第七楽章終節
プロテアを侵食していた宝珠。
リュパンの居る地よりはるか遠く。
欠片の一つ一つが、強固な小箱へと集いゆく。
ゆっくりと閉ざされる蓋。
それは、二度と開くことはない。
その呪いを奏でるのは、レーヌ。
「メル様とテラ様が抑えていたから良かったものの、暴発していたら辺り一面が巨大な穴になっていましたね…。」
穢れを忌む様に、小箱を袋に入れ、レーヌはため息を紡ぐ。
顔を上げ、見つめる先は、リュパンの宝珠。
「この宝珠ですら、これ程の力を秘めている…、ならば、あちらは、骨が折れてしまいそうですね…。」
ゆっくりと立ち上がり、小さく指を振る。
それは、穏やかな音色を奏で、空へと反響した。
呼応する様に彩られたのは、鋭い鳴き声。
それは、羽音と混ざり合い、レーヌへと舞い降りる。
刹那の突風を纏い、跪く大鷹の魔獣。
彼は、神獣になることを拒んだ傾奇者。
誰しもが、そう想っていた。
ただ、その奥にあるのは、揺るがない一つの想い。
その灯火を救ったレーヌへの忠誠。
今や、誰も知ることのない、おとぎ話より古の物語。
「パインクール、起こしてごめんなさいね。少し、お手伝いをお願いできますか。」
大鷹の魔獣、パインクールの頭を撫で、レーヌが優しく微笑んだ。
「何なりと…。」
顔を上げることもなく、パインクールは紡ぐ。
「連れて行ってほしい場所があります。移動魔法に注ぐ魔力さえも、惜しい状況にありますので。」
「仰せのままに…。」
その音色と共に、パインクールは地に伏せた。
「ありがとうございます。」
柔らかく舞う風。
それが、巨大な影を空へと誘う。
次に降り立つのは、リュパンの居る地。
刹那さえも惜しむ様に、羽音が空を切り裂いた。
澄み渡る青。
隔てるものは、何もない。
ただ舞う砂だけが、抗いを紡ぐ。
対峙するのは、人族と魔族の連なり。
見つめるのは、テラ。
握り締めるのは、アルストロメリアの彫られた剣。
翳すのは、この道の先にある、愛するものたちの営み。
そこに紡がれた祈りを纏う剣と魔法は、ここに居る全ての精鋭のアンサンブル。
儚くも力強く、悍ましくも壮麗に、ただ只管に奏でられる鋭い音色。
穿った砂の兵は、崩れ落ち、再び芽吹く。
その色彩を生み出すのは、リュパンの魔力。
揺れる不協和音が織り成す、終わり無き旋律。
その終幕を詩うのは、一つの禁呪。
花を咲かせる魔法。
魔族と人族の共存を夢見た魔王、メルの紡ぐ、たった一つの魔法。
砂は固まり、花の根に沈みゆく。
それは、暁に染まりゆく空が、惑いの星々を包み込んでいく様に描かれていった。
それでも、不協和音は繰り返される。
少しずつ満たされていく濁水。
それは、疲弊という音色を孕んだ悪夢。
拮抗は、荒廃へと滑り落ちていく。
それはいつか、精鋭たちを蝕むだろう。
故に、テラは声を上げた。
それに共鳴する様に、メルが魔法を詩った。
傷ついた肢体を震わせ、立ち上がる灯火の連なり。
全てが、一つの波紋へと繋がった。
花を咲かせる魔法を奏で、僅かな隙がメルに彩られる。
争いを好まぬ魔王の、避けられぬ帰着点。
それを染めるのは、背後に聳え立つ砂の兵。
翳された歪な剣。
それは、瞬きを許さぬ間に振り下ろされる。
騎士たちが、それに気付いたのは、メルを斬り裂く刹那。
貫いたのは、麗しく研ぎ澄まされた矢。
彩られた刻印は、ニゲラの補助具に施された装飾と同じ。
そこに込められた、ユズリハの想い。
生きて。
崩れ落ちる砂。
振り返るメル。
その瞳に彩られたのは、一人の少年。
「迎えに来たよ。」
いつか、一つの国の王となる彼の名は、リュテ。
まだ、その未来を、誰も知らない。
