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夜想曲『花の国』  作者: ことは
第二部『月の詩』
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第八楽章1節

何も選ばず、何も拒まず、全てを受け入れ、全てを還す。

宝珠が辿る、星と月の足跡。


始まりは、二人の聖女に秘められた力が混ざり合った刹那。

それはまだ、ただの少女だったころ。


石造りの鳥籠。

鉄格子から覗く、淡い月。

星々が泣き、煌めきを零している。


流れる雲が窓に触れ、足音が響いてくる。



壁に隔てられた愛し合う二人。

今宵は、どちらが悪夢に抱かれるのか。


貴女が苦しむのなら、せめて私が…。


触れ合えぬ肢体。

絡み合う心。


歪な笑みが、それを見つめる。



この色彩を、私は知っている。

この旋律を、私たちは辿ってきた。

「これは、夢…。」

薄く開く瞼の先には、廃教会が彩られている。

手のひらに感じる、確かな温もり。

「ルナちゃん…。」

重く沈む吐息の中に、力の限り音色を紡ぐ。

響くのは、囁きよりも微かな旋律。

「ステラちゃん…、私……、夢を見ているみたいなの…。」

それに呼応する、ルナの囀る様な音色。


「私たちの歩いてきた旅路の夢………。」



ゆっくりと上がりゆく幕。

私たちは、それに身を委ねる様に、再び瞼を閉じた。



柔らかく、淡い祈り。

触れたのは、私。

奏でたのも、いつかの私。


ステラ。

両親から贈ってもらった名前。

私の宝物。

その名に相応しく、月に寄り添う星になりたかった。


小さな揺籠。

それが、私の世界の全て。

柔らかな絹が、私を抱いてくれる。

囁く音色は、愛しい子守唄。

微笑みが交い、私も詩う。

触れ合う指と指は、小さな村の営み。


静寂の教会で、今日も天を仰ぐ人々。

この穏やかな色彩が、永遠に紡がれる様にと。

小さな笑い声が、その願いを縫う様に揺れる。

これこそが、父の望んだ旋律。


何も無い此処の、全てが溢れ出す讃美歌。


私は、ここに育った。

ここが、私の全てだった。

それが、何よりの幸せだった。

ずっと続くと思っていた。


その柔らかな色彩は、音を立てることもなく崩れ落ちる。


豪華な晩餐。

まるで誕生日の様に、華やかに笑い合う。

どうしたのと聞いても、誰も答えてはくれない。

大好きなママの笑顔だけが、燭台に揺れていた。


鋭い音が、時を刻む。

二つの針が点を穿つ様に重なり合う。

それが訪れたのは、鈍い鐘の音が屋敷に響く頃。


「この子は、天の子だ。」

微かに聞こえる音色。

その意味を、私は今も知らない。


救いを求める様に見つめる先には、目を伏せるママが立っていた。


不快な温もりが、体を這う。

無垢が取り残される様で、私は泣き喚いた。

それでも、誰も手を差し伸べてはくれない。


この村に相応しくない絢爛の馬車が、私を捕まえる。

閉じた扉の向こうで、ママの泣き声が微かに響いた。

「せめて、貴女だけでも、幸せに生きて…。」

そう聞こえた様に感じた。

確かに、そう聞こえた。

ママは、そう言っていた。

今も、ずっと信じている。


燃える屋敷と朽ちる村。

馬車の窓に映る色彩は、月明かりに霞んでいく。


パパが守ってきた全てが、遠く小さく沈む。


それを拒む様に、私は瞼を閉じた。


冷たい風が、頬を撫でる。

歪な声が、私を抱く。

気づけば、私は鳥籠に居た。


石造りの小さな世界。

此処が私の全てへと変わり果てた。



歪む色彩。

全てが混ざりゆく。

その奥へと引き戻される様な感覚。

渦巻く幾つもの光。

それは、凡ゆる色を宿し、灰色へと溶けていく。


小さな波紋。

虚無の水面に、瞳を揺らす。


