第五楽章9節
「恐らく、魔獣と人族がぶつかっている。歪な魔力とは、別の場所だ。」
花の砦の執務室に、ロベリアの声が、重く響く。
「魔獣は、私たち花の国が対応しよう。人族が絡んでいるのなら、人族である者が行く方が良いだろう。」
テラは、静かに決断を下した。
「私も着いていっても良いの?」
メルが、不安そうに囁く。
「いいよ。と言いたいところだけど、まだ何もわからない状況だから、残っていてほしい。」
テラが柔らかく首を振った。
「そうだな。歪な魔力へは、私が行くとして、他の勢力が動いた時に、打つ手を残しておきたい。メルちゃん、最も荷が重いけど、頼めるかな。」
ロベリアが、優しく微笑む。
「寂しいけど、任せて。」
メルは立ち上がり、護るように、胸に手を当てた。
「あの、僕は…。」
アリウムが、申し訳なさそうに囁く。
「君は、花の国を護る使命がある。当然、ここに残ってもらうよ。」
テラの穏やかな音色が、アリウムへと紡がれる。
「僕も、戦えます…。」
揺るがない瞳が、三人を見つめる。
「アリウム執政官、漆黒の国の王として伝える。貴方は、いつか王になる男。王とは、座して指揮するものだ。それは、戦場に赴くよりも、重い。全てを見て、全てを判断せねばならんからな。それを任せられると、花の国は判断したんだ。わかるな?」
ロベリアは、静かに、だが力強く奏でる。
「ロベリアちゃん、王様なのに動いてる…。」
メルの囁きが、その張り詰めた空気に波紋を彩った。
「わ、私は良いのよ。政治は全部、優秀な子たちに任せてるから。漆黒の国の王は、ただの飾りなのよ。」
「そうなの?私も、勝手に魔王辞めちゃったけど、あまり影響はなかったものね。」
ロベリアの音色に、メルが共鳴し、弾む。
「…メルちゃんが魔王を辞めた後、とてつもなく大変なことになったんだけどね…………。まあ、そんな昔の話は、どうでもいいわ。今を、見ましょう。」
テラとアリウムが目を合わせる横で、二人の甘い囁き合いが奏でられた。
花の国の盾、そして、剣。
彼らは、既に動いていた。
幾つもの先遣隊が大地に張り巡らされ、ひとつへと収束していく。
その指揮を取るのは、服騎士団長であるアブリコ。
シャルドンの弟子が一人、唯一の盾。
荒野を駆る蹄が、真っ直ぐに、魔獣の連なりへと紡がれていった。
そこは、既に燃えている。
その中心に彩られるのは、二つの影。
グランディオーソ騎士団長グロリオサ。
そして、鬼神プロテア。
共に戦う騎士団を鼓舞するのは、その剣の舞。
それを囲む魔獣の波が、赤く咲き乱れる。
その花が、どちらのものなのか、誰も気に留めてはいない。
気に留めるほどの余裕など、ずっと前から失っていた。
家族を守る、白妙を守る、入り混じる想いが、剣を煌めかせる。
それに抗うように爪を立てるのは、リュパンの誘惑。
ここに集うのが、魔獣でなければ、もう既に決していただろう。
それほどまでに、彼らは統率されてはいなかった。
その振り翳す牙に、争いを知らぬ事が彩られる。
それでも、ここに幾つもの赤い花弁が散ったのは、全てを凌駕する体躯と魔力が故。
そして、それが連なる、途方もない数。
終わりの見えぬ絶望と、鼓舞し続ける剣の舞。
その鬩ぎ合いが、荒野を舞台に変えていた。
それを照らす灯火は、儚く揺れる、小さな光。
踏み潰された残骸が、砂を噛み締める。
剣を墓標に。
そう詩った刻印は、散らばるように折れ、赤いせせらぎに溺れる。
それでも、笑い続けるのは、プロテア。
揺れ動く本来の己が、その制御を失い始めている。
彼が、鬼神と呼ばれた所以。
剣に生き、剣を賭し、剣と共に散る。
その願いだけが、彼の全てだった。
深淵の奥に仕舞い込んだそれが、少しずつ花を開き始める。
「俺を、ここで散らせろ。」
その咆哮が空を貫くころ、プロテアの瞳は猛々しい赤に染まっていた。
それは、ステラとルナから与えられた宝珠と共鳴する。
この戦場に於いて、唯一の宝珠。
プロテアの胸に飾られた、大切な宝物。
リュパンの誘惑と、傀儡と化した魔獣の思念が、そこへと集う。
宝珠は、何も選ばない。
全てを宿し、全てを還し、そして、全てを癒す。
誰も気づいてはいなかった。
何度も傷つけられたプロテアの体には、傷ひとつないことを。
ただそれは、彼が強靭であることの証であると、誰も疑うことはなかった。
そして、プロテアは、己の傷の行末に興味など持ってはいない。
「俺が、突っ込む。グロリオサ、お前は活路を見出せ。」
ここに墓標を立てたい。
宿し続けた願いに、汚染されていく心。