だが、その片鱗は、既に彩られている。
それは、王たる者の責務。
民を守り、地を守り、想いを守り、愛を与える。
その最初の一歩が、一つの矢となって、今、正に紡がれようとしている。
彼の瞳に彩られるのは、ここからは誰にも見えぬ旋律。
それは、リュテにだけ捉えることのできる色彩。
誰よりも眼がいいと褒められてきたんだ。
その誇りは、誤りだった。
見ていたのは、眼ではない。
それは、研ぎ澄まされた心。
僅かな空気の歪み、揺れる音、光の瞬き。
凡ゆる事象が、その色彩を紡いでいく。
リュテが捉えたのは、崩れた宝珠の暴発。
その兆しに囚われているのは、プロテア。
故に、意志は固く彩られた。
「絶対に、一緒に帰るんだ。」
強く惹かれる弦。
張り詰めた旋律に、刹那の音が消え去る。
その凜とした色彩は、遥古より遺る大理石の像を想わせる。
故に、それを見た者たちは、いつか彼が王となることを、予感した。
「禁呪…、灯火の詩。」
囁く音色が、静寂を破る。
奏でたのは、メル。
それは、淡い乳白色の薄紗の如くなびいた。
その旋律は、花を咲かせる魔法に似ている。
だが、その奥に潜む膨大な力は比べるまでもない。
咲き乱れ、枯れゆき、また芽吹く。
その流転を紡ぐ刹那の営み。
悠久の足跡が、一つへと収束する。
それが織り成す、煌めく薄紗。
共鳴するのは、ユズリハの矢。
それを繋ぐのは、リュテの心。
そこから湧き上がる祈りが体躯を支え、地に足を踏み締めさせ、豪力な弓を激らせる。
それは、刹那の光。
誰も、追うことはできない。
見ることさえ、瞬きをする前に失う。
宝珠さえ捉えることのできない旋律が、奏でられる不協和音の全てを穿つ。
それは、宝珠の暴発の引き金にさえ成り得る。
その厄災を、メルは既に知っている。
それは、テラと共に彩った一つの残響。
プロテアを蝕んだ宝珠の崩壊と暴発。
テラと力を重ね合って抑え込もうとしても尚、拮抗した。
リュパンの宝寿には、それ以上の力が秘められている。
故に、奏でられた禁呪。
メルが、これを奏でたのは、二度目。
一度目は、レーヌから教わり、言われるがままに紡いだとき。
それは、歴代の魔王を見てきたレーヌでさえも、驚愕するほどの旋律を解き放った。
メルが奏でるには、あまりにも、危険すぎる。
二人の想いは、一つの答えを導いた。
あれ以来、禁呪に触れたことさえない。
それが今、解き放たれた。
宝珠の力の暴発。
芽吹くのは、灯火の無い旋律の始まり。
ただ、それが奏でられることはなく、瞬く間に枯れる。
包み込むのは、灯火の詩。
宝珠が見えぬ程に根を這わせ、蔦が絡み、花が咲き乱れる。
数多を奪い続けた不協和音は、静寂へと溶け落ちた。
それにカノンする様に、砂の兵たちが散っていく。
初めから何もなかったかの様に、荒野が彩られていく。
ただ大樹だけが、空を包み込む様に、柔らかく揺れていた。
その風は、宝珠を包む花に触れる。
小さく軋む音。
まだ、完全ではない。
封じられたのではなく、潜んでいるだけ。
宝珠は、静寂という蚊帳の中で、ただ眠っている。
「禁呪を以てしても、壊すには至らないのか…。」
プラタヌは、力無く囁いた。
「それでも、止めることはできた。十分だろう…。」
地に崩れ落ち、ため息に笑うニゲラ。
「下手に刺激して、また暴れても困るからな。」
プロテアだけが、尚も立ち続け、威風堂々たる旋律を響かせた。
「後は、これをどうするかだな…。」
プラタヌは、未だ笑うことはない。
魔族であるが故に、この宝珠の悍ましさが、痛いほどに分かる。
「私が抑えるよ。」
ゆっくりと歩み出すのは、パシフロール。
