第六楽章14節
崩れた壁。
ひび割れた床。
破れた窓。
貫く木々の枝。
波紋の音色を奏でる露。
極彩色を織り成すステンドグラス。
差し込む光と、柔らかな寝息。
朽ちた廃教会と、二つの人形。
神に捧ぐ贄の様に、寄り添い眠る。
優しく抱くのは、静寂。
揺れる影。
触れ合う温もり。
重なる鼓動。
絡み合う想い。
微睡みの現。
鮮やかな夢。
私の愛する人。
「ルナ…。」
ゆっくりと開く瞼。
瞳を揺らす柔らかな極彩色。
透き通る白に、そっと触れる。
そこに存在しないかの様な感覚に、その奥に舞う真実を知る。
それは、この世界に、たった二人だけが在るということ。
それは、この世界が、たった二人だけのものということ。
それは、この世界が、どこにも繋がらず、どこかに繋がっているということ。
「ここは、宝珠の中…。」
そっと囁いたのは、眠るルナを見つめていたいから。
囀りが聞こえる。
でも、奏でているものは、何処にもいない。
本当に、私は、ここに居るのかな。
緩やかに蘇る色彩。
唇を重ねた温もりが、優しく疼く。
絡め合った指の柔らかさが、穏やかに震える。
私が、最後に見たのは、聖壇で眠りに落ちゆくルナ。
私たちは、廃教会に居た。
たくさんの魔獣の友達と共に、穏やかな時を共にした廃村。
それを壊しにきたのは、リュパン。
魔獣たちが、私たちを守ってくれた。
みんな、傷ついてる。
みんな、食べられちゃう。
みんなを、守らないと。
「ルナちゃん、起きて。行かなきゃ。」
私は、ルナを揺らす。
「ん…、レモンより…、オレンジの方が好きなの…。」
可憐な音色が、柔らかく反響する。
「後で、いっぱい食べよう。だから、起きて。」
ゆっくりと開かれるルナの瞼を覗き込み、私は、優しく抱きしめた。
「ルナちゃん、起こして、ごめんね。みんなが大変なの。」
私は、重なる頬に温もりを溶かして囁いた。
「リュパン…。………ねえ、ここは、どこ?」
辺りを見渡すルナの色彩が、頬に伝わる。
「宝珠の中…、だと思う。」
ゆっくりと体を離し、ルナを見つめる。
「どうやって、出るの?」
首を傾げたルナの純白の髪が、舞う様に流れた。
「わからないの…。だから、探しに行かなきゃ…。」
私は、立ち上がり、ルナへと手を差し伸べた。
「お散歩するのね。」
弾む様な微笑みが、私の瞳を彩る。
ここは、あの廃教会と何も変わらない。
もしかしたら、外に出れば、宝珠から出られるかもしれない。
私は、焦る想いを押し込めて、ルナの手を引いた。
「ねえ、ステラちゃん。きっと魔獣たちは、平気なの。」
ルナが、私を覗き込む。
「私の中の種が、大きになったの。それでね、みんなを守ってくれてるの。」
煌めく瞳が、私を揺らす。
「ルナちゃん、…どうして、わかるの?」
私は、ルナを見つめ、そっと囁いた。
「感じるの。大きな大きな木が、私に全部を教えてくれるの。」
ルナが、両手を広げて、可憐に舞う。
「じゃあ、みんなは、無事なの?」
ずっと気になっていること。
何より心配なこと。
「うん。この大きな木の中に、隠れているの。」
ルナの柔らかな笑顔が、その頷きと共に煌めく。
その色彩に、ようやく私は胸を撫で下ろした。
ただ、良かったとは、言えない。
大樹が産まれる刹那を、私は確かに見た。
それが紡いだことを、私は信じる。
それでも、もう既に、多くのものを失った。
そして、それを齎すものは、まだ…。
「そういえば、リュパンは…。」
彼が、どうなったのか。
これから、どうなるのか。
「あの人は、今、木に捕まってるの。強い魔族の人が、逃げようとする彼を止めてくれたの。」
