第六楽章2節
私たちは、知らなかった。
宝珠が齎すものを。
宝珠の力を。
宝珠に呑み込まれた者の末路を。
リュパンの今を。
「ねえ、あれは本当に、リュパンなの…?」
私たちの知るリュパンは、人族の商人。
その富の象徴たる体躯が奏でる通り、争いなどできない。
人族であるが故に、魔力もなければ、魔法も扱えない。
だからこそ、警戒していたのは、リュパンの手先だった。
まして、白妙の都からここまでは、長い旅路を紡がなければならない。
それは即ち、私たちの歩む先には、無限に等しい選択肢があるということ。
追ってくるならば、少なくとも数名の部隊を編成しているはず。
私たちの話を聞き、ピヨが予見していた絵図。
それは、背に迫る歪つな色彩に否定された。
何より、その色彩は、リュパンの声を持ち、リュパンの姿を彩りながら、リュパンではない不協和音を滲ませている。
小さく振り向く私は、贅の極みを揺らしながら、猛速で駆けるそれに、大きな違和感を抱く。
「魔力を感じるの…。」
ルナが、小さく囁く。
目があまり見えずとも、それを感じることはできる。
ルナの持つ感覚に、きっと間違いはない。
「あれは、何なの…。」
魔獣の駆ける速度に追いつき始める、リュパンを成したもの。
「ユニちゃん、コンちゃん、がおちゃん、もっと早く走れないかな…。みんな、追いつかれちゃう…。」
無理な願いであることは、自覚している。
もう既に、みんなは全力で駆け抜けている。
それでも、リュパンの手が、すぐそこに迫っている。
リュパンの望みは、宝珠。
それを生み出せるのなら、二人も必要ない。
「ルナちゃん、それにみんな、約束して欲しいの。」
私は、小さな吐息の後、強く奏でた。
「今から、何が起きても、前だけを見て、全力で逃げてね。」
揺るがぬ意志が、震えを止めてくれる。
それが叶う今だけが、それを果たす機会。
「も、もちろんなの。みんなで逃げなきゃ…。」
ルナの音色に、私は微笑んだ。
その色彩が、刹那に振り向くルナの瞳に刻まれる。
それを見つめた私は、小さく頷いた。
「今まで、ありがとう。」
私は、コンから飛び降りた。
「リュパン、私は、ここに居る。宝珠を生み出す道具なら、一つで充分でしょう。」
力の限り、声を張り上げる。
スカートの裾を靡かせ、中に隠した小剣を抜く。
あわよくば、ここで止める。
私だけで満足しなかった時のために。
その影は、私が知るより遥かに大きい。
震える手から、小剣が擦り落ちる。
だけど、それを拾う気にはなれなかった。
それを構えたところで、意味がない。
こんな大きなものに、どうやって抗えばいいのか。
争いなど、一度もしたことのない、無力な私に。
「さようなら。」
私は、俯き、瞼を閉じる。
吐息と共に、伝えたい想いが、零れ落ちた。
「ルナちゃん、愛してるよ。」
途絶えた足跡も、貴女の未来に繋がるのなら、旅路と言えるよ。
崩れ落ちる体。
それは、灯火を失う刹那の色彩。
全てを諦めたが故の、束の間の安息。
ふわりと体が浮く様な感覚が、私を柔らかく包み込んだ。
これが、天国なら、私は幸せ者だよ。
薄く開く瞼の先に紡がれる純白。
羽毛の様な揺めきに、私は小さく微笑んだ。
断片に切り取られる旋律が、音を忘れさせる。
未だリュパンが私に触れないのは、時の感覚さえも緩やかに紡がれているからだろう。
それなら、たくさん思い出せるね。
愛する人のことを、たくさん想えるね。
ねえ、ルナちゃん。
初めて会った瞬間に、恋したんだよ。
貴女は天使だって、すぐに信じることができたの。
今も、変わらないよ。
覚えているかな。
私たちが、初めて触れ合った日のこと。
指先だけだったけど、とても温かくて、愛おしくて…。
全部が救われた気がしたの。
それは、間違いじゃなかったよ。
私が、深く傷ついた日、ルナちゃんは、手を差し伸べてくれていたね。
私が、それに触れるのを、ずっと待っていてくれたの。
貴女に触れられたことも幸せだったけど、待っていてくれたこと、それが何より嬉しかったの。
あの牢獄から一緒に逃げようって決めた時、最後まで、のんびりしていたね。
あの時、私は、ずっと張り詰めていたの。
だからね、ルナちゃんの、その優しくて柔らかい色彩に触れて、私は心に穏やかな音色を取り戻せたんだよ。
ねえ、ルナちゃん。
もっと、触れていたいよ。
もっと、声を聞きたいよ。
