第七楽章10節
そよぐ木々が泣いている。
パシフロールは、静寂の色彩に、小さく感じた。
それを噛み締める様に、足を早める。
遠くに見える光が、大きくなっていく。
それに触れたら、もう戻ることはできないかもしれない。
その予感が、震えとなってニゲラへと伝わる。
「パシフロール、君は、この戦いに巻き込まれる必要はない。森を抜けたら…。」
「最後まで、戦うよ。」
ニゲラの言葉を遮るように、パシフロールは奏でた。
「共に、行こう。」
自らを鼓舞する様に、ニゲラを支える様に。
触れる光。
それは、瞳を覆う様に煌めく。
ずっと触れていたい。
思わず、そう願ってしまう。
だから、パシフロールは、土を強く踏み締めた。
叶えるために、諦めないために。
森を抜け、広がる荒野。
迫り来る幾つもの影。
その数は、ニゲラにとって、驚愕を彩る。
「ニゲラ殿、総員退避の命が下りました。」
「総員…、これで全てなのか?」
あまりにも少ない。
これだけしか、残っていないのか。
他のみんなは、散ったというのか。
柄を強く握り締め、リュパンの立つ方を睨む。
「心強い仲間が、森の奥に居る。傷は癒えぬが…、動ける様にはなるだろう。手当を受けるんだ。」
ニゲラは、穏やかな笑顔を取り繕い、疲弊し切った兵達に声をかける。
「ニゲラ殿は…。」
歩み始めた背を見つめ、兵達が零す。
「無論、討ちに行く。」
誰にも止めることはできない。
力強い音色と共に、ニゲラとパシフロールは、リュパンの元へと向かった。
「みんな、行ったか。」
飛び散った砂塵が、少しずつ形を取り戻していく。
それを見届けることもなく、迫り来る影がプラタヌを包み込もうとしている。
「リュパン、お前は遊んでいるのだな。」
彼ならば、容易く灯火を踏み躙れる。
それでも尚、嬲る事を選び続ける。
それは、呑み込むため。
そして、何より、悦楽のため。
リュパンの想いが、これまでの全てに滲み出ている。
「だが、お前から学んだこともある。」
それは、魔獣の灯火を魔力として奪うこと。
「私も、模してみよう…。」
だが、使うのは、自らの灯火。
それをやってきた者を、見たことがある。
それは、魔王メル。
彼女は、強大な魔力を誇る。
だが、彼女以上の魔力を持つ者も、稀に居た。
それを、少なくとも三人は知っている。
一人は、神王ロベリア。
もう一人は、原初の魔王レーヌ。
そして、かつて、この地を守った古龍マオ。
この中で、レーヌを除き、メルが勝てない相手は居ない。
それは、消えることのない灯火を、魔力へと紡ぐことができるから。
魔力変換。
それ自体は、決して難しいものではない。
ただ、魔法を奏でながら、それを紡ぐというのは、メル以外にできる者は居ないだろう。
目の前のリュパンでさえ、魔法を奏でているのは宝珠そのもの。
彼は、呑み込んだ魔獣の灯火を奪っているだけに過ぎない。
だからこそ、プラタヌは、リュパンから学びを得た。
魔力変換と魔法を奏でる事を同時にできないのならば、魔法陣を描けば良い。
まるで、魔法を学び始めた子どもたちの様に。
描くのは、聖光の奏。
そして、もう一つ。
砂の刃。
ニゲラの振るう剣には遠く及ばずとも、魔法を当てるだけよりは、宝珠を穿つ可能性は出てくる。
プラタヌは、魔族からば誰でも扱える小さな魔法に、己だけが持つ最大魔法を託す。
自らの灯火と引き換えに。
「お前が、愉悦を重んじる愚か者で助かったよ。」
その声が、リュパンに届くことはない。
その裏に潜ませた詠唱さえも。
後は、あの手の影がプラタヌに届くより先に放てばいい。
もう少し、ほんの僅かな時間でいい。
彼が、止まってさえくれるのなら、全ては上手くいく。
止まってさえくれるのならば。
リュパンの瞳が、プラタヌを手放す。
その刹那の隙をプラタヌは睨み付けた。
「砂の刃。」
舞う砂によって紡がれる、小さな剣。
「聖光の………。」
塞がれる口。
閉ざされる魔力の門。
練り上げた魔力が、灯火へと還っていく。
「まだ、早いよ。」
プラタヌの耳を撫でる、柔らかな音色。
それは、聞き覚えのない声。
振り返ろうとするプラタヌの頭上に、轟音が響く。
見上げた先にあるのは、プラタヌを掴もうと伸びた手を模した影。
そして、それを斬り裂く白銀の刃。
「ニゲラ…。」
力無く崩れ落ちそうになるプラタヌ。
彼を支えたのは、パシフロール。
「手伝えることは、あるかな?」
柔らかな毛並みが、傷ついた精鋭プラタヌを優しく抱いた。
「君は…。」
その温もりに、プラタヌは、身を委ねそうなる。
だが、ここは戦場。
瞳に宿る炎を、もう一度、激らせた。
「私は、パシフロール。貴方がプラタヌさんだね。」
自らを優しく包み込むのは、魔獣。
だが、敵意はない。
