第八楽章7節
リュパンを閉じ込めるために、固く閉ざした扉。
もう二度と開くことは無いと、そう確信していた。
それは、夢を見る、ほんの僅か前のこと。
でも、宝珠は、それを拒んだ。
崩れた体では、リュパンが抱き続ける不協和音が溢れ出てしまう。
その言葉と共に、私に再び扉を開く様に誘う。
冷たいドアノブ。
そこに感じるのは、残酷なまでの熱。
この先に蠢くのは、怒りと欲望。
触れずとも、見なくとも、聞かなくとも、それを感じる。
「はやく…。」
私の耳を撫でる、あの声。
「もう、わかっているのでしょう。」
私の背中を押す、あの声。
「あの塊を、貴女の中に孕むのよ。」
震える手に添えられる様に纏わりつく、あの声。
「それだけでいいの。」
私は、ドアノブへ、力を込める。
「貴女が、世界を救うのよ。」
私が、救いたいのは…。
「私が、貴女を救った様に…。」
私が、救いたかったのは…。
「忘れたわけではないでしょう?」
私に、救えるのは…。
「失われた貴女の手、そして、愛する人の足。」
引かれる裾が、想いの中に沈みゆく私を掬い上げる。
「私が施した愛を、裏切らないで…。」
その手の温もりを彩るのは、私の、たった一人の大切な人。
「嘘つきなの。」
ルナの音色が、廃教会に反響する。
「宝珠さん、貴方はリュパンの中に居る子。」
静かに、そして、力強く奏でられる、可憐な声。
「私たちの手と足を戻してくれたのは、私の中に居るステラちゃんの宝珠と、ステラちゃんの中に居る私の宝珠なの。」
それは、あの声を掻き消す様に、壮麗に響き渡る。
「決して、あなたではないの。」
ユズリハとプラムの紡いだ祈りが、その音色を強く、鮮やかに彩る。
振り返る私の瞳に描かれたのは、ステンドグラスの極彩色に包まれた、純白の天使。
「ルナちゃん…。」
私は、ゆっくりと、ドアノブから手を離した。
「この声の子は、嘘をついているの。」
ルナが、潤ませた瞳を、私へと煌めかせる。
「でも…、私が取り込まないと……、世界中のみんなが…。」
「そうだよ、惑わされないで。貴女は貴女の成すべきことを果たして。」
響き渡る宝珠の声。
その旋律に引っ張られる様に、私は再びドアノブに触れた。
「大樹を…、私を、信じて。」
ルナが、私に抱きつく。
「どうすれば…。」
震える声が、私の唇を乾かす。
「宝珠は、壊れたままでも、リュパンを取り込み続けるの。」
私の胸に顔を埋め、ルナが囁く。
「でも、それは、留めているだけ…。壊れているから、動けずにいるだけ。」
見上げる瞳。
「もし、宝珠が元に戻ったら、また暴れ出してしまうの…。」
可憐な音色。
「だから、閉じ込めておかないと…。だから、扉を開けちゃ駄目。」
私の心が溶けていく。
「どうして、知っているの…?」
私は、小さく零れ落ちる音色を、ルナの瞳へと注ぐ。
「私は、生まれた時から、宝珠と共に過ごしてきたもの。」
「惑わされるな、ステラ…。この子は外から紛れ込んだ想いに操られている。」
教会に反響する声。
それは、怒りに震えるかの様に、朽ちた壁を劈いた。
「…。」
頭が割れる様な痛みが、瞼を重くする。
「ステラちゃん…、扉を開くと、呑み込まれちゃう…。」
声を紡ぐことさえできない。
「ステラちゃんも、感じたでしょう。大樹へと奏でられた祈りが、私の残響を呼び覚ましてくれたの。」
痛みを拭い去る様に、ルナの囁きが触れてくる。
「あの宝珠は、もう、私たちの宝珠ではないの。」
痛みの中で、ゆっくりと開く瞼。
「あれは、リュパンの心。私たちを呑み込み、世界を食べようとする不協和音なの。」
そこに彩られるのは、唯一の真実。
「私は…、ルナちゃんを信じる。」
互いに包み合う細い腕が、限りない温もりを紡ぎ合う。
背中に感じる崩壊の音が、扉の最後を映し出した。
「愚か者が…。愛を仇で返すとは…。」
穏やかだった声が、絵本を彩った声が、黒く蠢く音色へと歪んでいく。
それは、崩れ落ちた扉から這い出る腕。
その先に彩られた、棘に覆われた手。
皮を剥ぎ、本性を露わにした、絵本の声。
リュパンに取り込まれた、宝珠の旋律。
私たちを掴み取ろうと蠢く音に、教会の硝子が砕けていく。
「あなたが私たちに与えたのは、愛ではないの。」
ルナが叫ぶ。
「愛を与えてくれるのは、ステラちゃんだけなの。」
その旋律に、雫が舞う。
「お前は、黙って宝珠をぅでいれば良いのだ、この傀儡が…。」
爆ぜる音。
それは、私の奥に潜む軋み。
ルナの足が奪われた時、あの刹那に芽生えた音色。
それは、一つの冷徹な旋律。
「今ので、わかったわ…。お前は、リュパン。欲の亡者。」
手にしたのは、割れたグラス。
あの日、私たちの自由を奪ったリュパンの小剣。
その旋律が今、手のひらに包まれた、この小さな破片を、聖剣に変える。
滲む赤。
それは、ガラスを伝い、廃教会を彩る。
その一つ一つの軌跡が、あの日から紡いできた足跡を詩う。
これは、痛みの旅路。
だけど、愛する人と共に過ごした大切な宝物。
誰にも、穢させはしない。
誰にも、壊させはしない。
もう騙されたりは、しない。
でも、それでも…。
きっと、届かない。
どれだけ想いを込めても。
どれだけ願いを紡いでも。
どれだけ祈りを捧げても。
私、独りでは。
だから…。
「ルナちゃん、助けて。」
「もちろんなの。私たちは、いつでも一緒だもの。」
重なり合う手。
溶け合う心。
魔力のない私たちが、唯一奏でることができるもの。
私たちは、生きる。
あの鳥籠を捨てて、この壮麗な世界を歩む。
それだけが、私たちの揺るぎない旋律。
例え、脆い夢だとしても。
儚い道だとしても。
ここで、足跡が途絶えたとしても。
私には、愛する人が居る。
だから、希望を奏でる。
絶望を与え続けた、貴方へ。
突き刺したのは、小さな影。
宝珠の奥に潜む、不協和音。
それは、歪な叫びをぶつけながら、崩れた扉へと引き摺られていく。
その色彩から、私たちは、目を逸らさない。
ここが、私たちの出発点。
そして、私たちの帰着点。
それは、覚悟。
奏でられるのは、ファンファーレ。
響くのは、二つの宝珠。
ルナの中に煌めく、私の宝珠。
そして、私の中に煌めく、ルナの宝珠。
互いに想い合った、慈愛の詩。
私たちは、自由へと羽ばたく。
過去からの遺響を、私たちを縛る枷を振り切って。
舞い上がる白い羽が、差し込む光に煌めいた。




