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夜想曲『花の国』  作者: ことは
第二部『月の詩』
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第六楽章9節

それは、彼の憧れた人。

それは、彼の大切な人。

それは、彼の道を示してくれた人。

それは、彼の全てを教えてくれた人。

決して、失って良い人ではない。


故に、彼は、弓を引いた。

その影が、それを覆い尽くしているから。

その全てが、一つの光から生じていることも、もう見えている。

故に、狙うのは、その一点。


魔神を紡ぐ宝珠。

プロテアを貪る、無垢なる色彩。


「この距離なら、当てられる。」

それは、閃光の如く、刹那に到達した。

それは、リュテが作り上げた数え切れぬ矢の一つ。

無銘の切先が、宝珠に触れる。

その威力は、十分にあった。

だが、宝珠に傷がつくことなど、起こるはずもない。


テラが、渾身の力で斬りつけても尚、真球を貫いている。

故に、遠く離れた地から放たれた矢などで、傷つくはずもない。

まして、リュテは、非力な子供。

魔神にとって、風に舞う葉に触れたも同じ。


それでも、魔神は、その矢に想考を奪われた。

魔神の中心に、プロテアが在るが故に。


そして、その隙を見逃すテラではない。


条件は、充分に整った。

充分過ぎるほどに、仲間を失った。

ここで奏でずして、いつ奏でるのか。


傀儡の詩。

それは、灯火を失った器を操る禁呪。

勇者だけが持つ、凡ゆる力を超越した秘術。

永遠の魂という、勇者の加護を持つが故に奏でられる奇跡。


その旋律は、煌めく光の雨となり、光を失った魔獣へと降り注ぐ。

動き出すのは、意志なき色彩。

それは、爪を立て、牙を剥き、灯火を持つ魔獣へと翳される。


抗う魔獣の如何なる力も、意味を成さない。

どれだけ壊そうとも、その傀儡には、魂など初めからないのだから。


その旋律は、生命の理を冒涜する。

その色彩は、神の祈りを踏み躙る。

全ては、勇者の意志のもとに。

そして、テラの灯火と引き換えに。


膝をつくテラ。

全てが抜け落ちていくのを感じる。

勇者の加護を捨ててから、この禁呪を使ったのは、二度目。

これを奏で終える頃には、テラ自身が抜け殻となっているだろう。


「それが、どうした…。」

口から溢れ出す赤い花弁。

それを否定する様に、テラは微笑む。

白妙の都での決戦。

あの時に、すでに全てを失う覚悟をした。

故に、花の国ことも、全て引き継いだ。

もう、思い残すことは、何もない。


これを、終わらせることができるのならば。


歪を凌駕した不協和音に、魔獣たちは逃げていく。

その壮大な反響によって、リュパンの囁きが掻き消されていく。

最早、魔獣は、宝珠の支配下にはいない。

ただのむくなる生命として、本能のままに去っていく。


胸を撫で下ろす騎士団の中で、ヴィオラだけが走ることをやめなかった。

今、守るべきは、我が王テラ。

その想いだけで、魔神へと刃を向ける。

だが、その背を追い越す様に、幾つもの重低音が反響する。

思い出すのは、テラの言葉。

「私が切り札を奏でたなら、有無を言わずに退避してほしい。」

ヴィオラは、見失っていた。

騎士団長として、守るべきものを。

それは、民であり、部下であり、想いのままに紡ぐのなら、家族である。

テラが、ヴィオラを見つめ、小さく微笑む。

それは、刹那の色彩だった。

だが、ヴィオラにとって、守るべきものを思い出すには、充分だった。



「退避だ。負傷者を連れて、即この場を離れろ。」

ヴィオラは、踵を返し、空を貫く旋律を奏でる。

魔神に群がる魔獣の山を背に、ヴィオラたちは王の命に従う。

それを見つめ、テラは、ようやく安息を得た。

後は、魔神を止めるだけ。

自らの全てを賭して。


「メル、君だけが、心残りだよ…。」

最後に浮かぶのは、いつだって愛する人。

まるで、目の前にいる様に感じて、そっと手を伸ばす。


手のひらに感じる、柔らかな温もり。


テラは、思わず顔を上げた。

「うん、一緒に奏でようね。」

可憐な声。

それは、天使の歌声にも勝る。

「…メル。」

「はあい。」

微笑む煌めきが、傷を癒していく様に感じる。

抜け落ちていく灯火の欠片たちが、テラに留まり始めた。


「テラ、いっぱい使っちゃったね…。でも、これ以上は、もう失わせないよ。」

流れ込むのは、メルの灯火。

それは、禁呪へと紡がれていく。

「だめだ、メル。君の灯火が失われる…。」

テラは、悲痛の旋律を吐露する。

「平気よ、失いたくても、失えないもの。」

メルが、困った様に笑った。

「だって、私の中には、魔王の加護が残っているもの…。」

それは、レーヌに押し返された足枷。

「次の魔王が決まるまでは、だめって…。」

「そうなの…?………ロベリアじゃだめなの?」

「ダメみたい…。ロベリアちゃんは、すでに器が満たされているからって…。だから、選ばれるのは、いつも子供なの。」

「確かに、メルは、子供っぽいけど…。」

「違うわよ…。私は大人なの。選ばれる時に子供だったら、それでいいの。私は、大人なの。」

