第六楽章5節
その連なりを彩る殆どの者は、ブランノワール戦争を見てきた。
その顛末を見た者、聞いた者、何れにしても、その幼く見える彼女が、誰なのかを知っている。
元魔王、メル。
何故か、白妙の領地で、街道の先の寂れた広場で、一人、立っている。
その穏やかな微笑みの後ろには、幾つものシートが敷かれ、大きなテーブルが一つ配されている。
テーブルの上にあるのは、数え切れないティーウェア。
故に、本当に彼女が元魔王メルなのか、全員が疑った。
「な、何をしている…。こんなところで…。」
戸惑いを隠せぬままに紡ぐ。
「白妙の騎士団の方々ですね。お待ちしておりました。」
穏やかに、ゆっくりと紡がれるメルの音色。
「みなさんと、お茶会がしたくて、ここまで来ました。」
その音色の、あまりの柔らかさに、ブランノワールを聞き知った者は、顔を見合わせる。
「………状況が、わかっているのか?これは…。」
これは、開戦のための進軍。
だが、名目は、花の国との対話。
成すべき手順を紡がなければ、反発を受けるのは白妙。
ブランノワールで白妙が崩れかけているからこそ、正当を貫き、離れかけた各地の貴族の意志を白妙へと戻さなければならない。
故に、容易く、戦闘の意志を彩ることはできずにいた。
「わかっております。だから、お茶会をして、たくさんお話ししたいのです。」
すでに、メルは、花の国の政権から退いている。
それは、白妙にも伝わっている。
それでも、元魔王が対話を求めて、白妙まで出向いてきた。
それが、何故、青空の下で、ピクニックの様相の中で、行おうとしているのかは、理解し難くとも。
「ところで、お茶は、柑橘系がお好きですか?ベリー系がお好きですか?トロピカルの方がいいですか?もちろん、ノンフレーバーもあります。お茶受けは蜜と木の実のクッキーを焼いてきました。私の今日の気分は、林檎の香りです。お湯はもう準備してあるので、すぐにお淹れしますよ。」
本当に、対話が目的なのか。
それを、疑わざるを得ない。
それは、目の前に立つのが、元魔王だから。
或いは、今から攻め込もうとしている花の国を司る者だから。
最早、その何れでもなくなった。
それは、彼女が、あまりにも楽しそうに、そして、嬉しそうに、お茶会の話を進めているから。
対話するというより、お茶会をしたいだけなのでは。
無垢だけが彩られたメルの笑顔に、誰もが、そう思った。
一人一人に、何が飲みたいかを聞いて周り、弾む足取りでテーブルへと向かう、無防備な後ろ姿を眺めながら、騎士たちは微笑みが溢れる。
本来ならば、進軍の最中に笑うなど許されない。
それでも、彼らが微笑みを彩ることができたのは、騎士団長リラデュテが、真っ先に微笑んでしまったから。
「な、何か手伝おうか?」
慌ただしく準備を進めるメルの姿を見て、リラデュテは思わず音色を零す。
「良いのですか?」
振り返るメルの笑顔が柔らかく弾け、騎士たちに綻びを彩る。
まるで、我が子を愛でる様に、彼らはメルの手伝いを始めた。
メルからは、全く魔力を感じない。
少しでも、魔力が漏れる様ならば、宣戦布告と見做すはずだった。
それさえも忘れてしまう穏やかな旋律の中でも、メルは、僅かな魔力も漏れぬ様に、その身へと押し込めている。
故に、この刹那に於いても、メルへの警戒を解けぬ者たちさえも、少しずつ、その温もりに身を委ねていった。
「ごめんなさい思っていたよりも、たくさん時間がかかってしまいました…。」
深く頭を下げるメル。
慌てる様に、それを止めるリラデュテ。
「こんなにたくさんの数を準備してくれたのだ、むしろ感謝している……、いや、感謝しています。」
リラデュテの音色に、彼の背後に立つ騎士達が敬礼を彩る。
