第六楽章11節
それは、幼い頃の大切な思い出。
ママの焼いたクッキーが、何よりの大好物だった。
頬張るのは、たくさんの笑顔。
優しい風が、丘を包んでいる。
そよぐ花々が、柔らかな香りを奏でている。
触れ合う手の温もりが、私を誘ってくれる。
駆けるのは、木漏れ日に溢れた深い緑。
囀りのシンフォニーが、たくさんの笑い声に溶けていく。
辿り着くのは、野花の咲き乱れる広場。
飛び交う蜂と、分け合う蜜。
綻ぶ笑顔が、揺れる草木にこだまする。
交わした約束。
明日も、一緒に遊ぼうね。
こんな毎日が、永遠に続くと思っていた。
火が降り注ぐ。
それを見るよりも早く、私は鳥籠へと囚われた。
馬車の窓から見えるのは、私の過ごした小さな村。
眩しすぎるほどの月が、私を焼く。
それは、鉄格子に反射し、思わず目を逸らした。
冷たい石畳。
奏でられるのは、苦痛、屈辱、絶望、そして、虚無。
それを切り裂いたのは、静寂の白。
私の愛する人、ルナ。
並ぶ、二つの鳥籠。
奪われ続ける、存在という価値。
私の受ける全ては、ルナも受けている。
だから、ここから、救い出したかった。
私は、ルナを守りたかった。
私に残っているのは、ルナだけだったから。
それは、今も、変わらない。
見開く瞼。
伸ばす手のひら。
握りしめたのは、虚構。
虚な色彩が、瞳へと流れ込んでくる。
囲む様に奏でられる蹄の音色。
夢か、現か。
鬣が触れる。
それは、私の知る香りによく似ている。
「コンちゃん…。」
吐息と共に紡がれる音色。
それは、喧騒に溶けていく。
霞ゆく色彩と共に。
荒れ狂う、リュパンの器。
抗う、がおの面影と、もふの叫び。
集う魔獣。
それは、馬の魔獣。
ユニとコンの、家族。
再び、途絶えゆく意識。
ルナの音色が、聞こえる。
まるで、遠く遠く離れた場所から響く様に。
ルナの温もりを、感じる。
まるで、そこに居る様に。
ルナの想いに、抱かれる。
まるで、重なる様に。
「ステラちゃん。」
その旋律に、私は、今を思い出す。
「ルナちゃん…、みんなは…。」
ルナに抱かれ、馬の魔獣の背に揺られていることに気づいた。
だけど、この子はユニでもコンでもない。
ぴょんぴょこ隊も、がじがじ隊も、僅かについてきているだけ。
「みんな、リュパンに…。」
ルナは、震える声を紡ぐ。
「リュパン…、リュパンは…。」
振り向かずとも、感じる。
背後に蠢く歪な影。
止めているのは、大切な友達。
それは、たくさんの魔獣たち。
聞かずとも、わかっていた。
でも、否定してほしかった。
駆け抜ける蹄が、一つの色彩を目指している。
それは、共に過ごした廃村。
「もうすぐだ。踏ん張れ。あそこなら、隠れる場所が幾らでもある。」
空から奏でるのは、ピヨ。
「お前たちを隠したら、我々も逃げる。魔獣の足には、あの怪物では追いつけんだろう。」
それは、みんなが彼を止めているから。
灯火を失っても尚、呑み込まれても尚、私たちを守ろうとしてくれている。
だから、私も、守りたい。
ルナを、みんなを。
「ピヨちゃん、教えて。呑み込まれたみんなを助け出す方法。」
私は、空へ向かって叫んだ。
「驕るな。無力な小娘。お前は隠れていろ。それが、お前たちにできる唯一の抗いだ。」
ピヨが、下降し、私の瞳へと紡ぐ。
「でも…。」
「我の知る限り、抵抗できるとすれば、ただ一人。」
それは、ピヨのよく知る人。
「神王ロベリアだ。」
「魔王さんじゃないの?」
ルナが顔を覗かせる。
「我は、魔王メルの所在を知らん。」
「ロベリアさんの居場所なら、わかるのね。」
助けてもらえるかもしれない。
僅かな光が、私たちへと差し込んだ。
「そうだな、今こちらへと近づいてきてる。」
「え…、どうして……?」
「我が、ロベリアの魔力を探知できる様に、ロベリアもまた、この歪な魔力を見逃すはずもない。自らでついてくるということは、その重さも理解しているということだ。あの娘も、成長したものだな。」
