第六楽章10節
忍び寄る影。
それは、禁呪の代償。
このまま行使し続ければ、灯火は朽ち果てる。
それでも、構わない。
目の前に立つのは、魔神。
我が身を捧げても尚、それを止めることには価値がある。
思い返すのは、初めて王都を旅だった色彩。
そこに紡がれたのは、勇者としての旅路。
それは、多くのものを失う道のりだった。
魔王城に辿り着き、愛するメルと出会い、花の丘へと辿り着いた。
その道中でさえ、数え切れぬものを失った。
あの約束の丘に築いた花の国、それを守る色彩でさえ、失い続けた。
崩れた家は、建て直せば良い。
朽ちた都は、築き直せば良い。
だが、失った灯火だけは、どれだけ後悔しても、戻りはしない。
失い続けた大切な人々は、決して戻りはしない。
ならば、もう失ったりはしない。
この肢体が僅かでも動くのならば、この灯火が僅かでも燻る限り。
テラを突き動かすのは、手を伸ばし続けた、幾つもの色彩。
目の前で失われていった、大切な人たち。
彼らの全てを、無駄にはしない。
故に、テラは、禁呪へと力を込めた。
その灯火を捧げながら。
荒れ狂う魔獣が、魔神へと群がる。
四肢に纏わり、牙を立てて噛み付く。
溢れ出す鮮明なる赤は、魔神より芽生えた柘榴。
故に、魔神は力を尽くして抗う。
崩れゆく魔獣の影に、重なる傀儡の詩が降り注ぐ。
最早、それが何だったのかさえわからぬ彩りが、尚も魔神を襲う。
人族が崇め続けた聖なる力。
それは、生命を冒涜する禁忌。
それを突きつける様に、傀儡の詩は反響する。
そこに開かれた道は、宝珠への一閃。
メルの渾身の魔力が、その矢へと注がれる。
故に、メルはもう禁呪を放てない。
幾分も遺されていない灯火が流れ落ちる様に、テラの意識を奪い去ろうとしている。
メルは、それを知りながら、一輪の花さえも咲かせることができない。
それでも、できることは、まだ残されている。
灯火なら、ここにある。
「テラ、私の手に触れて。」
テラへと手を差し伸べ、想いを叫ぶ。
それは、メルの祈り。
自らの全てをかけた、唯一の願い。
「メル…。」
その囁きと共に、テラの指がメル指先へと触れた。
その刹那、二人の眩い煌めきが、一つへと繋がる。
共鳴の詩。
それは、長い歴史の中で、誰にも詩われず、誰にも知られることさえなかった詩。
禁呪へと紡がれる、魂のコンチェルト。
流れ落ちていった全てが、テラへと還るように、鼓動が蘇る。
故に、尚も抗う魔神を押し留める。
それは、誰にも気づかれずに放たれた希望。
凶暴化した魔獣へと意識の全てを注ぐ魔神。
強大な力を翳す魔神を止めるべく、詩へと全てを込めるテラとメル。
もう既に、リュテは、その旋律の外にいた。
そして、リュテの矢は、閃光にさえ勝る。
「…あ……、ぐ…。」
その声は、プロテアのもの。
奏でるのは、魔神。
それを包み込む黄金の煌めき。
それは、魔法ではない。
それは、禁呪でもない。
それは、強大な魔力と、何よりも深い想いが込められた、リュテの小さな矢。
だからこそ、気づかなかった。
だからこそ、宝珠へと届いた。
だからこそ、その願いが叶った。
崩れゆく魔神の色彩。
もう、声を発することさえない。
役目を終えた魔獣の器たちが崩壊していく中で、魔神は静かに時を待つ。
生きることを選び、宝珠に飲み込まれながらも抗い続けた者が、ここに目覚めることを。
砂塵が舞う。
大地に抱かれる様に、プロテアが倒れる。
その指先に触れる様に転がるのは、二つに割れた宝珠。
「父さん。父さん、起きて。父さん。」
まだ安全とは言えぬ色彩を掻き分け、プロテアへと駆けるリュテ。
優しく、そして、強く抱きしめ、リュテは叫ぶ。
起きてほしい。
ただそれだけを、祈りながら。
静寂が荒野に降り注ぐ。
緩やかな風が、雲を流す。
そこに紡がれるのは、僅かな吐息だけ。
力を失った宝珠が、何も映すことなく砂に溶けていく。
散らばるのは、漏れ出した想い。
リュパンの囁きが、そこに蠢く。
ただ、それは、もう何にも響かない。
少なくとも、ここに集う穏やかな影にだけは。
それでも、手を伸ばす欲望の渦は、行き場を探す。
それは、触れてはならない呪い。
レーヌでさえ、それを扱おうとはしないだろう。
生まれた刹那に、消えることを手放した穢れ。
それが、宝珠を狂わせた。
そして、プロテアを呑み込んだ。
リュテの腕に抱かれた彼は、未だ、その穢れに触れている。
解呪の儀。
それを奏でるメルには、もうほとんど魔力が残っていない。
故に、全てを取り除くことは出来ない。
清らかな煌めきから避ける様に穢れが集いゆく。
それは一つの塊を成し、形無き牙を剥く。
零れ落ちる雫。
それは、リュテの祈り。
大切な人を想う、唯一の願い。
無垢なる旋律。
波紋を描くのは、蠢く穢れ。
混ざり合う二つが、空へと溶けていく。
「父さん…、お願い…。」
リュテの奏でる、魔力を持たぬ魔法。
彩られるのは、寄り添う星と、全てを見守る月。
それを映す、ステラとルナの贈った宝珠。
それは、何も選ばない。
全てを還し、全てを癒す。
おとぎ話の小さな宝珠。
悠久の中で、幾つも捧げられた祈り。
風が、優しく舞った。




