第四楽章8節
彼は、道具を作ることが生き甲斐であった。
そして、それが誰かの役に立てることが、何よりの幸せだった。
そんな彼を傍で見続け、支え続けるのが、彼女の夢であった。
二つの足跡が奏でる一つの共鳴は、傷つく影へと繋がる。
それは、漆黒の体毛に覆われた巨躯。
鋭い牙と、研ぎ澄まされた爪が、近づくものを破壊する。
その色彩に理性が無ければ、寄り添う二人もまた、破壊されていただろう。
「これ、どうやって使うの。」
プラムは、手のひらに転がる宝珠を見つめ、ユズリハへと問いかける。
「恐らくだけど、願いを込めて触れるんだと思う。ただ、プラムの宝珠は、一度使っているから、もう使えないかもしれない。」
それは、鍛冶屋の村を発つステラとルナが、すべての村人に贈ってくれた宝物。
そこには、小さな魔力が宿っていた。
それに気づいたのは、ステラとルナにカノンする様に彼らが旅立った少し後。
山を旅路に彩り、そこを越えようとしていた時。
白妙へと足跡を紡ぐ魔獣を目の当たりにし、気づかれぬ様に去ろうとした。
プラムは、初めて目の当たりにする巨大な影に、冷静を保つことができなかった。
故に、決して低くはない崖に沿う小道で、滑落した。
「あの時は、もう終わったと思ったわ…。」
プラムが、少し震えながら囁く。
「僕も、絶望という意味を知ったよ。もう知りたくないけど…。」
プラムの後を追い、崖下へと辿り着いた時、彼の瞳を彩ったのは、怪我一つ無いプラムの微笑みだった。
だが、ユズリハは見ていた。
離れゆくプラムへと襲いかかる大樹の枝、崖肌の連なり、そして地を這う岩、それらが齎した幾つもの傷を。
そのどれもが、プラムの灯火を奪うには、充分だった。
それでも、プラムは、赤い花弁さえも咲かすことなく、手を差し伸べるユズリハへと、微笑みを彩ったのだ。
そして、あの日、プラムの持つ宝珠から、魔力が消えた。
故に、一つの答えへと辿り着いた。
この宝珠は、傷を癒す。
ただ、それは、一度きりの奇跡。
「もしかしたら、他にも何かあるかもしれないけど…。」
その囁きと共に、ユズリハは、宝珠を魔獣へと押し当てた。
「元気になった途端に、襲ってきたりはしないわよね…。」
「魔獣じゃなくても、どう見ても熊だからね…。逃げる準備はしておいて。」
「ユズリハも、すぐに逃げれる様にね。」
プラムは、ユズリハの裾を握りしめ、固唾を飲み込んだ。
ゆっくりと顔を動かす魔獣。
ユズリハの手は、震えを抑えることができない。
「心配しないで。きっと良くなるから。」
怯えを隠しきれない音色を奏で、ユズリハは微笑む。
「あ、だめ。」
伸びる舌に、二人は固まる。
そうなる事は、予想していなかった。
故に、ユズリハは、その色彩を見届けた後に紡ぐことしか出来ずにいた。
「た、食べちゃった…。」
熊の魔獣が、宝珠を飲み込んだ。
獣であれば、異物を誤飲することもあるだろう。
ただ、宝珠には、魔力と魔法が込められている。
それが及ぼす影響は、計り知れない。
ユズリハは、プラムを彩った奇跡を目の当たりにしている。
「だめだよ、吐き出して。食べても大丈夫なのか、分からない物だから。」
慌てて頬を揺らすユズリハに、プラムは、裾を引っ張る。
「あ、あんまり、刺激しちゃだめよ。」
魔獣の爪が、小さく揺れる。
だが、二人は、その瞳に互いを彩り、それに気づいていない。
故に、魔獣が立ち上がるまで、その傷が癒えていたことを知る由もなかった。
「ほらね、言ったでしょう。あんなに揺らすから、怒ったのよ。」
ユズリハの裾を握りしめながら、全速力で駆け抜けるプラムは、空へと届く旋律を奏でる。
「待って、怒ってる様には、見えないよ。それに、全部の傷が癒ているわけではないみたいだ。」
ユズリハは、プラムに引き摺られながら、追ってくる魔獣を指差す。
「どっちか分からなくても、危険よ。」
「いざとなれば、父さんが打った剣もある。」
「誰が戦うのよ…。」
「……逃げよう。」
ユズリハとプラムは、瞳に彩られた森の中へと逃げ込んだ。
草むらに二つの影が、顔を出す。
「あの子、私たちを探しているわね…。」
「そうだね。寂しそうに見える。」
「お腹が空いているのかもしれないわ。」
「干し肉なら、少し残ってるよ。」
「私たちを、食べるかもしれないということよ…。」
ユズリハとプラムの音色が、小さく響き合う。
ゆっくりと歩き回っていた魔獣は、その踏みしめた草へと座り込んだ。
「今の間に、逃げようよ。」
「待って。やっぱり、全部の傷は、癒えていない。たくさんの折れた爪も、右腕だって動きが、まだ変だ。」
「まさか、補助具を作るつもりじゃないでしょうね…。」
「何というか、魂が疼くんだ…。職人を志す魂が…。」
「ユズリハ、貴方は、いつも何かを見るたびに疼いてるじゃない…。」
プラムのため息が、小さく奏でられる。
「どうせ、言っても聞かないんだから、好きになさいよ。でも、準備はここでしてね。」
「ありがとう。さっき、宝珠をあげた時に、腕の大きさも見ておいたから、ここで作れるよ。」