「こちらこそ、手伝っていただき、ありがとうございます。」
メルの柔らかな微笑みが、穏やかな香りに揺れる。
「いえ…、ただ、これだけ多くの人の準備をすると言うことが、これほどまでに大変だとは知りませんでした…。」
動き辛いと脱ぎ捨てた鎧の山を見つめ、リラデュテは、囁いた。
「給仕の者たちへの感謝は、忘れてはなりませんな…。」
思い浮かぶのは、これまで気にも留めなかった施しの数々。
それを慮る様に、ここに集う者たちに優しい香りが、ふわりと纏う。
そこには、もう既に、戦いの意志など微塵も残っていなかった。
「何だ…、これは……。」
クッキーを頬張る騎士たちが、驚愕の音色を零す。
「お、美味しくなかったですか…?」
口いっぱいのクッキーを慌てて飲み込み、メルは不安気に囁いた。
「いえ、逆です。こんなに美味しいクッキーを食べたのは初めてだ。あの名声を轟かせるパティシエのアリッサムと同等…、それ以上か…。」
「お言葉ですが…。このサクホロ感と、まろやかな甘味は、むしろ焼き菓子の巨匠ガルデニアに近いかと…。」
「分かっておりませぬな、この素朴な中に溢れる深い味わいは、クッキーの魔術師と謳われたフェイジョアを彷彿とさせます。あのパティシエの引退は、私の人生の中でも、最も衝撃的な事件でしたよ…。しかも理由が、ステーキハウスを営むためという、全く理解し難いものであったが故…。やはり天才というのは、我々の常識の遥か上をいく…。」
熱く語り合う騎士団。
「お前たちは、本当に甘味が好きだな…。」
それを見つめながら、リラデュテはため息に奏でた。
至高のクッキーを頬張り、林檎の香るお茶を飲みながら。
「楽しそうで、嬉しいです。やっぱり、お茶会はみんなでするのが一番ですね。」
リラデュテを覗き込みながら、メルは微笑む。
「内密にしていただきたいのですが、私は、剣に生きてきたので、こういうことをしたことがなく…、憧れていたのです。」
「では、夢は叶いましたか?」
リラデュテの囁きを、メルが柔らかく包み込む。
「ええ、きっと、一生、忘れることはないでしょう。」
「よかったです。私も、とても嬉しいです。」
あちこちから揺れる優しい香りが、穏やかな今を詩った。
「これから、如何されるおつもりですか?」
みんなでティーウェアを片付け終え、リラデュテがメルへと紡ぐ。
「そうですね。この道具を花の砦に持ち帰って、それから、テラの様子を見に行きます。たくさんの魔獣が何だか不穏な動きをしているみたいで…。白妙の民の皆さんに何かあれば、大変です…。」
メルは、静かに奏でた。
「魔獣の話は、白妙にも入っています。それと、もう一つ…、歪な魔力を放つ魔獣が、別の地に居ることも…。」
「はい。そちらは、ロベリアちゃんが対応してくれています。そこで…、お願いがあるのですが…。」
メルは、伺う様に、リラデュテの顔を覗き込んだ。
「我々は、ロベリア神王に手を貸せば良いのだな?」
「…ロベリアちゃんは、魔族の王です。そして、白妙のみなさんは、人族の騎士団です。それでも、お願いできますか?」
「騎士団というものは、義を重んじる。今、受けたばかりの恩を、我々は忘れたりはしません。」
リラデュテは、小さく微笑む。
「それに、ロベリア神王も、テラ前王も、白妙の民のためにも動いてくれていることは、理解しているつもりです。」
「ありがとうございます。何より心強い仲間を得ました。」
メルは深く頭を下げた。
それを止め、さらに深く頭を下げる、リラデュテ。
「感謝すべきは、我々です。英気は十分に養えました。早速、動きましょう。」
硬く交わされた手のひらが、絆という大樹を成し、花が咲き誇る。
それはまるで、黄色のアルストロメリアの様に、眩く煌めいた。




