第五楽章5節
馬の魔獣の連なり。
彼らは、共に歩む魔獣に等しく、頭に反響する声に翻弄されていた。
ただ、彼らには、知性が存在している。
人族や魔族にとって、それは幼い子のようなもの。
それでも、彼らには、それは確かに存在した。
故に、宝珠に魅了されてもなお、理性を保つことができた。
それが、彼らの瞳に彩られる惨劇を、より鮮明に刻む。
倒れていくのは、弱き魔獣と、儚い人族。
何も知らず、歩むべき道を示され、その旅路の先を刻んできた彼らにとって、それは恐怖以外の何者でもない。
最初に向けられた刃に怯え、彼らは逃げ惑った。
それを押し除けるように、熊の魔獣が先陣を切った。
馬の魔獣は、その色彩を、慈悲だと感じた。
だが、それは、思い上がりに過ぎない。
遠く離れた地に茂る草木に隠れ、惨劇を見つめる心に、それが翳される。
長い歴史で、人族や魔族と、魔獣との争いは、幾つかあった。
ただ、それは、小さな旋律を奏で、瞬く間に収束していった。
だが、これは、違う。
そう確信させる不協和音が、空を穿つ。
言葉を話せずとも、それだけは感じることができる。
故に、彼らは思いを馳せた。
遠い地で、別れを告げた2匹の馬の魔獣の残響へと。
ユニとコンという名を与えられ、ステラとルナと共に旅路を彩り始めた優しき子達を。
守らなくては。
この赤いせせらぎが津波となって、優しき子達へと及ぶ前に。
それは、彼らの揺るがぬ想い。
瞳に刻まれ続ける惨劇から目を逸らすための戯言かもしれない。
それでも、守りたいものがある。
守り合いたい家族が、ここにある。
馬の魔獣の連なりは、その蹄を荒野に刻み始めた。
その旅路は、遠い空の下に平穏を奏でるステラとルナへと続く。
背に感じる赤い花々を舞わせた風が、鬣を揺らす。
それを切り裂くように、彼らは駆け抜けた。
「馬の魔獣が、逃げた。」
去り行く影に、騎士たちが奏でる。
「小さくとも、活路が築かれた。」
彼らの遺した色彩は、星と月の騎士団へと、光を齎した。
連なる咆哮が、刃を纏う。
見つめるのは、戦場ではない。
向かう先は、平穏の地。
その為に、ここを切り開く。
その抗う色彩に集いゆく、連なる魔獣。
それが、何を成したものなのか、最早、考える余地はない。
ただ生き抜く為に、刃を奏でる。
その旋律を刻んでも尚、魔獣は爪を立てる。
それは、宝珠の誘惑と、リュパンの声が齎す旋律。
生存本能を凌駕した囁きが、無垢なる者ほど傀儡へと堕とす。
振り翳す爪、振るう牙、躙らんと舞う巨躯。
そこに、連携も、統率も、戦術もない。
平穏を生きてきた魔獣にとって、それとは無縁であった。
己が持つ爪、牙、巨躯、それらを武器として掲げるのは、棲家を脅かされた時のみ。
無益に、自ら何かを襲うなど、これまでもなく、これからもないはずだった。
『宝珠を奪え。』
心に反響し続ける不協和音。
それが求めるのは、宝珠を取り込み、リュパンの元へと収束すること。
そこに、彼らの意思などない。
故に、自らを顧みることも、その灯火を守ることさえもない。
生き延びることを原色に彩り、倒すことを描こうとしない刃と、ただ奪うためだけに全てを破壊しようとする魔獣。
そこに生まれる差は、希望を握りしめた騎士団の柄に、綻びを奏で始める。
「プロテア、撤退はまだか。」
悲痛が混ざり始めた音色が、刃の隙間を縫う。
「もう少し待て。今、撤退すれば、魔獣を引き離すより早く、家族に追いついてしまう。」
そして、それよりも、この圧倒的な数から、逃げ切る確証が持てない。
元より、プロテアは、ここに残るつもりだった。
魔獣を引き留め、その隙に騎士団の逃げ道を見出す。
「少し、甘かったな…。」
そのつもりは、なかった。
本来ならば、その作戦で十分過ぎるはずだった。
この場に駆けつけた刹那は、そう確信できていた。
だが、魔獣の連なりは、常軌を逸するものだった。
「まるで、世界の全ての魔獣が、ここに集っているようだ…。」
それは、過言ではない。
禁呪と混ざり合った宝珠が放つ力と、それに取り込まれ、それに取り憑いたリュパンの念が齎す誘惑が、影の隙間にさえ蔓延する。
それに触れずにいられた者など、居ない。
そして、それに触れることは、それに魅了されることに等しい。
それは、知性の乏しい者ほど、強く刻まれる。
言葉を持てるほどの知性を得られなかった魔獣は、それを持つ魔獣より、はるかに多い。
それは、ここに留まり続けるほどに、魔獣が集い、絶望へと突き進むことを意味している。
ならば、これ以上、留まる必要は、もうない。
「撤退だ。」
プロテアは、叫ぶ。
「目指すは、まだ生まれぬ、星と月の街。」
その背の先の地平線へと、切先を彩る。
「迂回して行け。魔獣を引き離し、家族の元へ帰れ。」
さらば、愛する兄弟よ。
その叫びを、唇へと仕舞い、プロテアは、魔獣の連なりへと咆哮を奏でる。
撤退へと駆け出した兄弟たちの影を、その背に背負ったまま。
「骨くらいは遺してくれよ。俺の墓標のために。」
高く跳ぶ影。
陽光を背に、その影を見つめる視界を奪う。
壮麗に煌めく刃を翳し、プロテアの詩が、その吐息を彩った。