「誰にも開けられることのない様に、私が取り込むわ。」
その音色と共に、彼女は、大きく口を開けた。
「危険すぎる…。止めるんだ。」
プラタヌが立ち上がり、パシフロールを止めに駆け出す。
「平気よ。」
微笑むパシフロール。
「なぜ、そこまでする…。」
手を伸ばすプラタヌ。
「貴方に、笑顔でいてほしいからよ。プラタヌ。」
その微笑みと共に、パシフロールは、禁呪に包まれた宝珠を飲み込んだ。
「駄目だ。吐き出すんだ。君を失って、私が笑うとでも思っているのか。」
プラタヌは、パシフロールを両手で包み込み、悲痛なる旋律を奏でる。
「何言ってるの。私は色んなものを食べて、灯火を繋いできたのよ。お腹の強さには、自信があるの。」
自らを包み込むプラタヌを、パシフロールは優しく包み返す。
ただ、その力は流れ落ちる様に消えていく。
「少し、疲れたみたい。眠くなってきたわ…。」
プラタヌの腕に身を委ね、パシフロールは、その瞳をゆっくりと閉じた。
「誰か、メル様を呼んできてくれ。」
プラタヌは叫ぶ。
今、パシフロールを救えるとするのならば、それは彼女を置いて他には居ない。
その旋律に、プロテアは駆け出す。
「お待ちなさい。」
一つの穏やかな音色。
それは、冷たい熱を奏でる吐息。
その奥に潜む、全てを凍らせる魔力。
プロテアは、その片鱗に触れ、動く方法を見失った。
「メル様は、お疲れです。万全であっても、あそこからここまで走る体力はございません。」
凜と紡がれていく一歩。
それは、揺れることなく、パシフロールへと向かう。
柔らかく香るアルストロメリアの色彩。
「原初の魔王……、レーヌ…。」
ニゲラが、小さく囁く。
その音色さえ、彼女に纏わり付くことはない。
ただ静かに、閉じ込められた宝珠へと歩んでいく。
あれほど、体力をつける様にと叱ってきたのにと、聞こえぬ音色を吐き出しながら。
「レーヌ様…。」
顔を上げ、目を伏せるプラタヌ。
「皆さん、本当に良く頑張りました。後は、お任せください。」
柔らかな微笑みは、冷たく、熱い。
プラタヌの手に抱かれたパシフロールを優しく抱き起こし、手を翳す。
レーヌの紡ぎだした、その色彩は、壮麗な旋律を反響させる。
「何でもかんでも、食べてはいけません。」
子供を叱りつける様に、何度もパシフロールの背をはたくレーヌ。
「ほら、ぺっしなさい。」
呆然と見つめる精鋭たちに囲まれて、レーヌだけが麗しい色彩を奏でていた。
奇怪な音を立てて、パシフロールの背をはたき続けながら。
大地に転がる、禁呪を纏った宝珠。
「大樹と繋がっていますね…。」
ゆっくりと見上げる先で、葉が揺れている。
「この大樹は…、メル様の…。」
その色彩に、レーヌは一つの音色に触れた。
「おはよう…。………あれ?」
目を覚ますパシフロール。
レーヌは掴みかけた旋律を手放し、パシフロールを撫でる。
「おはようございます、パシフロール。貴女は、素晴らしい魔獣ですね。」
柔らかく微笑むレーヌ。
「貴女は…。」
「ただの、魔族です。」
パシフロールを撫でる手を止めることなく、レーヌは囁く。
「宝珠…、宝珠は…。」
「ご心配は、要りません。私が何とかしようと思っていましたが、既に、大樹に囚われている様です。」
見上げる空。
その片隅で、柔らかな音色が響き渡る。
かつて、メルが贈った種。
それが織り成した詩、空を穿つ大樹。
いつしか、世界樹と呼ばれる色彩は、二人の聖女の穏やかな揺籠。
ステラとルナは、夢を見る。
大樹に包まれた、小さな廃教会の聖壇で。
柔らかく反響する大樹の鼓動を、子守唄に。
ステンドグラスが織り成す、静寂の極彩色に抱かれながら。