それを知らずして、紡がれる旋律。
それは、まるで、英雄のように彩られた。
誰も疑わぬ、鬼神の詩。
「待て…。」
グロリオサだけが、その手を伸ばす。
だが、それは、もう届かない。
魔獣の渦へと消えていく、何よりも大きな背中。
彼らが見た、プロテアとしての最後。
この先の彼を、もう誰も知ることはない。
閃光の如く魔獣の津波を貫くプロテア。
それに追従するように、魔獣が流れ込んでいく。
グロリオサ率いる騎士団の瞳に映るのは、その勇猛な背。
「穿て。少しでも多く、魔獣を斃せ。プロテアを守るんだ。」
グロリオサの叫びが戦場に反響する。
それにカノンするように剣の旋律が紡がれていく。
だが、魔獣は、反撃しようとすらしない。
彼らが見つめるのは、煌めく宝珠。
想いを孕み、肥大化した魔力に似た何か。
「そうだ。俺は、ここに居る。護るべき者を護り抜いた男の墓標が、ここに立つ。」
その声は、猛々しい旋律の中に、確かに響いた。
散りゆく赤と共に、黒く舞う影。
その色彩は、喧騒の静寂を描く。
もう、言葉すら無い。
ただ、それが声であることだけが、勇猛に詩う。
ずっと祈り続けた事。
数多の戦場に落としてきた、溢れるほどの赤い花々。
そこから伸びる手が、いつか、この身を捉え、その奥へと引き摺り込む。
その日を、ずっと待ち続けた。
ただ、できるならば、大切な者へ灯火を捧げ、潰えたい。
それが、この旅路を存えさせてきた。
だが、それが、遂に叶う。
グロリオサという、心強い友が来てくれた。
グランディオーソという、勇猛な色彩が、ここに紡がれた。
もう、思い残すことはない。
リュテの影が、小さく揺れて消える。
それを刻み込むように、小さく微笑む。
「満足だ…。」
プロテアの胸に揺れる宝珠が、煌めく。
そこに集うのは、数え切れない魔獣の魔力。
本当に、思い残すことはないのか。
本当に、満足なのか。
ゆっくりと伸ばすての先には、リュテが微笑む。
その色彩は、プロテアの心の旋律。
巡りゆく心の回廊。
それは、螺旋の如く、プロテアの全てに触れていく。
共に旅路を彩り、我が身の全てを授けると誓った若き英雄。
リュテの存在があったからこそ、プロテアは、再び剣に生きることを選んだ。
故に、見続けた色彩は、変わらなかった。
リュテを導き、星と月の国を建てる。
無垢なる少年が、その民を支える。
きっと、そこは楽園になる。
白妙の都の路地裏で見続けた光を失った灯火。
これからも生まれてくるであろう、その色彩。
そこは、必ず、彼らの拠り所となる。
ステラとルナが齎したように。
それを、リュテへと繋ぐ。
いつしか芽生えた願い。
それは、揺るがぬ使命と、刻まれていた。
「まだだ。まだ、俺には、墓標は早い。」
見開く瞳。
それを覆い尽くす純白の閃光。
それを放つのは、溢れかえるほどの魔力を取り込んだ宝珠。
それだけであれば、きっと、プロテアは願いを叶えただろう。
流れ込む誘惑と囁き。
それは、禁呪に触れた旋律と、底知れぬリュパンの欲望の叫び。
「全て、私のものだ…。」
その身の全てに響き渡る旋律。
違う、誰のものでもない。
そう叫んでも、掻き消される。
プロテアを覆う純白が、黒く澱んでいく。
それは、宝珠から生えた無数の手。
全てを奪う、悍ましい色彩。
それに吸い込まれるように、魔獣の魔力が消えていく。
「何だ…、これは…。」
触れずとも倒れゆく魔獣を目の当たりにし、グロリオサは、思わず呟いた。
「…………プロテア…。プロテアは、無事か。プロテアを助け出せ。」
僅かな時の流れに身を委ねたグロリオサが、意思を取り戻し空を貫く旋律を奏でる。
山の如く盛り上がる魔獣の群れが、常闇の噴火を紡ぐ。
散りゆく魔獣には、もう灯火はない。
それを切り裂くように、ひとつの影が聳え立つ。
「魔神…。」
それは、御伽話に紡がれた、架空の色彩。
そう思っていた。
それを疑うこともなかった。
だが、等しく、架空と謳われた宝珠は、既に存在している。
故に、この影が、魔神であると、グロリオサは、確信した。
「退避だ。」
グランディオーソは、先の戦争であるブランノワールに於いて、半分以上の戦力を失っている。
仮に、万全であっても、勝てる確信を持てない。
これ以上は、無駄に失うだけ。
名誉より、友の灯火。
故に、命じる。
自らは残り、プロテアを見つけ出すことを、語ることなく。
目の前に彩られたそれが、プロテアである事を知らずに。
荒野を駆る蹄の音色を背に、剣を掲げる。
空は、既に宵に触れていた。




