第七楽章序節
花の国の民が集う場所。
世界から切り離された、入り口の無い部屋。
それは、メルが生きてきた聖域。
その鍵を持った魔族が、淡い光と共に足を踏み入れた。
成すべきことは、原初の魔王レーヌとの謁見。
神王ロベリアからの命の下、モーヴは静寂の音色を詩う。
歪な魔力を奏でる者。
それを討つための助言を求める。
ただ、できるなら、助力を得たい。
ロベリアなら、初めから助力を求めていただろう。
だが、モーヴは努力の果てに役職を得たとはいえ、一般階級出身の身。
雲より遥か上の存在に、声を紡ぐだけでも震えていた。
「そ、それでですね、あの…ロベリア様が、対応していまして…。」
滝の様に滴る汗が、言葉を右往左往させていく。
「…あの、それでですね。ロベリア様だけでは大変かと思いまして…。メル様やテラ様は、別のことに対応していまして…。その………。」
「助けてほしいのですね。」
レーヌは、待ちきれずに、想いを汲み取った。
「はい。助けてほしいです。」
穏やかなレーヌの音色にさえ、肩を跳ねて、声を張り上げてしまう。
望むことは、変わらない。
助力を得たい。
だが、それ以上に、手を伸ばしてしまいそうなことが、ここに来てから芽生え続けている。
帰りたい…。
かつての戦場よりも、怒ると怖いと噂されるレーヌの前に立つ方が、モーヴにとっては試練であった。
「メル様も、ロベリア様も魔力を使い果たしてしまっている様ですね。テラ様に至っては、自らの灯火を殆ど削ってしまっています。どうやら、みなさん、禁呪を使いすぎた様ですね。」
遥か遠く、見えぬ色彩に触れる様に、レーヌは囁く。
「何れも危険な状況ではありますが、ロベリア様の元へは、間も無く兵士たちが集います。まずは、メル様とテラ様の元へ向かいましょう。」
レーヌは、モーヴの瞳を見つめ、優しく微笑んだ。
「あの…、どちらも討ち損じたということでしょうか…。」
モーヴの震えが、音色へと共鳴する。
「歪な魔力の方は、強大な力に囚われていますが、健在です。魔神の如き魔力の方は、もう影もありません。ですが、特にテラ様の灯火が消え掛かっていますので、そちらを優先します。」
ゆっくりと歩くレーヌに付き従うモーヴ。
その歩が聖域の大樹へと触れた時、レーヌは振り返った。
「宝珠の処理など、いろいろとやらなければならないことがありますので、モーヴさんは、ここでお待ちください。」
その微笑みと共に、レーヌは、淡い光へと消えていった。
緩やかに消えていく影を見つめ、モーヴは、不協和音に抗う多くの想いへと、祈りを捧げた。
ふわりと風が舞う。
どこかで紡がれた静かな祈りが、空を詩う。
それは、血の繋がらぬ父への想いへと共鳴する。
「父さん…。」
彼の前で、その言葉を紡いだことはなかった。
だけど、ずっと紡ぎたかった。
師であるよりも、仲間であるよりも、リュテにとって、プロテアは、父であった。
ゆっくりと開かれる瞼。
そこに映るのは、リュテ。
「…リュテ……。」
もう二度と聞くことができないと、諦めかけていた声。
その声が、自らの名前を呼んでいる。
リュテは、その幸福に、思わずプロテアを抱きしめた。
「父さん、父さん…。」
雫と共に溢れる音色。
「俺のことを、呼んでいるのか…。父さんと…。」
父のつもりで接してきた。
だが、それを隠そうとしてきた。
戦場に生きてきた自分が、父などと自負することさえ烏滸がましい。
その罪悪感が、ずっと付き纏ってきた。
その苦しみを洗い流すかの様に、リュテとプロテアの雫が、せせらぎを奏でている。
「もう、思い残すことは、何も無い。」
