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夜想曲『花の国』  作者: ことは
第二部『月の詩』
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第八楽章3節

遂に、戦争が始まった。

王都に聞こえる声。

私たちは、外のことなんて、何一つ知らない。

目の前に広がる賑やかな色彩が、戦争に触れた国の姿なのだろうか。


思えば、父も漆黒との戦いに参加していた。

魔王城を落とすという、精鋭のみが許される過酷な作戦に身を投じた。

でも、父は、争いを好まない人だった。

そして、父が治めた私の住んでいた村は、静かな辺境の地。


どうして、父は戦争に参加したのだろう。

自ら志願する事なんて絶対にない。

選ばれることも、考えられない。

白妙にとって、私たちの村は、在るかさえも知る者は少なかったはず。


あの戦いから帰ってきてから、父は笑わなくなった。

戦うことよりも、医療技術に秀でた人だったから、きっとたくさんの人を助けたのだと思う。

それでも、救えなかった色彩が、父を押し潰していたのだろう。

だから、私も、何も聞かなかった。

いつかまた笑ってくれる日を信じて、待ち続けた。



でも、その日が来ることは永遠にない。

父は、王都に呼ばれた。

告げられたのは、叛逆の罪。


鳥籠が解き放たれた、この煌びやかな地で、父の灯火は奪われた。



それを知らされた時、母から聞いたこと。

それは、父が戦わずして帰ったということ。


抗うことをせず、人族の略奪に耐えた魔族を見つめ、ただ一言だけ謝罪を残して、父は帰ってきた。

そして、父と共に白妙を出た騎士たちは、原初の魔王の魔法によって全て散った。


だから、唯一の生存者である父に、怒りの刃が向けられた。


どうして。

怒りを向けるべきは、父ではないはず。


今も、答えは見つからない。

行き交う笑顔に晒されて、私は呆然と立ち尽くしている。

足跡を残し、小さくなっていく私とルナの背中。

あの日、父を見送った様に、私は動けずにいた。

あの日の様に、一つの疑問だけが、悲鳴を上げている。

父が戦争に呼ばれなければ、私は今も穏やかに生きていた。


なのに、どうして…。

「君が、特別だからだよ。」

あの声が聞こえる。

私は、首を振った。

何も特別なんかじゃない。

小さな村の、小さな貴族の、ありふれた子供。

その名前さえ値札に変えられた人形。

ようやく、そこから這い出たばかりの、無力な存在。

もし、私が特別だとすれば、目の前を行き交う人々は、きっと神様になるだろう。


特別なのは、私なんかじゃない。

私にとって特別なのは、ルナだけ。


そうだ…。

きっと私は、ルナに出会うために、この地獄を歩むことになったのだろう。

何も悲しむ事なんてない。

ルナが居てくれるなら、それだけが揺るがないのなら。


「正解だよ。」

私の背中を撫でる声。

その音色に呼応する様に、白妙の都が崩れ落ちていく。


また、ページが捲れる。

その予感に、私は目を閉じた。


次に紡がれる色彩は、何となく分かっている。

それは、もう二度と見たくないと願った色彩。



石造りの地下牢が、私を縛り付けている。

鳥籠の果てなんかでは、逃げ切ることはできなかった。

リュパンの手が、瞬く間に私達を捕らえた。


せめて、ルナだけでも逃げてほしい。

眠るルナを朽ちた箱と布に隠し、私は自ら両手を差し出した。


この先に待ち受けているものが何かを知りながら、私は全てを受け入れた。

ルナが生きてくれるのなら、それで良い。

何も後悔なんてない。


鎖に繋がれた両腕が、天井にぶら下がる。

もう、何をされても痛くはない。

零れ落ちた雫は、床を埋め尽くす宝珠となって、淡く煌めいている。


好きなだけ搾り取ればいい。

それで満足してくれるのなら、私は灯火を捧げる。


だから、ルナには触れないで。

容易く打ち砕かれる願いを、私はリュパンへと捧げた。

彼の凡ゆる悦楽を満たすという、祈りの色彩と引き換えに。



それを壊したのは、ルナ。

どれほど願っても、どれほど祈りを捧げても、叶わなかった。


袋から溢れるほどの宝珠と、施しを受けた金貨を手に、ルナはリュパンの館へと赴いた。

私を返してほしい。

無垢な願いと引き換えに、ルナは、自らの持つ全てを捧げた。


石造りの地下牢に響く、二つの足音。

あの時、私は何を思ったのだろう。


何も覚えていない。


それでも、この色彩だけは、今も心に刻まれている。

ただただ鮮明に、一欠片さえ手放す事なく。


首に繋がれた鎖。