霧が晴れる様に、鮮やかな色彩が芽吹いていく。

紡がれたのは木々の底。

木漏れ日が遠くに揺れる、森の奥。


起き上がるのは、一人の少女。

私は、この子を知っている。


その名は、ルナ。


透き通る肌が、緑の黒に淡く煌めく。

そこに流れる赤いせせらぎは、小さな傷の旋律。


零れ落ちる雫。

それは、唇に仕舞った、叫びたい想いへの共鳴。

その音色にカノンする様に、幾つもの雫が宝珠へと変わりゆく。


振り返る、ルナに似た少女。

私は、この子を知らない。


手を取り合い、駆け出す背中を、私は見つめることしかできずにいた。



やがて、ページが捲られる様に、小さな色彩が舞う。

「まるで、絵本の中みたい…。」

何処にも届かない音色を、私は囁いていた。


そよぐ草木が、花々を護る。

それを踏み躙る様に、足跡が紡がれていく。

囀る小鳥たちは、もう何処かに消えていた。


足跡の持ち主は、幾つもの影。

その佇まいは、人族。

手にしているのは、ルナが紡いだ宝珠。


私は、その先へと手を伸ばす。

それは、愛する人の背中。

この先に何が起こるのかは、わからない。

でも、きっとこれは、不協和音へと繋がっている。

それは、予感ではなく確信。

だから、私は、助けたかった。


何処にも届かないと知りながら、それでも、私は、手を伸ばした。



もう少しで届く。

その温もりが、指先に触れる。

そう思った刹那。

全てが黒く爆ぜた。



泣き喚く声。

聞こえるのは、温かな音色。

「逃げて。」

ルナの肩を握り締め、そう叫んでいるのは、きっと…。

「ママも、一緒に…。」

私の想いに応える様に、ルナが紡ぐ。

「駄目よ。もう間に合わないの。貴女だけでも、逃げるのよ。」


今の私なら、救えるのだろうか。

今の私にも、何の力も無い。

それでも、私は、知っている。


この先の色彩を。


荒野の果て。

小さな足跡が溶けていく。

その先に眠るのは、純白の天使。

それを捕らえる悪魔は、リュパンの手。


赤く滲む拳を、せせらぎの果てまで握り締める。

此処は、絵本の中。

私には、何をする事もできない。

それをわかっているからこそ、私は、私を許せずにいた。


その絶望が、私たちを巡り合わせる序奏と知りながら。

それでも、ルナには、幸せの中に包まれていてほしかった。


「どうして…、こんなものを見せるの…。」

誰かに伝わる事ではない。

誰かにされている事でもない。

これは、私が見ている夢。

追憶の色彩を、ただ辿っているだけ。


だけど、辛いよ…。

愛する人が苦しむ姿を見るなんて…。


「でも、君の成すべきことを見つけてほしいんだ。」

響き渡る声。

懐かしくも、知らない声。

私の中から響く様で、空の彼方から紡がれた様にも聞こえる。

「あなたは、誰?私にこんなものを見せているのは、あなたなの?」

思わず、私は叫んだ。


返事はない。


ただ静寂だけが、錯綜する色彩の中に溶けていく。

それは、新たなページを巡る様に、一つへと折り重なった。


純白の肌が赤く滲む。

縛りつける鎖が、ルナの奥へと軋む。

それを見つめ、歪に笑うのは、リュパン。


爆ぜる感情が、私を震わせる。


それを浄化する様に、煌めく雫がルナの頬を伝う。

それは、瞬く間に宝珠へと生まれ変わっていく。


その色彩に触れながら、リュパンは毒を紡いだ。

「まだ力もない愚物か。」

輝きのない宝珠を握り締め、床に捨てる。


転がる雫の塊を、私は見つめるしかできずにいた。

これで終わるのなら、これで諦めてルナを捨ててくれたのなら、どれだけ幸せだっただろう。


全ての感覚を失った様に、呆然と石造りに身を委ねるルナ。

それを蝕む様に手を伸ばすのはリュパン。

「やはり、二つが揃わなければ、意味がないのか。それとも、もっと痛めつければ、覚醒するのか。」

