第四楽章9節
そこは楽園だった。
果実を彩る木々が囲む泉は、温かい水に満たされている。
湧きゆくその流れは、土の奥深くに眠る熱い鼓動の残響。
それは、肢体の芯に潜む疲労さえも癒し、その麗しさを保つ瀞みに溢れている。
それを見つけた刹那の、二つの影の歓喜の旋律は、他に類を見ぬほどに、鮮やかな音色の織り成すシンフォニーとなって空中へとこだました。
「ステラちゃん、温泉だよ。」
その香りに、ルナは服を脱ぎ捨てながら泉へと急ぐ。
「ルナちゃん、はしたないよ。それに誰が通りかかるかも、わからないわ。」
私は、慌ててルナを止めようとしたが、すでにルナは温泉へと飛び込んでいた。
「ぴょんぴょこ隊のみんな、お願い、ルナちゃんを隠して。」
私は、乞う様に奏でた。
「ミーミーミーミーミーミーミー。」
それに呼応する様に、ぴょんぴょこ隊の壁が彩られていく。
「す、すごいわね…。ありがとう。」
私は微笑みながら、服を脱ぎ、ルナの物と共に畳んだ。
ゆっくりとお湯へと浸けていく足に、じんわりと広がる心地よさが彩られる。
「気持ちいい…。」
やがて、それは全身へと纏い、柔らかな瀞みに身を委ねる。
「幸せね。」
重なる二つの音色が、ため息に溶ける。
「ステラちゃんのお肌、とても綺麗で羨ましいの。それに髪だって、つやつやな黒で、いつもさらさら。」
ルナが私に寄り添いながら微笑む。
「ルナちゃん、鏡を見てごらん。私より綺麗なお肌だって気づくわよ。それに、いつもきらきらしてる白い髪も、とても魅力的なんだから。」
私は、ルナを優しく包み、頭を撫でた。
「ほら見て、くっつくと、同じ色なの。」
重なる肌に、二人の境界が溶けていく。
ほのかに撫でる吐息が、互いの頬へと奏でる。
穏やかに触れ合う柔らかさに、心が絡み合っていく。
「何だか、ステラちゃんになったみたい。」
私の想いを紡ぐ様に、ルナが微笑む。
互いに、背を包み合う腕が、緩やかに撫で合い、この旅路の全てを洗い流してくれる。
「ルナちゃん、ずっとこうしていたい…。」
「私もなの…。」
瞳に彩られるのは、何より大切な温もりだけ。
絡み合う指が、想いの全てへと伝う。
絡み合うまつ毛に、瞼が纏う。
重なる吐息に触れる、柔らかな感覚。
その全てが、私たちを幸せの園へと奏でてくれる。
「気持ちいいね…。」
全身を包み込む柔らかな温もりに、水面が揺れる。
それは、私たちが奏でる吐息の様に、優しく湯気に舞った。
「ねえ、ルナちゃん。」
湯に浮かぶ岩に寄りかかる二つの色彩は、決して離れない様に、折り重なる影に鼓動を共鳴させている。
「なあに、ステラちゃん。」
私たちの微笑みが、柔らかく陽光へと微睡む。
「たくさん歩ける様になったね。それに、あまりふらふらもしなくなったね。」
私は、愛おしむ様に、瞳にルナを彩り、雫と共に紡ぐ。
「たくさん頑張ったね、ルナちゃん。本当に…。」
「ステラちゃんが傍に居てくれたからなの。」
私の腕に包まれながら、ルナは優しい吐息を奏でた。
「それに、ステラちゃんも、右手をいっぱい動かせるようになったの、とても凄いの。」
ルナの柔らかな手のひらが、私の右手を包む。
リュパンに奪われた、ルナの両足と、私の右手。
それは、私たちの彩る宝珠が還してくれた。
それでも、思う様に動かす事はできずにいた。
それを、助けてくれたのは、ユズリハの紡いでくれた器具。
でも、それだけでは、ここまで歩けなかった。
それだけでは、この今を握りしめる事はできなかった。
私たちは、救われながら、ここに辿り着いた。
「ありがとう。」
誰に向けた音色でもない。
でも、全てに贈る音色。
二つの吐息が織り成す音色は、私たちの耳を撫で、寄り添う微笑みを纏って、空高く舞い上がった。
それを見つめる様に、私たちの瞳に、空が彩られる。
空を泳ぐ鳥たちが、まるで絵画の様に舞っている。
それが何だか可笑しくて、私たちは微笑み合った。
ゆっくりと顔を下す私たちを囲むのは、ぴょんぴょこ隊。