刹那に赦された穏やかな旋律が、背後に響く叫びに掻き消される。
「さあ、談笑は終わりだ。」
砂塵を舞わせ、蹄が響く。
見えるのは、小さな門。
いつも、がおが守ってくれていた場所。
彼女は、今、リュパンの中へと閉じ込められている。
堪えてきた雫が、一気に溢れ出す。
助けたい。
守りたい。
明日も昨日みたいに、一緒に過ごしたい。
いつか、守れなかった約束を、今度こそ果たしたい。
握りしめる拳が、赤く染まる。
「あの廃教会だ。そこへ隠れるんだ。」
ピヨが叫ぶ。
瞳に映るのは、いつも見る色彩。
揺れる花々。
穏やかなせせらぎ。
砕いた木の実のかけら。
ルナと二人で眠る小さな布。
がおのお気に入りの藁。
ぴょんぴょこ隊とがじがじ隊が作った小屋。
ユニとコンの大好物の草むら。
ピヨの巣箱。
二人で手を繋いで歩いた道。
みんなで笑い合った広場。
その先にある廃教会。
馬の魔獣たちは、そこで立ち止まった。
「さっさと中へ入れ。リュパンに気づかれる前に。」
ピヨの音色が、重く響く。
「でも、みんなは…。」
私は、思わず手を伸ばした。
「魔獣が共に居れば、魔力を探知される。」
その音色と共に、ゆっくりとルナを見る。
「よかったな、ルナよ。お前が魔力を持たぬ魔族で…。」
ピヨは、小さく微笑んだ。
「…え?えへへ、えっへん。」
ルナは誇らしげに微笑む。
「いや、褒めてはいないのだが…、まあ良い。そこに隠れていろ。我々は散って、リュパンを撹乱させる。」
その音色と共に、背を向け、飛び立とうとするピヨ。
既に、他の魔獣たちは駆け出している。
追いかけたい。
引き留めたい。
なのに、体が動かない。
「嫌よ…、みんな、食べられちゃう…。」
「魔獣を侮るな。我々は、逃げ足が早い。そうやって生き延びてきたのだからな。」
「………でも…。」
「早く行け、愚か者。」
羽ばたく翼は、煌めきを奏で、壮大に彩られる。
それは、触れることさえ赦されぬ神聖なる領域。
そう思わせるほどに、麗しく、強かに、そして、儚く飛び立った。
みんなの想いを、無駄にはできない。
足を引き摺り、中へと歩む。
崩れた壁から差し込む光。
それが照らすのは、小さな道。
その先にあるのは、朽ちた聖壇。
差し込む極彩色。
織り成しているのは、ステンドグラス。
神を祈る、数多の想い。
吐息が乱れる。
それは、私だけではない。
肩を寄せ合い、温もりを分かち合うルナもまた、僅かな力を振り絞っている。
私たちは、何も持たない、ただの少女。
ようやく、平穏に生きていけると思っていた。
もしかしたら、ここに隠れてさえいれば、それは訪れるかもしれない。
でも、みんなは。
大切な家族たちは。
私の守りたかったものは。
隙間から見える影。
リュパンが近づいてきている。
「みんな、どうか無事で…。」
その願いは、届かない。
それは、もうわかっていたはず。
ただ、信じたくなかっただけ。
咆哮が、壁を揺らす。
リュパンが、私たちを探している。
止まない不協和音。
それを切り裂いたのは、一つの旋律。
「愚かな器よ。お前ほどの哀れな存在は、数千年を生きた我でも、初めて見る。」
ピヨの声が空に反響する。
「知性のない、欲を満たすだけの器。何と醜い。」
空を舞い、その手の届かぬ高みへ奏でる。
「お前如きの知らぬ知識も、お前如きの持てぬ知恵も、我は全て持っておる。」
その旋律が向けられるのは、リュパン。
「羨ましいだろう。欲しいだろう。ならば、呑み込んでみよ。」
それに呼応する様に、リュパンが手を伸ばす。
「ほら、どうした。我が怖いのか?それとも、知識と知恵を得るのが怖いのか?」
ピヨは、その手を避け、風を切る。
「こっちだ、鈍間。その巨躯は飾りか?早く捕らえてみろ。」
廃教会を背に、リュパンの手の届かぬ隙間を縫う。
向かう先は、こちらへと迫る強大な魔力。