「魔族の人…、ルナちゃんに種をくれた人?」
「ううん、違うの。でも、何だか似てたよ。」
揺れる木漏れ日が、朽ちた扉を照らす。
木の擦れる温かな音色が、私たちを包み込んだ。
広がる森。
先の見えない道。
静寂の遠い果てに、現を感じる。
「長いお散歩になりそうね。」
宝珠から、出られないかもしれない。
その予感が、私に触れる。
「でも、いっぱい一緒に歩けるの、嬉しいね。」
「うん。ルナちゃんと歩けるの、とても幸せ。」
全てを花へと咲かせる様なルナの微笑みに、私の心は、不安をゆっくりと手放した。
二つの足跡が、私たちの存在の証。
感じる温もりも、鼓動も、音色も、全部、確かに存在する。
この静かな世界に、ルナと共に居る。
幾つもの色彩が、その一歩を紡ぐたびに、淡く輝く。
私たちは、今、歩いている。
この限りない静寂の世界で。
この道が終わるまでは、せめて、その時までは。
「ずっと、こうしていたい。」
溢れる、心の音色。
「このまま、ここに居ちゃう?」
ルナが私を見つめる。
そうしたい。
そうしていたい。
でも、魔獣たちが心配。
「また、戻って来れるのかな?」
ここに居たい。
ルナと、たくさんの魔獣のお友達と。
だから、そう願った。
「ここから出ちゃっても?」
「うん。」
「………出られるのかな。」
静かな旋律が、波紋を描く。
それは、誰にもわからない。
でも、この先へと歩かなければならない。
それだけは、わかる気がした。
この道には、きっと、意味があるから。
これまでの道が、そうであった様に。
地獄の底だと思っていた道でさえ、ルナへと繋がるためのものであった様に。
この先にもきっと、何かがある。
その為の道だと、私は信じている。
「……誰かが、この世界に迷い込んだみたいなの。」
揺れる風に、ルナが囁いた。
その小さな音色は、私にも感じる。
それは、きっと、ルナと私が宝珠で繋がっているから。
理由なんて、わからない。
でも、確かに、そう感じた。
「ルナちゃん、探しに行こう。困ってるかもしれないもの。」
「うん。」
その音色は、この道の外れに奏でられている。
柔らかな草木を掻き分けるように、私たちは道を紡いだ。
草木に触れ、花を撫で、足跡を奏でるたびに、小さな記憶が咲いていく。
それは、ずっと昔に手放した思い出。
嬉しいことも、悲しいことも、幸せなことも、辛いことも…。
全部が、花となって咲き乱れていく。
その花弁の一つ一つが、残響を奏でる過ぎし日の想い。
それは、私のものだけではない。
ルナのもの、そして、この宝珠と種が織り成した大樹に触れるもの、その全てが紡いできた色彩。
宝珠は、何も選ばない。
そして、何も拒まない。
ただ全てを受け入れ、全てを還す。
その流れの中で、ここに刻まれた遺響。
咲き乱れる花々も…、この道も、草木も、陽光さえも、その旋律によって紡がれた色彩。
いつの間にか、私もルナも、言葉を奏でることを忘れていた。
溢れ返る、ここの全てに、私たちは身も心も委ねていた。
それはまるで、雲の上で微睡むような、柔らかな感覚。
その感覚に、私たちは、宝寿の見つめる全てを、私たちを紡ぐ灯火に宿していた。
瞼が重い。
きっと、たくさんのものを、この心と体に受け入れてしまったから。
思考が揺れる。
吐息が浅くなっていく。
足が緩やかに止まっていく。
絡め合う指に、熱が籠っていく。
ルナが崩れ落ちるのを感じる。
寝息が聞こえ始める。
それにカノンするように、私もまた、夢へと触れていった。