私は、違和感に、ようやく気づいた。
ぴょんぴょこ隊が彩ってくれている壁が、低くなっている。
「ん…。」
不思議な色彩に、吐息が漏れる。
その音色の中で、ルナの背中の向こうに、一つの影が舞い降りた。
鳥が、ぴょんぴょこ隊を、一匹ずつ連れ去っている。
「ル、ルナちゃん…、ぴょんぴょこ隊が…。」
私の音色に、振り向くルナ。
「鳥の魔獣さん…。」
ルナの吐息に溢れる音色。
「追いかけなきゃ。」
私たちは、急いで服を着た。
「あの鳥さんは、魔獣なのね。本当に、魔獣なのね。」
私たちは、温泉の側に広がる草むらで食事を謳歌しているユニとコンの元へと駆けた。
あの鳥が魔獣でなければ、ぴょんぴょこ隊は、自らの力で戻ってこれるかもしれない。
だが、魔獣ならば、ぴょんぴょこ隊は、捕食されかねない。
故に、縋る様に、私はルナへと問いかけた。
「うん。魔力を感じたの。」
私の背に乗るルナが、小さく頷く。
「なら、本当に急がないと…。」
助けに行けば、私たちも捕食されるかもしれない。
ただ、それを考える余裕など、私たちには無かった。
ルナをユニに乗せ、私はコンに跨る。
目指すのは、あの鳥の魔獣の影。
それは、岩山の先に彩られていた。
「いっぱい集まってるね…。」
私は、鳥の魔獣に囲まれて震えているぴょんぴょこ隊を見つめ、囁く。
「どうやって、助け出そうかしら…。」
こうしている間にも、ぴょんぴょこ隊が食べられてしまうかもしれない。
考えていても仕方ない。
私は、返してもらう様に、お願いしにいくことを決めた。
「ルナちゃん、行こう…。……ルナちゃん。」
ルナは、既に、鳥の魔獣の元へと歩んでいた。
「あの、これあげるので、ぴょんぴょこ隊を返してください。」
手に持つのは、テラの袋。
そこに詰め込まれた色とりどりの木の実と、私たちの紡いだ幾つもの宝珠。
「だ、だめだよ、ルナちゃん。せめて、もっと美味しそうな果実とか…。」
私は、ルナへと駆け寄りながら、奏でる。
だが、その音色に振り向くルナへ、鳥の魔獣が言葉を紡いだ。
「返す…。それは、この子たちが、お前の所有物だと言いたいのか。」
所有物、それは、私たちの心を蝕む言葉。
蘇るのは、リュパンから受けた数々の色彩。
私たちは、その旋律に固まってしまった。
呼吸ができない。
視界が歪む。
意識が前へと吸い寄せられる様に抜け落ちてゆく。
所有物なんかじゃない。
その音色は、私の心に反響する。
だが、それを覆う様に、リュパンによって紡がれた不協和音が鳴り響く。
私は、ただの傀儡。
行き着く答えが、反復する様に、全ての彩りを覆う。
私は、縋る様にルナを見つめた。
「私のお友達を、物みたいに言わないで。」
それは、ルナの奏でた音色。
だが、それがルナの奏でた音色だと気づくのに、小さな戸惑いが彩られた。
その静寂に秘められた音階のない旋律が、小さな種へと収束する。
それは、既に芽吹いていた。
ただ、それが要項を浴びる事は、未だ無かった。
故に、それに気づく事はなかった。
それは、まだ蕾。
それでも、かつての魔王が奏でた彩りの如く、その蔦は空へと手を伸ばした。
その依り代は、カンパニュラの打った小剣、クランツ。
刻まれたアルストロメリアの色彩から、新緑の芽吹きが彩られ、無数に飛び交う鳥の魔獣へと絡み付く。
かつて、元魔王であるメルが与えた、小さな種。
ルナの肢体の奥深く、心の深淵に植えられた想いが、ここに奏でられた。
私は、ただその荘厳な色彩に、呆然と立ち尽くすことしかできずにいた。
しかし、その色彩は、私の中からリュパンを消し去ってくれた。
故に、私は、この身を動かすことが赦された。
ぴょんぴょこ隊へと駆け寄り、みんなを集める。
私は、彼らに覆い被さり、空を貫く音色を奏でた。
「食べたいなら、私を食べればいいわ。でも、この子たちは、だめ。」
鳥の魔獣は、蔦に絡まれたまま、動こうとさえしない。
ただ、ルナだけが、目を覚ましたかの様に、私を見つめる。
「ステラちゃん、これ…、どうなっているの…。」
