第七楽章6節
魔獣が森にたどり着くより少し前。
彼は、恐ろしいものを見た。
それは、リュパン。
遠くに見える巨大な影は、禍々しい魔力と共に、不協和音を響かせている。
「迂回しよう。」
背に揺られる小さな二つの影。
そこから聞こえる音色。
「そうね、あんなのに襲われたら、ぷちって潰されちゃうわ。」
「あれ?プラムは白妙の剣聖じゃなかったっけ?」
「ユズリハ、その口を叩き切るわよ…。」
「ご、ごめんなさい…。」
楽しげな音色に、魔獣は微笑む。
「ふふ、いつも二人は仲良しだね。でも、あの大きな怪物と戦っている人が居るみたいだわ。何か手伝えるかもしれないよ。」
「パシフロール、見えるの?」
「私は、目の良い魔獣なのよ。それに、たくさんの魔力も感じるわ。」
ゆっくりと、その蠢きを見つめ、その歩みを紡いでいく。
何か力になれるのなら、助けたい。
例え、自らの非力を自覚していようとも。
ステラとルナが、そうしてくれた様に。
ユズリハとプラムは、パシフロールと共に、その意志を奏でた。
「一度、この森に潜んで、様子を見よう。迂闊に飛び込んでも、邪魔になるかもしれない…。」
ユズリハが、森を指差す。
それは、負傷兵が退避した森。
小さな悲鳴が、そこには渦巻いている。
「そうだね。ここにも助けを必要としている人が居るみたい。」
その音色に耳を立て、パシフロールは頷いた。
広大な森からは、僅かな魔力が漂っている。
これは、無垢な魔獣達が残した香り。
でも、もう彼らは、ここには居ない。
リュパンから滲み出る不協和音に、全てのものが去った。
それを詩うように、幾つもの営みの跡が、柔らかく揺れている。
食べ掛けの木の実に、プラムが手を伸ばす。
「良い香り…。」
「ここの木の実は、魔獣の間でも有名なんだよ。とても美味しいんだ。」
パシフロールは、その一つを頬張り、至福の音色を零した。
「いつか食べたいと思っていたんだ。叶って嬉しいよ。」
「これから、いっぱい叶うよ。」
ユズリハが、パシフロールの音色に微笑みを返す。
「そうなる様に、力を合わせて頑張ろう。」
森に踏み入れる足跡。
揺れる木々。
パシフロールの背から降りたユズリハとプラムは、小さな剣を握りしめる。
パシフロールは、心優しく、いつも穏やかだ。
でも、彼女が魔獣であることには変わりない。
そして、この森に身を隠しているのは、恐らく、あの怪物と対峙して負傷した者達。
彼らは、警戒しているはずだ。
そこに、強い力を持つ魔獣が現れたら…。
そこに、たった一つの悲しみさえも紡がれることのない様に、ユズリハは、その瞳に全てを取り込んでいく。
やがて見え始めたのは、小さな獣道。
人の気配がする。
人族か、魔族か。
それさえもわからない小さな揺らぎ。
だけど、それは、張り詰めた旋律を潜ませている。
「パシフロール、僕が前に出るよ。」
ユズリハの音色。
それが届くより先に、パシフロールの顔が木々から抜け出した。
目の前に立つのは、添え木で腕を固定し、そこに剣を括り付けた屈強な騎士。
その様は、鬼か悪魔か。
溢れ出る強大な剣気に、パシフロールは、身が引き裂かれる感覚を覚えた。
「怖い…。」
思わず漏らしたのは、パシフロール。
ゆっくりと手を上げ、降伏の姿勢を取る。
その色彩に、その場にいた兵達の全てが凍りついた。
不可解。
その凍てつく熱によって。
木々がそよぐ。
その風が、頬を撫でる。
それが少し心地良い。
「き…。」
パシフロールが小さく奏でる。
「木の実…、美味しいよ…。」
高く上げた手のひらから溢れる木の実。
その音色に、数えきれない笑みがカノンする。
それは、張り詰めた弦が静寂と共に切れる様に、全てを包み込む。
「え、なになに。どうしたの?」
静止するユズリハを振り切って、プラムが道へと顔を出した。
「何故、子供が魔獣と一緒に居る…。」
魔獣と共に居る少女。
何も知らぬ者にとって、それは異様な色彩。
ただ、魔獣の様子を見る限り、それは起こり得るかもしれない。
それでも、警戒を解ききれないのは、ここが戦場だからなのだろうか。
白妙と漆黒の精鋭達は、この旋律に共鳴すべきか、その奥を見つめていた。
「何よ、種族で友達を選ばないと駄目なの?」
強張る空気を感じ、プラムがパシフロールの前に立つ。
「いや、そういう訳では…。不思議に思っただけだ。」
困惑。
その音色が森を包んでいく。
「驚かせて、すいません。何か助けになればと思い、森に入りました。僕は、ユズリハといいます。白妙で鍛冶屋の子として見習いをしていました。手伝えることは、ありますか?」
プラムを抑え、揺れる空気を包む様に、ユズリハは声を上げた。
「鍛冶屋のユズリハ…、カンパニュラの子か?」
騎士の一人が声を漏らす。
「父をご存知なのですか?」
ユズリハは、その騎士へと瞳を向ける。
「知っているも何も、ここに居る騎士のほとんどが、彼に剣を打ってもらっていた。」
「そうでしたか。光栄です。ただ、僕は剣を打つより、補助具を作る方が得意なのです。」
それは、ここに集う者達が望んでいたもの。
何より、ニゲラが欲していたもの。
「ユズリハ、私の折れた腕で、県を振るえるようにできるか?」
ニゲラの縋るような声が、ユズリハを包む。
「もちろんです。急拵えになるので、貴方達の目的が果たされたら、もう一度、作り直すことになりますが…。」
「助かる。お前達は、白妙にとっても、漆黒にとっても救世主だ。早速、私のものから作ってほしい。一刻も早く戦場に戻りたい。」
「わかりました。器具も幾つかの材料もありますが、使わない武具が有れば譲り受けたいです。」
「承知した。ここにある物なら、必要なものは全て使っていい。本当に助かる。」
奏でられる鋼の旋律。
それは、命が芽吹く様に、柔らかく、そして、力強く紡がれていく。
瞬く間に色彩を織り成す様は、魔道の色を描く様に詩う。
見惚れるのは、兵達。
そのひと時が、刹那の安息に包み込まれた。
「素晴らしい。十分な休息も取れた。本当に助かった。ありがとう。」
ニゲラは、ゆっくりと立ち上がった。
「光栄です。ところで、今回の補助具に関してですが…。」
ユズリハは、煌めく瞳で奏で始める。
「それは、戦いが終わってからにしましょう…。」
それを制止したのは、プラム。
彼女は、知っている。
ここでプラムを止めないと、彼の演説が延々と続くことを。
「では、今宵の宴の楽しみにとっておくよ。」
ニゲラは穏やかに微笑み、リュパンの居る方へと振り返る。
その歩む背中に騎士の誇りを語りながら、鋼を堅く響かせた。
「私も、ついて行くよ。」
その背を見送るユズリハとプラムの顔を覗き込み、パシフロールが囁く。
「ありがとう。きっと、みんなの助けになる。全ての補助具を作り終えたら、僕も行くよ。」
三つの影が頷き合い、自らの果たすべきことへと瞳を刻む。
静寂の森が、それに共鳴する様に、風に揺れた。