それに、彼女は、ニゲラと共に来た。
故に、信頼に足るはずだ。
「その麗しい魔力を、私に貸してほしい。」
それが叶うなら、灯火を手放さずとも、聖光の奏を放つことができる。
「う、麗しいだなんて…、私……。やる気が出てきたわ。幾らでも使っていいわよ。強い魔法は使えないけど、魔力なら自信があるの。」
今にも鼓動が響き渡りそうな音色で、パシフロールの雄弁な旋律が風を揺らした。
「ありがとう。君の魔力量なら、半分も借りなくて良さそうだ。」
プラタヌは、少女の如く微笑むパシフロールを見つめ、力強く頷いた。
「ただ、もう一つ、問題がある。」
静かに向ける視線。
その先にあるのは、刃を取り戻し始めた砂塵の壁。
間も無く、それは迫り来るだろう。
パシフロールの魔力ならば、それに耐える防護壁も作れるだろう。
だが、それを紡ぎながらでは、複雑な詠唱を要する聖光の奏を放つことはできない。
「あれは、砂の魔法や剣の魔法に見えるけど、風の魔法よ。」
パシフロールの誇らしげな音色が舞う。
「弱い魔獣ほど、魔法を強く見せるのよ。」
「強い怪物が奏でれば、本当に強い魔法になってしまうがな…。」
「そうね。でも、本質はそこではないわ。」
「風の魔法なら、抗う術を持っているのか?」
「そうよ。風の魔法は、得意なの。私も、弱い魔獣だから。」
その音色と共に、パシフロールの眼前に魔力の塊が芽生える。
それは、漆黒の精鋭でさえ、長い詠唱の果てに紡ぐことができるほどの強大なもの。
「こんな魔力を容易く紡げるのならば、弱いとは言えないよ…。パシフロール、君は、弱いのではなく、可憐なだけだ。」
「ちょっと、集中が途切れてしまうわ。揶揄うのは後にしてちょうだい…。」
「揶揄うつもりでは…。いや、すまない。」
「冗談よ。」
小さく微笑むパシフロール。
その穏やかな色彩を覆すように、魔力の塊に突風が集まりゆく。
「私はね、小さな森に住んでいたのよ。可愛い魔獣が沢山いてね。人間にとっては、良い玩具だったみたい。」
栗鼠の魔獣、小鳥の魔獣、兎の魔獣、数え切れない友が、人間によって捕らえられていった。
「だからね、悪さをする子たちを追い払うには、この魔法が一番効いたのよ。」
それでも、誰も傷つけたくない。
ただただ、みんなで仲良く暮らしたい。
平穏のままに、静寂に抱かれながら。
「全部、飛んでっちゃえ。」
だからこそ、この魔法が生まれた。
凡そ詠唱とはいえない呪言が、麗しき魔力と共鳴し、強大な魔法を織り成す。
「風で風に抗うというのか。」
「違うわ。逸らすのよ。」
風の塊が壁へと進み始める。
それは決して早くはない。
だが、砂を纏った風たちを逃すことなく吸い込んでいき、遠くへと吐き出していく。
「小賢しい…。」
その色彩を見つめるリュパンの音色が、重く響く。
手を模した影が剣を描き、空へと翳された。
「おっと、お前の相手は、私だ。」
それを貫く様に、ニゲラの刃が白銀に煌めく。
重い一撃。
全身が砕ける様に痺れる。
だが、ニゲラは笑見を失うことはない。
「お前も知っているだろう。シャルドンという剣聖を…。」
弾かれる剣の影。
それを覆う様に、ニゲラの刃が空へと翳された。
「お前の剣は、彼の足元にも及ばない。」
斬ろうとしたところで、恐らく弾かれる。
影とは言え、その強固な色彩を感じたばかりだ。
故に、突き刺す。
「ぐ…うぐ…。」
籠る音色が悲鳴を閉じ込める。
「漸く泣いたな。」
それを見つめ、ニゲラが笑う。
それは、再び翳された白銀の剣へと響いた。
「貴様、何をした…。」
「友の力を借りただけだ。」
刃に纏うのは、薄く研ぎ澄まされた魔力。
それは、悪夢を振り払う祈り。
パシフロールの紡いだ詩。
その残響が消えゆく前に…。
「二度と影を作れぬ様、跡形も無く穿つ。」
幾つもの剣が降り注ぐ様に、ニゲラの突きが轟音を奏でた。
砕け散る影。
雪が舞う様に、黒い斑らが世界に揺れる。
全ては、幾つもの手によって紡がれてきた。
それが、一つへと収束する。
目の前に聳え立つ大樹が、リュパンを此処に留めている。
ロベリアが、リュパンの力の大半を削り取った。
精鋭たちが、灯火を散らせながら、リュパンをここまで追い込んだ。
今、パシフロールが刃の壁を振り払い、ニゲラが襲う影を打ち砕いた。
全てが揃うまで、プラタヌが耐えた。
眼前にあるのは、剥き出しの宝珠。
漸く訪れた静寂は、刹那の先に、再び不協和音を奏でるだろう。
時は来た。
為すべき時は、今。
「聖光の奏。」
プラタヌによって紡がれた魔法陣が煌めく。
パシフロールの強大な魔力が共鳴する。
紡がれた旋律は、ニゲラの刃へと混ざりゆく。
数え切れない祈りのシンフォニーが、宝珠へとぶつかった。