不快な色彩だけを纏う歪な声が、私の耳を舐め回す。


振り翳す悪意。

壁へと散る赤。

声無き悲鳴が、ルナの小さな体へと響く。

それでも、何も終わらない。

零れ落ちる宝珠だけが、ルナの想いを刻んでいる。

それを踏み潰す様に、尚も翳される拳と靴底。


それを、リュパンは愛と呼んだ。


目を背けたい。

何も見たくない。

私は瞼を強く閉じて、全てを拒否した。


それでも流れ込む色彩は、揺るがない真実。

「ステラと会わせるか。」

不協和音が、小さな部屋に反響する。


「傷を舐め合い、依存し合い、結ばれる。」

嘲笑う様に、リュパンは奏でる。

「その先に生まれる宝珠にこそ、力は芽生えるだろう…。」

不快な笑みが混ざり合う声。

「天の子……、ステラは、従順になってきた。」

手に取るのは、棘の付いた金具。

「だが、ルナは…。」


気づけば、私は、リュパンへと拳を振り上げていた。

届かないと分かっていても、触れることなど叶わないと分かっていても、もう過ぎた事だと分かっていても…。

「許せない。リュパンだけは、絶対に…。」

振り向くリュパン。

それは、私を見ていない。

それでも、私は、此処に爆ぜる想いを拳に紡ぐ。



閉じるページ。

暗闇が私を包み込む。

全てを浄化する様に、純白が流れ込んでくる。

感情が消えていく。


虚無の淵を這う様に、私は手を伸ばした。

触れたのは、冷たい温もり。


開かれる色彩。

石造りの鳥籠が、私を包む。


窓から見える月が、私は独りと突き付ける。


思い出したよ。

私は、リュパンの傀儡。

ステラという名を値札に変えられた、悦楽の為の人形。


揺れる視界を擦り、響いてくる足跡に膝を抱く。


今日も、悪夢が始まる。


足元に並べられた二つの服。

歪なメイド服と、破れた薄紗。

一糸さえ、自らの意思で得ることのできない人形は、今日もご主人様を待つ。


これが、私の真実。

全てを失った貴族の子の、有り触れた末路。

きっと、それが、この世界なのだろう。


それでも、思考が悲鳴を上げる。

心が無ければ、どれだけ幸せだっただろう。


近づく足跡に、私はゆっくりと顔を上げた。

それは、私の世界を変える旋律。


そうだったね。

思い出したよ。

あの日、私は、初めて恋をしたの。


月明かりに揺れる純白の髪。

全てを見透かす様に煌めく肌。

灰色の瞳が、何を捉える事もなく全てを包み込む。


「綺麗…。」

囀りよりも微かな音色。

笑の吐息が奏でた旋律。


それは、だった一つの、そして何よりも大きな光への讃美歌。


思わず、手を伸ばす。

掴んだのは、虚無。


それでも、私は救われた。

その微かな光を手放さない様に、拳を握りしめる。

零れ落ちる欠片さえ、一つも失わない様に。

例え、痛みと共に、赤いせせらぎが石畳へと消えゆこうとも。

私は、決して、手放しはしなかった。


その色彩を、その瞳に刻むリュパン。

それは、刹那の不協和音。

それでも遺る悪意の残響。


それでも私は、ルナという純白の天使に全てを奪われていた。

何に気づく事もなく、ただただルナだけを見つめていた。


絵本の世界。

そこに迷い込んだ私だけが、それを見ることができた。


あの日、私がルナと出会えたのは、リュパンの描いた絵図。

ルナとの愛でさえ、リュパンの紡いだ演舞に過ぎなかった。



「それでも、私たちの想いは揺るがない。」

リュパンは、思いもしなかっただろう。

この出会いが、私たちの本当の愛を紡ぎ、固く結ばれる事を。

その旋律が、いつか、多くの祈りを纏い、彼を堕とす事になると。



鉄格子の向こうで、月が煌めき、星が寄り添っていた。

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