その先を持つのは、リュパン。

引き摺られるのは、ルナ。

テーブルに置かれた小剣。


あの日、私に命じた言葉。

それと共に渡された、あの小剣。


歪な笑みが、リュパンの顔を塗り潰す。

ゆっくりと、小剣へと手を伸ばす。


やめて。

これ以上は、見たくない。

私の叫びは、唇の中へと閉じ込められる。

こんな絵本、破り捨ててしまいたい。

どれだけ願っても、その旋律が止まることはない。


振り翳された刃。

それは、ルナの足へと落とされる。


赤い海。

純白の髪。

透き通る肌。

水面に揺れるのは、無垢な天使。


失われた足を見つめ、表情すら変えないルナの詩。


怒号にも似た私の叫びだけが、地下牢を劈いている。


扉の向こうが、騒がしくなっている。

私の声が届いたのか。


きっと違う。

ここに居る全てが知らない音色が、静かに響き始めた。



それを掻き消すのは、再び翳された小剣。

それは、私の右腕を見つめている。


奪いたければ、奪えばいい。

こんなもの、もうどうでも良い。

でも、ルナの足だけは、返して。

斬り落とされ、蹴り上げられた腕を見つめ、私は一つだけを願った。


その刹那、耳を貫く叫びが響き渡る。

初めて聞いた、ルナの泣き叫ぶ音色。


私のために、ルナが泣いている。

私のせいで、ルナが悲しんでいる。


私の奥底に、リュパンへの冷酷な想いが開花した。

赦さない…。

あの刹那から、一度も霞んだ事さえない想い。


「また一つ、欠片が揃ったね。」

あの声が、囀る。

でも、今は、聞こうとさえ思えない。

「始まるよ、この国の終焉が…。埋められた種が、蕾を成そうとしている…。」



世界で最も煌びやかな都。

人族の中心地、白妙の王都。

そこに響く、静寂の音色。


砂塵の詩。

 

原初の魔王の奏でた禁呪。

それは、刹那に、全てを砂へと変えた。


その力は、魔力ですらない。

そこに力が存在しているのかさえ、誰にもわからない。

ただその旋律だけが、全てを覆い尽くす。


そして、それは、宝珠にも触れていく。


背を向けるリュパン。

彼の瞳は、崩壊した宝庫へと向けられている。

楽しみは後に残すと吐き捨てて去ろうとする彼に、私たちは、生まれたばかりの宝珠を投げつけた。

私たちにできる精一杯の抵抗。

それと共に紡ぐ、怨嗟の音色。

そして、悪意を奏でてしまった自らへの嫌悪だけが、去ろうとするリュパンの影に、重く響く。


ただ、リュパンだけは、笑っていた。

まるで小さな虫を嬲る様に、歪な口を開いている。

その中へと放り込んだもの、それは、私たちの投げた小さな抵抗。


それは、禁呪の力を帯びた、悍ましい宝珠。


「もうすぐ、花が咲くよ。」

滲み出す視界。

ページが閉じていく。


また、新しいページが開かれるのだろう。

私は、再び見せつけられた、何よりも重い悪夢に引き摺られ、呆然と立ち尽くす。

故に、ページの狭間の色彩が流れていくのを感じていた。


そこに紡がれた、刹那の旋律。

それは、自らが呑み込んだ宝珠に、自らが呑み込まれていくリュパンの姿。


そうか、この地に赴き、魔獣の友達のみんなを傷つけ、この大樹と現の狭間に閉じ込められたのは、リュパンであり、リュパンではなかったのか。

あれは、もう、この世界には居ない。

あれの欲望だけが、宝珠の力によって蠢いているだけ。


「違うよ。宝珠がリュパンを取り込み、リュパンが宝珠を操っている。彼の欲望は、力より深いんだ。」

ため息に似た、あの声。

でも、もうリュパンは、二度と出てくることはない。

あの扉を開けない限りは、あれは、あそこに閉じ込められている。


「そうだと良いね。」


微笑む様な音色が、色彩の渦へと溶けていく。

開かれたのは、静寂のページ。


砂塵の中で、一つの足跡が、儚げに揺れている。



かつて私は、月に寄り添う星になりたいと願った。

叶うことはないと、絶望したこともあった。

でも今は、足を失った虚無の月を背負い、歩いている。

それは、右腕を失った糜爛の星の、唯一の救い。

背中に感じる鼓動だけが、私たちの真実。


そよぐ風に、何度も消えかける灯火。

それでも、歩き続ける。

私達を蝕む影に追いつかれない様に。


穢れと嘲笑われ、石を投げられる。

それでも、歩き続ける。

二人で共に居られるのなら、それを守るために。


ルナが詩った、小さな寓話。

それは、生まれたばかりの、小さな国。

私達は、その地を帰着点にと、夢を見る。


かつての勇者と魔王が、寄り添い紡いだ楽園。

その名は、花の国。

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