「うん、メルは、大人だよ。でも、どうして、魔王の加護のこと、黙っていたの?」

「…………私もずっと気付いてなかったから…。」

「…そう………。」

「そ、そんなことより、今は魔神よ。ほら見て、魔獣ちゃんたちが頑張ってくれてるよ。」

「操っているのは、私たちだけれどもね…。」

「何だか、申し訳ないわね…。」

メルが、悲しそうに、魔獣を見つめる。

「うん、だから、禁呪なんだよ。」 

テラは、メルの横顔へと、困った様な吐息を奏でた。


魔神が振り抜くのは、歪な剣。

それに刻まれる、いつくもの魔獣を成した器。

それでも、全てが魔神へと抗う。


その全てを縫う様に、一つの矢が宝珠へと繋がる。

奏でたのは、未だ遠くを駆けるリュテ。

テラは、その影を瞳に捉えた。

「彼は…。」

見知らぬ少年。

だが、この旋律に何かしらの因果を持つことだけは、察することができた。

その矢が、倒すためではなく、慈しむために奏でられた様に感じたが故に。

それでも、非力な子供が来て良い場所ではない。

「逃げろ、ここは危険だ。」

テラが叫ぶ。

その旋律は、瞬く間にリュテへ届いた。

しかし、彼は、首を振る。

「僕の……、僕の、父さんなんです。」

血のつながらぬ家族。

本当の父の友人であり、父を見送った人。

全てをリュテへと贈った、師。

リュテが、プロテアへ紡ぎたかった言葉。

それでも、言えなかった言葉。


父さん。

思わず口走った自らの音色に、リュテは、本当の想いを確信した。


この手で、救い出す。

そして、一緒に帰る。

だって、プロテアは、父さんなのだから。


その意志は、再び弾かれた弓へと紡がれる。

「この至近距離なら…。」

勢いは、充分に届く。

暴れ狂う魔獣の群れと、それを壊していく魔神。

そこに開く僅かな隙間。

その刹那を見つめ、矢が放たれる。

砕け散る音。

崩壊する鉄。

宝珠は、煌めきを失うことなく魔力を放つ。


その色彩に、魔神の瞳がリュテを捉えた。

振り翳される剣は、空を黒く染める。

その切先が、リュテへと振り下ろされた。

だが、それがリュテに触れることはない。

「お花を咲かせる魔法。」

犇めき合う様に、無数の花が柱を織り成す。

支えるのは、魔神の剣。

その柱は、瞬く間に刃を覆い尽くす。

その魔法を奏でたのは、メル。

魔王のみが持つ禁呪。

その魔力に蝕まれ、動きが鈍る魔神。

その隙を、テラは見逃さなかった。

逃げゆくリュテの馬を瞳に奏で、その幼い体を抱き寄せる。

「怪我は?」

魔神を見つめ、その動きを刻みながら、テラは囁く。

「僕は、無傷です…。でも…。」

魔神の中に居るのは、プロテア。

彼は、きっと、傷付いている。

「あの魔神に取り込まれた人…、君のお父さんを助けたいんだね。」

テラには、確信があった。

今、守る様に抱き寄せている少年は、魔神と何かしらの関係がある。

「……はい。ずっと僕を守ってくれた人なんです。導いてくれた人なんです。」

父さん、そう呼びたかった。

明日になれば、そう呼べる。

それを疑うことなんてなかった。

だから、言えずに、ここまできてしまった。

「僕は、まだ、彼に何も返せていない…。」

その想いを噛み締め、リュテは、魔神を見つめる。

「そうか。なら、助けないとね。」

テラが、微笑む。

「もう気付いていそうだけど、壊すべきは、あの宝珠なんだ。」

緩やかに囁く音色。

「でも、あれを壊すには、魔力が必要なんだ。それも、とても大きな…。」

テラの剣ですら、傷をつけることはできなかった。

それは、硬さ故ではない。

溢れるほどの想いが凝縮されて生まれた魔力。

それが、傷を拒んでいる。

「そこで、私の出番なのね。」

メルが誇らしげに顔を覗かせた。

「メル、助けてくれてありがとう。君の言う通りだよ。」

テラが、穏やかに微笑む。

「私も、これは、想定外だった。」

自らが振るう剣で、打ち砕けるはずだった。

ただの宝珠であれば、それは可能だった。

だが、そこに宿るのは、レーヌが紡いだ禁呪の残響。

そして、それを吸い寄せられた数多の思い。


それを穿つことができるとするならば、魔王の魔力。


「私は、傀儡の詩で、魔神の動きを止める。メルは、魔力を一つに込めてくれ。それから…君は……。」

「リュテです。僕の名は、リュテです。」

「ありがとう、リュテ君。君の弓の技術は、誰にも真似できないほどに、高次元にある。」

何度も、それも、長距離から、そして、あの凄まじい旋律の刹那を縫いながら、全て宝珠に当ててきた。

「メルの魔力を、君の矢に込める。その矢で、宝珠を砕いてほしい。」

揺るがぬ瞳で、リュテを見つめるテラ。

「リュテ君、荷が重いかもしれないけど、任せてもいいかな?」

無理ならば、自らが斬り込む。

ただ、その矢の様に、気づかれることなく当てられるかは、確信が持てない。

故に、その希望を託すことを選んだ。

「やります。」

勇猛な戦士の如く紡がれた旋律は、それに負けぬ色彩を帯びたリュテから奏でられた。


それが叶うのは、一度切り。

刹那の色彩。

それを織り成すコンチェルトが、静かに奏でられ始めた。

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