第五楽章1節
遠く離れた地。
白妙の都を見つめ続けた魔獣は、もう彼がそこに居ないことを知る。
人族の領地に散らばりつつある宝珠が、それに気づくことを遅れさせた。
モフは、知っていた。
かつて、友人と思っていた者が、自らを孤独と確信し、去っていったことを。
だから、モフは、ずっと待っていた。
彼が、また戻って来ることを。
だが、モフは知ってしまった。
彼が、宝珠を飲み込んだことを。
そして、彼は気づき始めていた。
宝珠が、彼を呑み込んでしまったことを。
小さな森。
そこは、かつて、二人の楽園だった。
たくさんの魔獣と共に暮らした、大地の果て。
そこから抜け出した、幾つかの灯火。
寄り添い合って、生きていくはずだった。
ただ、彼には、姿が無かった。
故に、誰も、彼に触れることができなかった。
それが、彼を孤独にした。
モフは、知らなかった。
彼にとって、モフでさえ、自らを切り捨てた者であることを。
それに気づいた時、彼の苦しみを知った時、それを分かち合い、癒したいと思った時。
もう、彼は居なかった。
だから、モフは、歩き出した。
耳元に揺れる三つの色彩が織り成すリボンと、その下で揺れる拙い矢。
それを勇気の糧に、モフは、取り込んだ宝珠の繋がりを手がかりに、彼を探し始めた。
それは、彼を取り込んだリュパンの影が、荒野の果てに足跡を刻んだ頃。
そして、それは、リュテと出会い、見送った少し後。
それらは、いつか交わる。
全てが、一つの地へと旅路を紡いでいるのだから。
リュテは、まだ知らない。
それが、間も無く奏でられることを。
空は、まだ青い。
陽光に、汗が岩肌に溶ける。
目指すべきは、花の国の領地。
その端にある一つの廃村。
かつて、神龍が棲んでいた聖域。
勇者の聖剣が、墓標を彩る聖地。
そこに手の届く、灯火の跡。
「もうすぐ、この旅が終わる。あと少し、頑張ってくれ、みんな。」
プロテアが、しゃがみ込む仲間へと奏でる。
彼らの限界が近いことは、わかっていた。
ただ、安息を得るには、自らの足で歩むしかない。
彼らを助けることができるのは、彼らしかいない。
だからこそ、プロテアは、立ち続けた。
彼らが、もう一歩を踏み出せるようにと。
「プロテアさん、この先に川があるよ。それに沿って歩けば、今日の野営地も、見つかるんじゃないかな。」
少し荒れた息と共に、リュテが弾むように奏でる。
「どこに行ったのかと思ったら、偵察をしてきてくれたのか。」
プロテアは、リュテの頭を撫でながら、微笑んだ。
「リュテ。お前は、少しずつ先導する者として育ってきているな。いつか、お前に託せる日が来る。それが、楽しみだよ。」
「何年先のことを話してるの、プロテアさん。」
「どうだろうな…。だが、それを磨き切るのは、早い方がいい。」
プロテアが、小さな想いを隠すように、リュテの背中を優しく叩いた。
「それは、もちろんだよ。」
力強い音色。
未来を見つめるリュテこそが、未来。
プロテアは、未来を守るためならば、何を捧げることも、至福であると噛み締めた。
「俺は、ずっと戦場に生きてきたから、人を導くという事を知らない。」
川沿いに連なる灯火の先に立ち、プロテアがリュテへと奏で始めた。
「アプフェルの方が、そういう事に向いている。」
この連なりの殿を務める元騎士達と共に歩む彼女。
誰も見失わないという想いが、彼女をそこに立たせていた。
「リュテ、お前には、アプフェルからも、しっかりと学んでもらいたい。」
「それって、僕に、みんなを導けと…。」
「重く考えるな。まだまだ先の話だ。お前には、選ぶ権利もある。だが、今から見据えていても、決して早くはない。」
プロテアの頬に、風が貫く。
「リュテは、前を見ていればいい。今、俺に言えることは、それだけだ。」
リュテの瞳を彩る、プロテアの穏やかな微笑みが、陽光に重なった。
「僕にできる事を、尽くしていくよ。」
いつか、この大きな背を、己自身が彩ることとなる。
その時、どれだけの安息を、そこに紡げるだろうか。
リュテは、不安と決意の絡み合う想いを、手に握る弓へと奏でた。
それは、リュテが新たな一歩を踏み出すためのファンファーレとなって、彼の心へと反響した。
「ねえ、プロテア。」
リュテは、茜色に染まりゆく空の下、プロテアへと奏でる。
「後、どれくらいで、目的地に着くの?」
プロテアは、小さな地図を広げて見せ、勇者の墓標を指す。
「俺の知る廃村は、此処にある。」
その指が、すっと南へと降りていく。
「今、俺たちがいる場所は、この辺りだ。」
「随分と、遠いね…。昼に、もうすぐ旅が終わると言っていたから、近いと思っていたよ。」
「近いさ。白妙の都から、ここまでの旅路を考えたら。」
もうすぐだという想いは、確かに、連なる灯火の足を軽くした。
そして、また、少しずつ重くなっていく。
「こ、これが、大人の、人の導き方なんだね…。」
大人たちは、大人であるが故に、分かっていた。
「それで歩けるなら、それで良いじゃないか。」
「大人って、ずるい…。」
「賢いって言ってくれ。」
プロテアの笑い声に、リュテはため息を奏でた。
「まあ、辿り着けばわかるさ。そこに至る旅路より、そこから紡ぐ旅路の方が長い。」
プロテアが、穏やかに微笑む。
「ステラさんとルナさんを、探さなきゃいけないしね。」
リュテは、瞳を強く奏でた。
「そうだな。」
プロテアは、リュテの頭を撫でながら、空を見る。
「それと、月と星の家の家族たちの、生きる場所を築くこともまた、たくさんの時間を紡ぐ事になる。」
プロテアが、揺るがぬ瞳を、リュテへと向けた。
「リュテ、お前が学ぶべきことは、そこにある。」
「街を作る…ということ?」
「営みを描いていくということだ。」
「路地裏のように?」
「俺たちの目指す場所は、白妙の都とは違う。何もないところから、全てが始まる。」
「自分たちで、色を決めるんだね。」
「そうだ。それは、自由であり、責任だ。だからこそ、その旅路は重く、長くなる。」
プロテアが、リュテの頭を優しく撫でる。
「どうだ、それに比べたら、目的地までの道のりが、短く感じただろう?」
「うーん…。」
リュテは、考え込むように、首を傾げる。
「そうか…。」
茜色に染まった荒野に、長い二つの影がゆらゆらと彩られた。
やがて、星が空を彩り始める頃、川のほとりに火が焚べられる。
そこに集う、幾つもの微笑みが、刹那の安堵を奏でていた。
彼らが持っているものは、希望。
そして、ステラとルナによって与えられた宝珠。
その二つが共鳴し、彼らは、ここまで歩むことができた。
故に、その足跡には、魔力の残響が彩られている。
それを嗅ぎつけたのは、ひとつの欲望。
リュパンの念に侵された魔獣の連なり。
それは、蜿蜿と影を成し、宝珠から放たれる眩い魔力を蝕もうと忍び寄る。
プロテアさえも気づかぬ果てに、それは覆い始めていた。