もっと、一緒に居たいよ。
愛してるって、伝えたい。
愛してるって、聞いてほしい。
ルナちゃんの幸せを見ていたい。
ルナちゃんの幸せに寄り添いたい。
ルナちゃんと、これからも生きていたい。
零れ落ちる宝珠が、私の足元へと通り過ぎていく。
その感覚だけが、閉じた瞼へと映された残響に、現を彩った。
覆う影が、瞼の先に彩られる。
触れる柔らかさが、私の終わりを告げる。
痛みは、何も感じない。
ただ、そこにあるのは、小さな温もり。
「ミーミー。」
耳を撫でる音色。
その旋律に、私は目を見開いた。
私を包む純白の先で、広大な空が小さく彩られる。
「みーちゃん…。」
その色彩が、ぴょんぴょこ隊であることは、その刹那に確信した。
「どうして…、約束したでしょう…。」
嬉しかった。
こんな私を、助けてくれる。
その想いに、私は雫を抑えることができなくなった。
「みんなでって、約束したの。」
純白の壁の向こうに響く、ルナの音色。
もう一度、この声を聞くことができた。
ルナが、私のところに来てくれた。
また、助けてくれた。
また、会える。
また、一緒に歩ける。
また、触れられる。
やっぱり、生きていたい。
ルナと一緒に、生きていたいの。
溢れる想いが、零れ落ちる宝珠と共鳴する。
「捕まえ…た……。」
リュパンの声が、重く響く。
ぴょんぴょこ隊の隙間から覗く色彩は、リュパンと対峙する、がおの背中。
「た、戦ったことがないだけで、戦えないなんて言ってないからね…。」
震える音色。
それをカノンする様に、がじがじ隊がリュパンを囲む。
「愚か者が…。逃げることに尽力すべきだろう。」
空に響く、ピヨの音色。
それと共に、幾つもの岩が降り注ぐ。
それは、全て、リュパンへと紡がれる。
思わず見上げた空には、無数の鳥の魔獣が旋回してる。
「準備が間に合わなかったら、どうするつもりだったのだ。争いも知らぬ童共よ…。」
入れ替わる様に、ピヨたちが、リュパンの遥か上に舞う。
それは、止まぬ雨のように、岩を降らせ続けた。
「ステラ、ルナ。呆けてないで、さっさと逃げるんだ。この怪物は、我々を見てなどいない。」
呆れた様に紡ぐ音色が、空を駆る。
その色彩に負けぬ様にと、がおが叫んだ。
「こ、ここは通さないからね。」
その旋律に呼応する様に、がじがじ隊が、リュパンに噛み付く。
「何だ…、お前たちは…。魔獣風…情が……。」
その旋律は、宝珠を持つものを誘惑する。
魔力を持つものであれば、それが魔獣であれば、尚のこと、リュパンの傀儡へと落ちる。
そのはずだった。
だが、彼らは、宝珠を生み出す者と触れ合ってきた。
故に、彼らは既に魅了されている。
「醜い怪物よ。お前の不協和音など、我々は耳を傾けることもない。」
全ての岩を放った鳥の魔獣たちが、次々と下降し、爪を立てる。
それに抗うリュパンの手を交わし、再び空へと戻る。
足元では、がじがじ隊が齧り付き、その体に纏わりつく。
それを振り払おうと体を捻るリュパンを、がおが力一杯はたく。
「こん…なもの……で、私を止…められると、思って…いるのか……。」
リュパンの体躯から放たれる光。
その閃光に、がじがじ隊が吹き飛ばされた。
ピヨたちは、既に空高く退避している。
これ以上、続けたら、みんなが傷ついてしまう。
「今よ、逃げましょう。」
私は、コンに跨り、目一杯に叫ぶ。
その旋律と共に、がじがじ隊が、がおにしがみついた。
ぴょんぴょこ隊は、既にユニとコンにぶら下がっている。
リュパンは、既に多くの傷を負った。
今なら、きっと逃げられる。
「みんな、ありがとう。」
小さくなりゆくリュパンの影を見つめ、私は雫の中に囁いた。
「談笑するのは、まだ早い。」
私たちを追う様に、ピヨが空を泳ぐ。
「あれは、すぐに回復して、また追ってくる。」
ピヨが、私たちに並走する様に滑空し、響き渡る音色を奏でる。
それは、何となくわかっていた。
でも、そうでないことを、祈っていた。
「リュパンと宝珠が、混ざり合っている…。」
その色彩は、私たちから希望を奪う。
「ならば、向かう先は一つ。漆黒の国だ。」
再び舞い上がるピヨが、叫ぶ様に紡いだ。
漆黒の森までは、まだ距離がある。
それを知らせるピヨの音色を背に触れ、蹄が、より早く駆け抜ける。
「神王ロベリアを頼れ。」
私たちは、それに従うべく、見つめる道の先を定めた。