プロテアが、ゆっくりと瞼を閉じようとする。
「だめだよ、僕は山の様に思い残すことがあるよ。」
それをこじ開けるように、リュテは叫んだ。
嗚咽する温もりが、静寂へと還り始めたころ、プロテアは、言葉を紡ぎはじめる。
「何となくだが、顛末は見えていた。…魔獣の群れが去っていくのを見た。あれは、放っておいて大丈夫なのか?」
それは、テラとメルへと向けられた音色。
「あの魔獣たちは、平気だよ。でも、遠くに感じる歪な魔力が、今も蠢いている。」
テラは、空の果てを見つめ囁いた。
「ならば、止めに行かねば…。」
プロテアは、立ち上がり、力強く奏でた。
「体は、大丈夫なの…?」
メルが心配そうにプロテアを見つめる。
「俺は、戦場に生きてきた。寧ろ、頗る調子が良い。剣を振いたくて、腕が疼いているほどだ。」
煌めく笑顔。
それは、本心であった。
そして、それを芽生えさせたのは、戦場に生きた空でも、戦いを望むからでもない。
父さんという、リュテの奏でた至極のファンファーレと、守りたいものを守りにいけるという至高の願いが、織り成した旋律。
「リュテ、お前も共に来るのだろう?」
リュテの背中に手を添え、プロテアが笑う。
「もう、来るなとは言わないんだね。」
プロテアを見つめ、リュテは弓を握り締める。
「言っても、お前は来るからな。でも、本当に危なくなったら、逃げるんだ。俺も、共に逃げる。」
まるで、戦友を見つめる様に、プロテアは奏でる。
「当然だよ。守るべきものは、村にあるから。」
リュテが、力強く頷いた。
「申し訳ない、二人とも…。」
リュパンの居る元へと瞳を向けるプロテアとリュテに、テラは囁いた。
「私たちも加勢したいけど、どちらも力を使い果たして、足手纏いにしかならない…。」
何より、魔神を生み出した宝珠を抑え込んでおかなければならない。
魔力の枯渇したメルと、人族のテラができる唯一の方法は、その灯火を賭して、宝珠を閉じ込め続けること。
宝珠に触れるわけにはいかない以上、この場から離れることさえ叶わない。
故に、付いていくことはできなかった。
「何を言っている。お前たちは、魔神を討ったのだろう?次は、俺の番だ。」
リュテの乗ってきた馬に跨り、プロテアは高らかに笑う。
いつまでも見送り続ける二人の瞳を背に、プロテアとリュテは、砂塵を纏い、蹄を鳴らした。
向かう先は、リュパン。
遠くに歪む空が、音の無い叫びに蠢く。
そこに黒い光が煌めいた。
それは、全てを押し潰す禁呪の旋律。
「急いだ方が、良さそうだな。」
プロテアは、リュテをしっかりと抱きしめて、手綱を引いた。
その道が辿り着く先、そこに聳え立つ世界の大樹。
リュパンを捕え、その力の全てを抑え込む、強大な聖力。
それを宿す大樹の中に在るのは、閉じた世界。
それは、純白の中に、金色の斑らが彩られた異空間。
ステラとルナが紡いだ世界。
新緑に溢れ、花々が咲き乱れる穏やかな聖域。
その静寂の色彩で、二人と再会を果たしたのは、もふ。
そして、リュパンの器へと堕とされている、ゆら。
「出口は、この道の先にあると思うの。」
ルナが、柔らかく微笑む。
行かないとわからない。
でも、あるという確信はあった。
故に、四つの影が、その足跡を紡いでいく。
リュパンを止めなくては。
そして、ゆらの体を取り戻さなくては。
その願いが、木漏れ日に溢れる静寂の道に、強く奏でられる。
集いゆく、数え切れない祈りの数々。
それは、全て、リュパンへと収束する。
彼を止める。
その願いと、リュパンの欲望が、ぶつかり合おうとしていた。