躊躇いもなく、工具を広げるユズリハ。
そこから奏でられ始めた金属音は、空へと響き渡った。
その変わりゆく色彩を見つめるプラム。
真剣なユズリハの眼差しは、プラムにとって、至福のひとときだった。
そして、ユズリハもまた、何かのために、自らの全てを捧げることが至福だった。
故に、近づく影に気づく事はない。
草むらから覗く、一つの大きな影。
魔獣は、二人を不思議そうに見つめていた。
それに気づいたのは、ユズリハ。
ふと顔を上げた先にある、魔獣の顔。
「ほぎゃあ。」
ユズリハの聞いたことのない旋律が、雲を穿った。
「逃げるよ。」
その旋律に振り向いたプラムが、ユズリハの手を掴む。
「待って。この子、襲ってこない。」
いつから覗いていたのかは、わからない。
ただ、少なくとも、ユズリハが叫んだ時、魔獣は襲おうとはしていなかった。
ただ、煌めく瞳で、二人を彩っていただけだった。
「ねえ、少しだけ、腕を見せてくれないかな。」
ユズリハは、恐る恐る近づき、優しく囁いた。
魔獣は、首を傾げながら、腕を差し出す。
プラムが、肩を跳ね上げ、ユズリハの腕に抱きついた。
「プラム、大丈夫だよ。」
ユズリハの音色が、穏やかに響く。
「えっと…パシフロール…、怪我している手を見せてほしいんだ…。」
ユズリハは、優しく微笑み、魔獣の腕を撫でる。
「パシフロール…。」
プラムが、問う様にユズリハを見つめた。
「今、名前をつけたんだ。黒く温かい毛並みの中に、優しさを感じたんだ。だから、パシフロール。変かな。」
「変ではないけど…、この子に名前があったら、どうするのよ…。」
プラムの音色に、パシフロールが首を振る。
「名前、無いって。」
ユズリハが、その瞳にプラムを彩り微笑んだ。
「そんなことより、この子、私たちの言葉がわかるの…。」
プラムの奏でた言葉の意味に触れた時、ユズリハは固まった。
「何で、僕たちの言葉がわかるの…。」
「知らないわよ…。」
「私は、最初から話せるよ。」
「最初から話せるみたいだよ、プラム。」
「そう…。」
刹那の静寂を彩った森の広場に、二人の影が飛び跳ねた。
ユズリハの彩る器具が、パシフロールの腕を包んでいく。
「パシフロールは、どうして最初は黙っていたの。」
その器具を確認しながら、ユズリハは囁いた。
「驚かせてしまうと思ってね…。」
ユズリハの手元を見つめながら、パシフロールが囁く。
「逆に、怖かったわよ…。」
傍に座り、頬杖をつきながら二人を見つめるプラムが、ため息を奏でた。
「すまないね。人は、みな、怯えて逃げていくんだ。だから、私たちは、人の住む地へ赴いてはならない。」
パシフロールは、静かに奏で始めた。
「余計な争いを生むからね。」
パシフロールの瞳が、荒野の先、白妙の都へと続く地平線を彩る。
「だから、止めたかったんだけどね。私だけでは叶わなかった…。」
「何があったの。」
プラムが、静かに問いかける。
「魔獣たちが、何かに導かれる様に、人族の都へと向かっている。」
「白妙の都…。」
ユズリハの零した吐息。
それは、二人が目指している地。
崩落した都には、怪我を負い、助けを求める人が、必ず居る。
そこに手を差し伸べに行く、それが、二人の旅の目的だった。
「あそこには、近づかない方がいい。理性のない者から、向かい始めた。」
パシフロールが、自らの怪我を見つめる。
「私には、止めることができなかった。何一つ…。残ったのは、この傷だけだよ。」
「それでも…、だからこそ、僕たちは、白妙に行くよ。」
ユズリハの揺るぎない瞳が、パシフロールを彩る。
「あそこには、動けない人たちが、たくさん居ると思うから。」
器具の整備を終え、ユズリハは、微笑んだ。
「はい、これで動かしやすくなったはずだよ。爪が生え変わるまでは、この剣で我慢してね。」
アルストロメリアの彩られた器具に、片刃へと彩られた剣が煌めく。
「さて、この器具の素晴らしい点なんだけど…。」
「今は、長々と講釈を奏でる時ではないわよ。」
全てを察したプラムが、ユズリハの音色を止めた。
「それじゃあ、僕たちは行くね。」
パシフロールの柔らかな毛並みを撫でながら、ユズリハは囁いた。
「私も行こう。」
ユズリハの手を包む様に、穏やかな音色が紡がれる。
「行き先は、白妙だよ…。」
プラムが、覗き込む様に奏でた。
「わかっているよ。だからこそ、ついて行きたいんだ。」
パシフロールの瞳が、二人を彩る。
「私たちにだって、義はある。それに、みんなを止めるための手は、ユズリハが与えてくれた。」
器具の奏でる音色が、風に舞う。
「恩返しなんて、烏滸がましい事は言わない。ただ、私の願いを聞いてほしいんだ。」
惑う魔獣を止める。
その意志は、白妙に残された灯火を守ることとなる。
故に、三つの旋律は共鳴し合う。
「ありがとう。パシフロールが居てくれると、とても心強いよ。」
再び紡がれ始めた足跡は、三つの音色を奏で、空を彩った。
それは、悠久の先に語り継がれる御伽話の始まりを奏でる様に。
ただ静かに、穏やかな煌めきを紡ぎながら。