「さあ、こっちだ。追いかけっこしよう。」
捕まらぬように、諦めさせぬ様に、ピヨはその身を捧げる。
時間さえ稼げれば、それでいい。
強大な魔力が、ここに辿り着くまでは。
それだけが、ピヨが、その灯火と引き換えに選んだ答え。
神王ロベリア、彼女へ希望を託す為に。
宝珠に取り込まれた、核と器。
核を成すのは、リュパン。
そして、器を成すのは、ゆら。
ゆらは、形を持たない魔獣。
故に、何にでもなれる魔獣。
伸ばした手。
その先に在るのは、ピヨ。
それを避けることは、容易い。
好みの力が残されている限りは。
そして、ロベリアが来るまでなら、充分に耐えられる。
その確信があった。
だが、ピヨは、知らなかった。
器を成している魔獣の特性を。
手から伸びる触手。
それは、網の様に広がり、ピヨの瞳に映る全てを覆い尽くす。
「ほう。お前は、そんな事までできるのか。」
旅路が、ここで終わる。
多くの時を生きた。
たくさんの出会いに恵まれ、たくさんの別れを突きつけられてきた。
最後に出会えたのは、ステラとルナ。
そして、最後に別れるのも、ステラとルナ。
彼女たちの隠れる廃教会から、幾分か離れることができた。
それに、もうすぐロベリアが来るだろう。
何も後悔はない。
ピヨの全てが、リュパンの触手に呑み込まれていく。
それは、瞬く間に溶けていき、想いを紡ぐことさえ、もう叶わなくなった。
「私は、宝珠を得た者。人を超えた存在。」
ゆっくりと言葉を紡ぐリュパン。
「私は、神だ。」
歪な笑みが反響する。
「全て、ひれ伏せ。全て、捧げよ。」
薙ぎ払う腕。
そこから放たれる旋風。
それは、凡ゆるものをなぎ倒す様に、轟音を奏でる。
「代わりに、絶望を与えてやろう。」
どれだけ力を得ようとも、リュパンは何も変わらない。
その欲望だけが、歪な魔力を垂れ流している。
「ピヨちゃん…、ピヨちゃんが…。」
窓の隙間から覗く色彩が、全てを映す。
そこに立つのは、リュパン。
呑み込まれた魔獣を取り返そうと、ぴょんぴょこ隊とがじがじ隊が群がる。
「蹂躙だ。」
その高笑いが空へと届く頃、小さな灯火が踏み躙られていく。
「嫌だ、嫌だ。」
ルナと絡み合った指が、強く締め付ける。
守りたい。
たった一つの願い。
混ざり合う宝珠。
それに触れるのは、メルが与えた小さな種。
宝珠は、何も選ばない。
例え、それが自らを産みし聖女達であろうとも。
眩い光が、村を包み込む。
それは、リュパンさえも呑み込んでいく。
そして、全てが白と金の斑らへと溶けていく。
空が近い。
雲が足元に広がる。
これは、夢ではない。
触れる鼓動は、確かに生きている。
廃教会を貫く色彩が、現であることを突きつける。
それは、メルの種に宿る禁呪。
それと混ざり合った、二つの宝珠。
その中で、私たちは互いに身を委ねる。
朽ちた聖壇の上。
力が抜けていく。
灯火が掻き消されていく。
宝珠と混ざり合った種に、全てを吸い取られる様に。
永遠の夢。
それが、もうすぐ始まる。
その予感が、私たちを抱きしめる。
なのに、苦しくない。
どこか、嬉しい。
………貴女が居るから。
身を寄せ合い、聖壇に横たわる。
見つめ合う瞳。
絡め合う指。
触れ合う肌。
共鳴する鼓動。
重なる唇。
灯火が、ここで消えようとも、きっと願いは叶った。
脈打つ巨大な色彩が、全てを包み込んでいる。
それが感じる全てを、私たちも感じている。
リュパンを離さぬ様に、絡み付いている。
みんなを守る様に、包み込んでいる。
もう大丈夫。
みんなを守ることができた。
約束は果たせそうにないけど、それでも、みんなには、明日が来る。
幸せだな。
だって、みんなが居るから。
目の前に、ルナが居るから。
私の瞳は、ルナの微笑みだけを映す。
「愛してる。」
重なる音色。
ここは、悠久の中で、祈りを捧げられた聖域。
それは、これからも続くだろう。
私たちの夢と共に。




