は眺めている。

泣き叫ぶ声が、私の耳を覆う。

それは、リュパンの声。


そこから漏れ出した怒りと欲望こそが、宝珠を動かす糧。


それに触れた時、私は、リュパンは宝珠であり、宝珠ではないことを知った。

そして、宝珠もまた、リュパンであり、リュパンではない。


これは、歪な力を持った、ただの塊。

私たちが閉じ込めるよりも、ずっと前から、彼は閉じ込められていた。

この旋律が始まった刹那、それよりも前から、ずっと…。


繰り返される悲鳴と絶叫。

溢れ続ける怒りと欲望。

その轟音の中に、私は一つの音色を見ていた。


「寂しいよ…。」


幼いリュパンの声。

彼は、全てを欲し、全てを奪ってきた。

それでも彼は満足できなかった。


たった一つだけ、手にすることができなかったから。

彼が最後まで口にしていたのは、その音色だった。



でも、私には、それを与えることはできない。

赦すことさえ、私にはできない。


私たちも、彼に奪われてきたのだから。


でも、気持ちは、わかる。

その苦しみも、わかる。

私は、ルナという大切な人と触れ合えたことで、それを取り戻した。


でも、彼は、今も持っていない。

きっと、生まれた時から、ずっと。


赦せなくても、二度と見たくないと願っていても、全てを忘れたいと嘆いていても、詩うことはできる。


彼が得ることのできないたった一つのために。

私たちは、贈るよ。


「慈愛の詩。」

粉雪が舞う様に、無数の純白が廃教会を埋め尽くす。

それは、柔らかく、温かな羽。

その一つ一つが、抱えきれないほどの愛を紡ぐ。


羽を追う様に、崩れた扉から這い出た手が蠢く。

羽に触れるたびに、その手は溶け落ちていく。

それでも、手は、羽に追い縋る。

まるで、至高の喜びに満たされるかの様に、消えていく。


遺されたのは、突き刺したガラスの欠片。

その小さな色彩に、私たちの奏でた詩が反響する。


私は、それを知らなかった。

灯火を捧げ、奏でられた、この慈愛の詩を。

これが、禁呪であることを。

その代償が、大樹の中で確かに感じる現であることを。


微睡む世界。

もう、ここには、私たちを脅かすものなど、一つもない。


私たちは、聖壇に横たわる。

灯火を支える蝋は、僅かに揺らめくだけ。

禁呪を奏でた故の運命に、私は小さく頷いた。

「ルナちゃん…。」

「なぁに、ステラちゃん。」

静寂の廃教会に、二つの音色が柔らかく響く。


割れた窓が、その温もりを艶やかに映し出している。

触れ合う指先が、小さくなっていく鼓動を繋ぎ止める。



「伝えたいことがあるの。」

「私もよ。」



大樹の脈動が、夢へと手を伸ばす二つの人形を包み込む。



「愛してる。」



重なる音色。

触れ合う指先。

それは、最も柔らかく、清らかな、隠された聖域へと伝う。

絡み合うのは、甘美の蜜。

それを分かち合う様に、互いの指が、想いの奥へと触れた。


静寂の中に抱かれる、揺るぐことのない幸せ。

艶やかに奏でられる吐息は、私たちだけの福音。


見つめ合う瞳。

掠れゆく色彩の中で、私たちは、初めて一つになった。

そこに紡がれるのは、消えることのない旋律。


それは、夢の中へと溶けていく。



大樹の香りが、漆黒の髪と純白の髪を揺らす。

迷い込んだ風が、遺された微かな吐息を掻き消す。

数々の祈りが捧げられた聖壇から、温もりが消えていく。



私たちは、一つになった。

深い夢の底で、決して醒めぬようにと、楽園に委ねる。

ステンドグラスの極彩色だけが、ただ静かに、動かぬ人形を見守り続けた。


いつまでも、いつまでも…。

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