私と蔦を交互に見つめながら、ルナは怯えた様に奏でた。
「わからないわ…。わからないけど、助かったわ…。」
「んー、なら、良かったの。」
ルナの微笑みに、私の全てが溶けていった。
「おい、魔族と人族。我々を放って戯れるな。」
空から奏でられた音色に、私たちは、大切なことを思い出した。
それは、鳥の魔獣が、ぴょんぴょこ隊を食べようとしているということ。
「ぴょんぴょこ隊に意地悪したら、ゆ、許さないわよ。」
私は、震えを抑えきれぬままに、空へと奏でた。
そこに彩られる無数の鳥の魔獣。
「早とちりをするな。我々は、この子達を物だとも思っていないし、意地悪もしない。お前達がそうしていると思っただけだ。」
私たちは、ここまでの道のりを思い返した。
温泉を謳歌している間、鳥の魔獣たちは、空を舞っていた。
気づけば、ぴょんぴょこ隊が少しずつ連れ去られていた。
追いかけてみると、集められているだけで、特に何もしていなかった。
そして、私たちが物として扱っているのかとは言っていたが、彼らがそう思っているとは言っていない。
「ご、ごめんなさい…。」
私たちは、精一杯、頭を下げた。
鳥の魔獣たちは、鼻を擽ぐる様にため息を奏で、私たちを見下ろしている。
「あの、お詫びにこれあげます…。でも、ぴょんぴょこ隊は返してください…。」
ルナが、テラの袋を再び捧げ、見上げる様に鳥の魔獣を見つめる。
「返すも何も、選ぶのは、この子達だ。我々に、彼らの選択を拒む理由などない。」
その音色と共に、鳥の魔獣たちが、袋の中を覗く。
「でも、美味しそうだ…。」
鳥の魔獣たちは、袋の中身を啄んだ。
気づけば、テラの袋は空となっている。
「全部、食べちゃったの…。」
ルナの音色に、私も答えに行き着く。
「え…、宝珠も…。」
誰に向けられたものでもない問いかけが、私たちを青ざめさせた。
今のところ、どの魔獣も、お腹を壊したりはしていなさそうだが、その内、そうなるかもしれない。
そして、それが、今かもしれない。
私は、慌てふためきながら、手と顔をあちこちへと舞わせてしまう。
「ぴよちゃん、ぺっして。お腹壊しちゃうの。」
その色彩を背に、ルナは、私たちに話しかけ続けた鳥の魔獣の嘴を撫でる。
「ぴよちゃんって、我の事か…。」
ピヨは、宝珠を吐く代わりに、ため息を吐いた。
「お前達は、なぜ、魔獣を引き連れている。」
お腹が満たされたのか、寝そべりながら、ピヨが奏でた。
「引き連れてというより、ついてきちゃったの。でも、みんな、大切なお友達なの。」
ルナは、私と共に鳥の魔獣達を撫でながら、微笑んだ。
「そうか、お前達は、不思議な子だな。どこへ向かっている。」
この旅路は、リュパンから逃げるために彩られた。
故に、私たちに、宛てはない。
ただ、花の国へ行けば、何かが変わるかもしれない。
故に、向かう先は、花の国。
「今は、花の国を目指しているわ。」
私は、気持ちよさそうに首を伸ばす鳥の魔獣の背を撫でながら、その地を奏でた。
「魔王と勇者が建てた国か…。面白そうだ。我々もついていってやろう。」
気づけば、様々な鳥が、ここに集っていた。
鳥好きの私には、ここが楽園の様に感じてしまう。
「もう、ここが目的地でも良いかも…。」
私の零した音色に、ルナは驚く色彩を紡ぎ、振り返った。
「冗談よ…。」
私の彩った微笑みが、本当に本音なのかは、わからない。
ただ、鳥に囲まれる旅路なら、もう何処でもいいという甘い誘惑だけは、本物である事は間違いない。
それでも、ルナという唯一無二の色彩に勝てるものなど、世界に一つとして無いこともまた、揺るがぬ事実である。
再び浸る温泉に、寄り添い合う温もりが、重なる肌へと溶けていく。
ぴょんぴょこ隊の壁と、草むらでお腹を満たすユニとコン、そして、空を見守る鳥達に囲まれ、私たちは、絡み合う指に蕩ける湯を纏う。
「ここが、楽園なのね…。」
二つの吐息が、頂から舞い降りる陽光に、柔らかく共鳴した。




